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    沓掛香取神社のケヤキ

    巨木の写真

    ケヤキ-A木 (2024.12.21 / 2021.12.16) 【01】沓掛鎮守の御神木、参拝者を感嘆させる肥大隆起した立派な根本 沓掛香取神社のケヤキ-01
    【02】 沓掛香取神社のケヤキ-02
    【03】 沓掛香取神社のケヤキ-03
    【04】 沓掛香取神社のケヤキ-04
    【05】 沓掛香取神社のケヤキ-05
    【06】 沓掛香取神社のケヤキ-06
    【07】 沓掛香取神社のケヤキ-07
    【08】 沓掛香取神社のケヤキ-08
    【09】 沓掛香取神社のケヤキ-09
    【10】 沓掛香取神社のケヤキ-10
    【11】 沓掛香取神社のケヤキ-11
    【12】 沓掛香取神社のケヤキ-12
    【13】 沓掛香取神社のケヤキ-13
    ケヤキ-B木 (2024.12.21 / 2021.12.16) 【01】境内西側にそびえ立つケヤキ、御神木よりも背が高い 沓掛香取神社のケヤキ (B木)-01
    【02】 沓掛香取神社のケヤキ (B木)-02
    【03】 沓掛香取神社のケヤキ (B木)-03
    【04】 沓掛香取神社のケヤキ (B木)-04
    【05】 沓掛香取神社のケヤキ (B木)-05

    巨木の基本情報

    巨木の名前 沓掛香取神社のケヤキ (仮)
    幹周 ケヤキA:7.00m [4], 8.80m (実測)
    ケヤキB:4.80m [4], 5.32m (実測)
    樹高 ケヤキA:18.0m [4]
    ケヤキB:27.0m [4]
    推定樹齢 不明
    保護指定 不明
    所在地 茨城県板東市沓掛
    所在施設 沓掛香取神社
    撮影日・状態 2024.12.21 : 樹容に目立つ変化なし
    2021.12.16 : 根本に一部に腐朽と空洞の開口部、大枝の一部欠損、樹勢は良さそう
    アクセス
    圏央道・坂東ICから約2km
    電車 東武野田線・野田市駅から約20km、守谷駅 (関鉄常総線・つくばエクスプレス) から約23km
    バス 沓掛南前バス停、昭和観光の清水丘内野山線、本数が少ないので注意
    (野田市駅:茨城急行の岩井車庫行き、新町十字路前または岩井局前で乗換)
    (守谷駅 :関東鉄道の急行ばんどう線 (岩井)、岩井局前で乗換)
    参考情報 ■現地資料
     [1] 香取神社断碑記    :内容は下記雑記の写真03を参照
     [2] 鳥居建設記念碑    :内容は下記雑記の写真04を参照
    ■外部ウェブサイト
     [3] 茨城県神社庁     :神社由緒について参考
     [4] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (1988年度の調査記録)
    ■少遠景の記録
     [5] 沓掛の大ケヤキ    :同じ沓掛地区、坂東市内で最大の巨木、根差すところは古墳の上
     [6] 福寿院のケヤキ    :同じ沓掛地区、福寿院は明治に廃寺となったが観音堂と跡地が守られている

    巨木と雑記

     沓掛神明社からすぐ東、県道20号線に面した香取神社 [1] [2] [3] 。周辺の村々からも崇敬された沓掛村の総鎮守であり、 創建から1000年以上の歴史を持つされる古社。 その歴史の根拠は、天保7年 (1836) に境内より発見された、 弘法大師空海の作とされる石碑の一部 (断碑)。 石碑の文には、空海は大同2年 (809) に当社へ巡錫し、 後に別当寺を建立したことなどが記されているそうです。

     豊かな緑に包まれた沓掛香取神社の社叢。 御神木は二之鳥居の横にそびえ立つケヤキ (A木)。 コブのある隆起肥大した根本が壮観です。 実測した幹周は約8.8mと太く、沓掛の大ケヤキ [5] に迫る見事な巨躯。 また境内には、他にも立派なケヤキ (B木) があるので、 立寄って見仰いでみてください。

    cm-沓掛香取神社-01 【01】沓掛香取神社、二之鳥居の前から。右に御神木のケヤキが見える。
    cm-沓掛香取神社-02 【02】拝殿。
    cm-沓掛香取神社-03 【03】香取神社断碑記。天保10年 (1839) の建立。 天保7年に空海作の断碑が見つかったことなどが記されているようだ。
    cm-沓掛香取神社-04 【04】鳥居再建記念碑。昭和47年 (1972) の建立。 前文に再建前の古い鳥居が奉納されたときのエピソードが記されている。



     沓掛香取神社の由緒 [1] [2] [3] について。 天保7年 (1836) に境内から空海作とされる断石が出土。 その内容によると、空海は大同2年 (809) に当社へ巡錫し、十一面観音を勧請。 翌年に別当の香取山金乗院を建立した、などと記されているそうです。 なお金乗院は明治の廃仏毀釈で廃寺に。 平安時代の天慶2年 (939)、平将門より社殿再建。 戦国時代の正長元年 (1428)、下総結城氏11代当主の結城氏朝より、 社殿修復と刀剣の奉納。 江戸時代の享保9年 (1724)、幕命による飯沼の新田開発のとき。 周辺の24村 (開発後31村) の名主および代表が、 当社にて起誓文を捧げ連署血判し、大業成就を祈願した。 その後、同13年に難工事は完成。 村民たちは結願の神恩に、本殿と大鳥居を奉納し、報寶祭を執行。 以後、飯沼鎮護の神としても篤く崇敬されてきたそうです。 なお、新たな大鳥居は昭和47年に再建されました (現在の木造の二之鳥居?)。