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歓喜寺の江戸彼岸桜
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 歓喜寺の江戸彼岸桜 [3] |
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樹種 | エドヒガン (江戸彼岸) | |||
幹周 | 5.80m [4] | |||
樹高 | 15.0m [4] | |||
推定樹齢 | 400年 [3] | |||
特徴 | 根本付近から東西方向への双幹 | |||
保護指定 | 坂東市指定天然記念物 | |||
所在地 | 茨城県坂東市辺田 | |||
所在施設 | 歓喜寺 (邊田山地蔵院) | |||
撮影日・状態 | 2024.03.27 : 開花状況は7分咲き、前回と比較 (西側の大枝が短くなる、西側の根本の不朽が少し拡大) 2016.03.30 : 開花状況は満開、枝先の欠損が複数あるが、樹冠は大きく樹勢はよい様子 | |||
アクセス | ||||
車 | 圏央道・坂東東ICから約7km、常磐道・谷和原ICから約13km | |||
電車 | 東武野田線・野田市駅から約13km | |||
バス | 野田市駅から茨城急行の路線、岩井車庫行きを利用、辺田三叉路バス停から約1km | |||
参考情報 | ■現地石碑 [1] 歓喜寺の由来記 :下記雑記の写真02を参照 (猿島坂東第27番観音霊場由来) [2] 歓喜寺の復興記念碑 :下記雑記の写真03を参照 (邊田山地蔵院歓喜寺興復記) ■外部ウェブサイト [3] 坂東市ホームページ :当サクラの情報あり [4] 巨樹巨木林データベース:当サクラの登録あり (1988年度の調査記録) ■少遠景の記録 [5] 延命院のカヤ :坂東市、歓喜寺から道なりに約3km [6] 鴻巣の一本榎 :古河市、古河総合公園、園内には中山家から寄贈の旧宅が移築保存 |
巨木と雑記
坂東市の南西部に位置する辺田地区。 市役所のある市街中心部に接したところです。 当地にある猿島坂東三十三観音霊場こそが、第27番札所の歓喜寺。 境内中央にそびえ立つ優雅な大桜は、県内最大級のエドヒガンです。 樹容は根本付近から東西方向に双幹として立ち昇るもの。 樹冠は広く満開の花笠はじつに美しく、根本に老巨樹としての貫禄があります。 東側からは、朱塗りの観音堂と重なる姿に風情がある。 開花が県内でも先駆けとなる、素晴らしい大桜です。
辺田山地蔵院こと歓喜寺の由緒について [1][2] 。現在の宗派は真言宗豊山派、本尊は地蔵菩薩立像。 開創についての詳細は不明。 寺伝では慶安3年 (1650)、第5世の祐誉法印により中興。 以後、当地から菅沼を挟んで南東に位置する妙音寺 (地図リンク) を本寺とした。 歴史資料となる文書には、 寛永5年 (1628) に関東代官の伊奈忠次より下された寺領安堵証文。 また、慶安元年 (1648) 以後の朱印状などがあるそうです。 江戸中期の享保年間 (1716-1736) の頃、萬藏院 (地図リンク) の住持であった雄弁上人により、猿島阪東三十三カ所観音霊場が創設 [3] 。歓喜寺は第27番札所として加わります。 このとき観音堂を寄進したのが、辺田村の組頭を勤めた中山家。 ちなみに、古河市の古河総合公園には、 中山家が寄贈した旧宅が移築保存されています[6]。 江戸末期から以後。 安政5年 (1858)、第16世の恵隆祐興法印より、妙音寺と住持を兼務。 明治に入ると神仏分離により寺運は衰勢。 堂舎の維持修復も困難となり、明治30年 (1897) に 神田山延命院 [5] に本堂を譲り、同33年に仮本堂を建立。 以後、老朽の進む状態が長らく続いたという。 戦後は農地改革で寺領が縮小。 やがて寺有山林2反歩余りおよび、境内の立木を伐採し、 本堂再建の費用に充てられる。 こうして現在の本堂および庫裡は、昭和51年 (1975) に再建上棟されました。
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