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  • 巨木TOP / 群馬 / 地守神社のスギとサワラ

    地守神社のスギとサワラ

    巨木の写真

    撮影日:2025.08.30 【01】上野国神名帳の比定社である古社、社殿横にそびえ立つ御神木の大スギ 地守神社のスギとサワラ-01
    【02】スギ 地守神社のスギとサワラ-02
    【03】スギ 地守神社のスギとサワラ-03
    【04】スギ 地守神社のスギとサワラ-04
    【05】サワラ (A) 地守神社のスギとサワラ-05
    【06】サワラ (A) 地守神社のスギとサワラ-06
    【07】サワラ (A) 地守神社のスギとサワラ-07
    【08】サワラ (A) 地守神社のスギとサワラ-08
    【09】サワラ (B) 地守神社のスギとサワラ-09
    【10】サワラ (B) 地守神社のスギとサワラ-10
    【11】サワラ (B) 地守神社のスギとサワラ-11
    【12】サワラ (B) 地守神社のスギとサワラ-12
    【13】葉の様子 地守神社のスギとサワラ-13

    巨木の基本情報

    巨木名 地守神社の大杉 [1][2][3], スギとサワラ (仮)
    幹周 スギ  :5.50m [1][3], 5.40m [2][4]
    サワラ-A:5.00m [4], 5.30m (実測)
    サワラ-B:4.75m [4], 4.13m (実測)
    樹高 スギ  :44.0m [1], 40.0m [2][4], 44.2m [3]
    サワラ-A:32.0m [4]
    サワラ-B:33.0m [4]
    樹齢 スギ  :800年 [1][2][3]
    保護 スギ  :藤岡市指定天然記念物
    所在 群馬県藤岡市下日野字駒留
    施設 地守神社
    撮影日 2025.08.30 : 大スギは頭頂部枝折、サワラ-A は根本に空洞、サワラ-B は目立つ損傷なし、何れも樹勢は良さそう
    交通
    上信越道・藤岡ICから約15km、吉井ICから約14km
    電車 JR八高線・群馬藤岡駅から約13km
    バス 駒留から約400m、市営バスめぐるん・藤岡~上平線、群馬藤岡駅から
    参考
    情報
    ■現地資料
     [1] 地守神社の大杉    :解説板、内容は下記雑記の写真02を参照
     [2] 藤岡市名木100選    :標識、内容は下記雑記の写真03を参照
    ■外部ウェブサイト
     [3] 藤岡市ホームページ  :当巨木の情報あり
     [4] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録)
     [5] 国立国会図書館    :デジタルコレクションにて群馬県多野郡誌の日野村、地守神社を参考
    ■少遠景の記録
     [6] 辛科神社のカヤ    :藤岡市、山村の鎮守のような素朴な社殿と老樹の姿が風情ある
     [7] 水宮神社の大ケヤキ  :藤岡市、藤岡JCTの近く、群馬県で最大級のケヤキ

    巨木と雑記

     藤岡市の西部に広がる山間部、上日野と下日野からなる旧日野村であったところ。 当地の総鎮守が地守神社であり、 上野国神明帳の比定社とされる古社です (由緒の詳細は後述)。 鮎川上流の清らかな霊地に鎮座し、社叢には見事な巨木が林立。 山村の鎮守に相応しい、じつに厳かな空気に包まれています。

     社叢で目を引く巨木は、まず社殿の右側にそびえ立つ大スギ。 その手前には、2本のサワラ (AB) の巨木も根差していて、神々しい景観をつくっています。 なお樹種は、両木の根本に落ちていた葉から、サワラと判断。 A木については、巨樹巨木林DB [4] では樹種はヒノキとなっているようです。 たしかにA木はヒノキっぽく見える。 どちらの樹種にしろA木は県内最大級となります。

    cm-地守神社-01 【01】地守神社の社殿 (拝殿)。
    cm-地守神社-02 【02】大スギの解説板。
    cm-地守神社-03 【03】大スギの藤岡市名木100選の指定標識。


     地守神社の由緒について。 国立国会図書館デジタルコレクション [5] で閲覧できる群馬県多野郡誌に記録があります。 昭和2年 (1927) に群馬県多野郡教育委員会が編纂・発行した地誌。 記載があるのは782ページから。 検索キーとなる永続的識別子とコマ番号は「1188011 / 422」。 以下その概要です。

     地守神社は明治初年までは大宮大明神と称し、 主祭神は大宮媛命をはじめ、誉田別命、素戔嗚命、経津主命、菅原道真の五柱。 日野のお天狗様とも称され、祈祷を受けに大勢の参詣者が訪れたそうです。 明治時代に日野村役場が行った調査の文書によると、 地守神社は古くは廣野明神と称された。 廣野は日野の旧称でもあり、上野国神名帳の緑野郡に記載、 従三位廣野明神に比定されると指摘。 高い格式と歴史を持つ神社です。

     下日野の子王山城 (地図リンク) を築いた柴崎氏の系譜の文書について。 それによると、奈良時代の公卿である藤原魚名の子、 藤原鷲取の三男に三条宮内大輔宗光が、宝亀7年 (776)、勅命により坂東一帯を平定。 その褒美として、上野国多胡郡を与えられ吉井に居を構えた。 そして、氏神の天兒屋根命を日野山に勧請して辛科大明神と称し、 子孫の柴崎氏累代の氏神となった。 この辛科大明神が地守神社の前身と考えられるそうです。

     地守神社の棟札のうち、天文17年 (1548) のものからは、 祭神が大宮大明神、辛科大明神、八幡大菩薩の三柱であったことが分かるそうです。 時代の変遷ともに祭神は増えていき、 そして現在、辛科大明神 (天兒屋根命) の神名は無くなっている。 素戔嗚命に模したとされ、これは明治の神仏分離令によるものか。 群馬県多野郡誌では、神名を天兒屋根命に戻すのが至当と指摘しています。