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    歓喜寺の江戸彼岸桜

    巨木の写真

    撮影日:2024.03.27 【01】再訪、エドヒガンの巨木では満開は県内でも先駆け 歓喜寺の江戸彼岸桜-01
    【02】 歓喜寺の江戸彼岸桜-02
    【03】 歓喜寺の江戸彼岸桜-03
    【04】 歓喜寺の江戸彼岸桜-04
    【05】 歓喜寺の江戸彼岸桜-05
    【06】 歓喜寺の江戸彼岸桜-06
    【07】 歓喜寺の江戸彼岸桜-07
    【08】 歓喜寺の江戸彼岸桜-08
    【09】 歓喜寺の江戸彼岸桜-09
    【10】 歓喜寺の江戸彼岸桜-10
    【11】 歓喜寺の江戸彼岸桜-11
    【12】 歓喜寺の江戸彼岸桜-12
    【13】 歓喜寺の江戸彼岸桜-13
    撮影日:2016.03.30 【01】猿島坂東観音霊場に佇む県内最大級のエドヒガン 歓喜寺の江戸彼岸桜-01
    【02】 歓喜寺の江戸彼岸桜-02
    【03】 歓喜寺の江戸彼岸桜-03
    【04】 歓喜寺の江戸彼岸桜-04
    【05】 歓喜寺の江戸彼岸桜-05
    【06】 歓喜寺の江戸彼岸桜-06
    【07】 歓喜寺の江戸彼岸桜-07
    【08】 歓喜寺の江戸彼岸桜-08
    【09】 歓喜寺の江戸彼岸桜-09
    【10】 歓喜寺の江戸彼岸桜-10
    【11】 歓喜寺の江戸彼岸桜-11
    【12】 歓喜寺の江戸彼岸桜-12
    【13】 歓喜寺の江戸彼岸桜-13

    巨木の基本情報

    巨木の名前 歓喜寺の江戸彼岸桜 [3]
    樹種 エドヒガン (江戸彼岸)
    幹周 5.80m [4]
    樹高 15.0m [4]
    推定樹齢 400年 [3]
    特徴 根本付近から東西方向への双幹
    保護指定 坂東市指定天然記念物
    所在地 茨城県坂東市辺田
    所在施設 歓喜寺 (邊田山地蔵院)
    撮影日・状態 2024.03.27 : 開花状況は7分咲き、前回と比較 (西側の大枝が短くなる、西側の根本の不朽が少し拡大)
    2016.03.30 : 開花状況は満開、枝先の欠損が複数あるが、樹冠は大きく樹勢はよい様子
    アクセス
    圏央道・坂東東ICから約7km、常磐道・谷和原ICから約13km
    電車 東武野田線・野田市駅から約13km
    バス 野田市駅から茨城急行の路線、岩井車庫行きを利用、辺田三叉路バス停から約1km
    参考情報 ■現地石碑
     [1] 歓喜寺の由来記    :下記雑記の写真02を参照 (猿島坂東第27番観音霊場由来)
     [2] 歓喜寺の復興記念碑  :下記雑記の写真03を参照 (邊田山地蔵院歓喜寺興復記)
    ■外部ウェブサイト
     [3] 坂東市ホームページ  :当サクラの情報あり
     [4] 巨樹巨木林データベース:当サクラの登録あり (1988年度の調査記録)
    ■少遠景の記録
     [5] 延命院のカヤ     :坂東市、歓喜寺から道なりに約3km
     [6] 鴻巣の一本榎     :古河市、古河総合公園、園内には中山家から寄贈の旧宅が移築保存

    巨木と雑記

     坂東市の南西部に位置する辺田地区。 市役所のある市街中心部に接したところです。 当地にある猿島坂東三十三観音霊場こそが、第27番札所の歓喜寺。 境内中央にそびえ立つ優雅な大桜は、県内最大級のエドヒガンです。 樹容は根本付近から東西方向に双幹として立ち昇るもの。 樹冠は広く満開の花笠はじつに美しく、根本に老巨樹としての貫禄があります。 東側からは、朱塗りの観音堂と重なる姿に風情がある。 開花が県内でも先駆けとなる、素晴らしい大桜です。

    cm-歓喜寺-01 【01】本堂の向かって左手前に建つ観音堂。 享保年間に開かれた猿島坂東三十三観音霊場の第27番札所。 お堂の手前に由来の石碑あり。
    cm-歓喜寺-02 【02】観音堂手前にある石碑。当観音堂の由来について。 御詠歌「仏縁に 歓喜踊躍の 巡礼は かねての春に あう心地かな」。
    cm-歓喜寺-03 【03】本堂の正面にある石碑 (邊田地蔵院歓喜寺興復記)。寺院の来歴について刻まれている。 観音堂前の石碑と同じく昭和51年に、本堂と庫裡の再建落慶を記念して建立された。


     辺田山地蔵院こと歓喜寺の由緒について [1][2] 。現在の宗派は真言宗豊山派、本尊は地蔵菩薩立像。 開創についての詳細は不明。 寺伝では慶安3年 (1650)、第5世の祐誉法印により中興。 以後、当地から菅沼を挟んで南東に位置する妙音寺 (地図リンク) を本寺とした。 歴史資料となる文書には、 寛永5年 (1628) に関東代官の伊奈忠次より下された寺領安堵証文。 また、慶安元年 (1648) 以後の朱印状などがあるそうです。

     江戸中期の享保年間 (1716-1736) の頃、萬藏院 (地図リンク) の住持であった雄弁上人により、猿島阪東三十三カ所観音霊場が創設 [3] 。歓喜寺は第27番札所として加わります。 このとき観音堂を寄進したのが、辺田村の組頭を勤めた中山家。 ちなみに、古河市の古河総合公園には、 中山家が寄贈した旧宅が移築保存されています[6]

     江戸末期から以後。 安政5年 (1858)、第16世の恵隆祐興法印より、妙音寺と住持を兼務。 明治に入ると神仏分離により寺運は衰勢。 堂舎の維持修復も困難となり、明治30年 (1897) に 神田山延命院 [5] に本堂を譲り、同33年に仮本堂を建立。 以後、老朽の進む状態が長らく続いたという。 戦後は農地改革で寺領が縮小。 やがて寺有山林2反歩余りおよび、境内の立木を伐採し、 本堂再建の費用に充てられる。 こうして現在の本堂および庫裡は、昭和51年 (1975) に再建上棟されました。