巨木TOP / 群馬 / 貫前神社の社叢
貫前神社の社叢
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 貫前神社のケヤキ (仮) |
|
||
---|---|---|---|---|
幹周 | ケヤキ(A):8.35m (実測) ケヤキ(B):6.35m (実測) | |||
樹高 | ケヤキ(A):30m前後 (目測) ケヤキ(B):20m以上 (目測) | |||
推定樹齢 | 不明 | |||
特徴 | ケヤキ(A):中腹から3本に分かれる ケヤキ(B):ほぼ真っ直ぐな単幹 | |||
保護指定 | 不明 | |||
所在地 | 群馬県富岡市一ノ宮 | |||
所在施設 | 一ノ宮貫前神社 | |||
撮影日・状態 | 2022.10.10 : 両巨木とも目立つ損傷なく樹勢よし、背が高く樹冠は広大 | |||
アクセス | ||||
車 | 上信越道・富岡ICから約5㎞ | |||
電車 | 上信電鉄・上州一ノ宮駅から1㎞以内 | |||
参考情報 | ■外部ウェブサイト [1] 貫前神社ホームページ :神社由緒と社殿について参考 [2] 巨樹巨木林データベース:ケヤキ以外、イチョウ・スダジイ・スギの登録あり (2000年度の調査記録) [3] 人里の巨木たち :ケヤキを含めた社叢の巨木の紹介あり ■少遠景の記録 [4] 堂前稲荷のシラカシ :富岡市内、墳丘の上の稲荷社、県内最大級のシラカシ [5] 和合の大イチョウ :富岡市内、県内最大級のイチョウ |
巨木と雑記.上野国一ノ宮の社叢は巨木の宝庫
近年、世界遺産に登録された富岡製糸場 (地図リンク) を筆頭とした、養蚕業の文化財群でも有名となった富岡市。 製糸場や市役所のある市街中心部から西に約3㎞。 南北を鏑川と丹生川に挟まれた、蓬ヶ丘と呼ばれる丘陵地があります。 ここに鎮座する貫前神社 [1] は、県内を代表する大社のひとつ。 創建からの歴史はおよそ1500年。 平安時代に編纂された延喜式神名帳にも「一ノ宮」と記されたように、上野国で特に高い神階を持つ大社でした。 そんな貫前神社は、群馬県の南西部において要注目の巨木スポット。 荘厳な社殿を中心とした広い境内には、巨樹茂る豊かな森が広がっています。 私が社叢で特に注目した巨木は、境内の北側に生育するケヤキの巨木群。 人里の巨木たち [3] の情報を元に知ることが出来ました。 最大となるケヤキ (A) の胸高周囲は約8.4m。樹高は30m近くありそうです。 幹周8m以上で、これほどの樹勢を維持しているケヤキは、県内で他にちょっとないのでは。 じつに晴れやかで素晴らしい威容の大ケヤキです。 加えて少し西に離れたケヤキ (B) も見事な巨木で、胸高周囲は約6.4m。 貫前神社はじつに感動的な鎮守の森でした。
巨木と雑記.ケヤキ以外の社叢の巨木たち
総門のすぐ左にも神門があります。 これは境内西側、13年毎に式年遷宮際 [1] が行われる際、仮殿が築かれるところ。 前年の12月に築いた仮殿への遷宮祭を行う。 翌年の3月に本殿へ戻る遷宮祭を行うまで、本殿の修理や清掃を行うそうです (前回は2016年12月から翌年3月)。 この神門の両側には、イチョウとスダジイの巨木が立ち並んでいます。 イチョウは神門と重なる立姿が厳か。 そしてスダジイは相当な古木らしい風格ある佇まいです。 境内第一の御神木とされてきたのが、本殿背後の藤太杉。 天慶2年 (939)、藤原秀郷が平将門を討伐する際のこと。 本社に戦勝祈願し、歳の数と同じ36本の杉苗を奉納。 その一本だと伝わるそうです (藤太は藤原秀郷の通称)。 残念ながら現在は立ち枯れの状態となっていました (根本に立入禁止)。 他に目立つスギ巨木としては本殿の右側、休憩舎の背後にそびえる大スギ。 幹周は5mくらいに見えます。樹勢は良さそうで、藤太杉の次世代となるか。 巨樹巨木林DB [2] より引用した幹周と樹高 (イチョウ:5.55m / 20.0m、スダジイ:5.35m / 15.0m、スギ:4.50m / 30.0m)
巨木と雑記.珍しい社殿の配置「下り宮」の謎
おわりに貫前神社の珍しい社殿の配置について。 鎮座地は丘陵の上。 普通なら、頂上付近や主稜線の平坦地に鎮座しそうなもの。 そして参道を登り詰めたところに本殿が建つ。 しかし貫前神社は特殊です。 南の県道198号線に面した表参道を登り詰めた先、大鳥居から総門のあたりが主稜線上。 標高は217m前後でしょうか。 総門から先の参道は一転します。 登りではなく北の谷間へ向かって下っていく。 楼門・拝殿・本殿など主殿が建つところは、総門のある主稜線から15m近く低いのです。 このような配置は「下り宮」と呼ばれるようで、全国的にも珍しいようです。 以下、表参道入口から裏参道入口付近までの9地点、簡易的な標高グラフをつくってみました。 社殿が北の谷間の傾斜地に面していることが分かります。
上記の標高グラフを見てみると、大鳥居から総門のあたり、 主稜線上の平坦地に社殿を築くほうが良さそうに思えます。 何故、陽当たりが悪く整地に苦労する北の谷間としたのか。 その理由を考えてみました。 まずは災害対策。 大昔は主稜線上に社殿を建てたが、落雷や強風などの被害が著しいため尾根上から遷座。 南側は急傾斜が続く。 北側も傾斜はきついが、比較的平坦なところを整地し現在地に遷座した。 藤太杉や麓にケヤキ巨木群があるように、暴風から守られるところだったか。なんて。 下り宮となった他の理由。 北の谷間がもとより神聖な場所であったか。 ここは菖蒲谷または綾女谷と呼ばれていたという [1] 。菖蒲は水辺の植物で、アヤメと呼ばれることもある。 水に関係するところ。 かつて麓には湿地などがあり、この谷間から清水が流れて出ていたか。 だからここは聖地とされたとか。 なお、ケヤキ巨木群を目当てに裏参道を往復した際、 なんとなく水気の多さを感じました。 どうなんでしょう。実に神秘的な大社です。
群馬TOP | △TOP | 前へ戻る |