巨木TOP / 群馬 / 玉村八幡宮の夫婦楠木
玉村八幡宮の夫婦楠木
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 夫婦楠木 [2] |
|
||
---|---|---|---|---|
樹種 | クスノキ (楠) | |||
幹周 | 3.66m [3] | |||
樹高 | 20.0m [3] | |||
推定樹齢 | 不明 | |||
特徴 | 地上2m付近から東西の双幹 | |||
保護指定 | 不明 | |||
所在地 | 群馬県佐波郡玉村町下新田 | |||
所在施設 | 玉村八幡宮 | |||
撮影日・状態 | 2022.11.30 : 樹勢良好で成長途中らしく見える、幹周は4.5mくらいありそうな印象 | |||
アクセス | ||||
車 | 関越道・高崎玉村マートICから約3㎞ | |||
電車 | JR新町駅 (高崎線・湘南新宿線) から約5㎞、以下の路線バスを利用可 | |||
バス | 新町駅前から前橋玉村線 (系統30B) に乗車、玉村四丁目で下車 | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 玉村八幡宮由緒略記 :石碑、内容は下記雑記の写真04および写真05を参照 ■外部ウェブサイト [2] 玉村八幡宮ホームページ:神社由緒と境内案内を参照 [3] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録) ■少遠景の記録 [4] 連取の笠松 :近辺の巨木、東隣の伊勢崎市、群馬県を代表する芸術的な樹容のクロマツ [5] 水宮神社の大ケヤキ :近辺の巨木、南隣の藤岡市、県内最大級のケヤキ |
巨木と雑記
群馬県の南部、利根川と島川の合流点から西に広がる地域の玉村町。 江戸時代は日光例幣使街道の宿場として栄えたところです。 まちの鎮守は玉村八幡宮 [1][2] 。創建は鎌倉時代の建久6年 (1195) とされる古社。 上野国の奉行でもあった有力御家人、安達盛長が源頼朝の命により、 鶴岡八幡宮より勧請したとされます。 長い歴史を感じさせる厳かな境内と社殿の数々。 立派な随神門の先には御神木の夫婦楠。 中門を抜けた最奥には、江戸時代建立の壮麗な拝殿。 続く本殿は永正4年 (1507) 造営という、県内最古級の御堂です (国指定重要文化財)。 今でも大勢の参拝者が絶えない玉村の鎮守。 近年、境内裏手に根差した異形のマツ「勝運の松」も注目されています。
玉村八幡宮の由緒について [1][2] 。鎌倉時代の創建以後、室町時代も武門の神として信仰。 名だたる武将としては、 関東管領の畠山満家、鎌倉公方の足利満兼、白井城主の長尾憲景などから、 社殿修造の寄進を受けてきたそうです。 永正4年 (1507)、戦火で焼失した社殿を長尾氏が再建。 現在地に遷座したのは江戸時代の慶長15年 (1610)。 関東郡代である伊奈忠次が当地の新田開発を成し遂げたとき。 事業成功の奉斎および玉村鎮守と定め、 角渕の地から本殿を上・下新田境の当地に移築したとされます。 引き続き江戸時代のことから。 慶安2年 (1649) には幕府より30石の朱印地を得る。 歴代の前橋藩主からは月詣および、社殿修造の寄進を受けたそうです。 正保3年 (1646) の日光例幣使街道の開設後、玉村は宿場となる。 道中安全や開運招福を願う一般庶民の崇敬も集め、 大いに栄えて現在に至るそうです。 なお、西に隣接する神楽寺は、 明治の神仏分離令が施行されるまでは別当寺でした。
群馬TOP | △TOP | 前へ戻る |