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    親鸞上人乳銀杏

    巨木の写真

    親鸞上人乳銀杏(2016.09.03) 【01】西側①:境内の東、弘智堂の前に立つ大イチョウ 親鸞上人乳銀杏01
    【02】西側② 親鸞上人乳銀杏02
    【03】西側③ 親鸞上人乳銀杏03
    【04】西側④ 親鸞上人乳銀杏04
    【05】南側 親鸞上人乳銀杏05
    【06】東側① 親鸞上人乳銀杏06
    【07】東側② 親鸞上人乳銀杏07
    【08】北側① 親鸞上人乳銀杏08
    【09】北側② 親鸞上人乳銀杏09
    西生寺の境内(2016.09.03) 【01】客殿:境内中央の奉造立寂靜堂.御本尊の愛染明王像は上杉謙信の寄進 親鸞上人乳銀杏01
    【02】結界門 親鸞上人乳銀杏02
    【03】受付と宝物堂 親鸞上人乳銀杏03
    【04】駐車場 親鸞上人乳銀杏04
    【05】阿弥陀堂 親鸞上人乳銀杏05
    【06】弘智堂① 親鸞上人乳銀杏06
    【07】弘智堂② 親鸞上人乳銀杏07
    【08】金比羅堂 親鸞上人乳銀杏08
    【09】展望地 親鸞上人乳銀杏09
    【10】登山口① 親鸞上人乳銀杏10
    【11】登山地図① 親鸞上人乳銀杏11
    【12】登山口② 親鸞上人乳銀杏12
    【13】登山地図② 親鸞上人乳銀杏13

    巨木の詳細情報

    巨木の名前 親鸞上人乳銀杏 樹種 イチョウ(公孫樹)
    幹周/樹高 11.5m / 28m 推定樹齢 800年(伝承)
    保護指定 長岡市指定天然記念物 所在地 新潟県長岡市寺泊野積
    撮影日/天候
    (状態)
    2016.09.03 / 晴 : 樹勢は良い.西側に気根が多い.かつて中央に主幹があった様子.
    アクセス
    ■北陸自動車道・三条燕IC:約20km、国道289、県道29、弥彦山スカイライン経由
    電車 ■JR弥彦線・弥彦駅   :タクシーの利用で約15分(弥彦タクシー 0120-827-818)
    備考 弘智法印の即身仏が安置されている弘智堂への拝観は、有料で手続きが必要。 駐車場の東端にある、宝物堂と併設された寺務所で受付をする。 受付の際に、拝観の時刻を告げられるので、その時刻までに弘智堂の前で待機。 時刻になると和尚様が弘智堂の中へ拝観者を導き、有り難い解説をして下さる。 当然ながら内部での写真撮影は禁止。
    近辺の観光 西生寺        :西生寺の公式サイト.普通のお寺の公式サイトとは一味違って面白い!
    ながおか観光NAVI :長岡市の公式の観光情報サイト.
    大杉公園       :姿の美しい巨木・蓮花寺の大杉が見所!
    弥彦観光協会・弥彦浪漫:弥彦村の公式の観光情報サイト.
    弥彦山ロープウェイ  :弥彦神社の奥から弥彦山へ.頂上には展望室が昇降する展望塔がある!
    弥彦神社       :越後国一宮の大社.弥彦山が御神体.広大な社叢に荘厳な社殿.
    近辺の巨木 弥彦の蛸ケヤキ /  弥彦の婆々杉 /  行塚の大榎

    巨木の地図

    巨木と雑記

    西生寺は越後平野のランドマークたる弥彦山の中腹に開かれた古刹。 開基は約1300年前の奈良時代と長い歴史を持ち、室町時代の初期の僧・弘智法印の即身仏(日本最古)が有名です。 弘智法印をお祀りする弘智堂の前には、大イチョウの「親鸞上人乳銀杏」が立っています。

    日本海に面した越後平野は、信濃川と阿賀野川の下流域(河口は新潟市)。 2つの大河が運んだ堆積物により、潟(ラグーン)が埋まった広大な平野は、 現在では水田に覆われた、日本有数の穀倉地帯。 弥彦山は、越後平野の中央部の日本海沿いに聳え、その西側の中腹に西生寺は位置しています。

    越後平野の中央に聳える端正な形の弥彦山(標高634m)。 古来より霊山として信仰されてきた山で、東山麓に位置する越後一宮の古社、弥彦神社の御神体でもあります。 日本海や越後平野を一望できる山頂へは、県道(弥彦山スカイライン)やロープウェイが整備され、アクセスは容易。 また登山ルートも豊富で、私は滞在時間に余裕があれば、西生寺からの裏参道ルートで登ってみたかった…。 地理とその姿、信仰、神社、観光施設。我が故郷、関東平野における筑波山と重なり、親しみを感じました。

    西生寺へ参詣した一番の目的は、大イチョウと弘智法印の即身仏の拝観でした。 駐車場にある寺務所で、受付を済ませた後、拝観の時刻まで、境内を見学。 整然とした美しい木石の境内は気持ちよく、特に客殿(奉造立寂靜堂)と本堂(阿弥陀堂)が見事でした。 客殿に祀られている御本尊の愛染明王像は、上杉謙信の寄進と云われるもの。 本堂の御本尊は、三重構造の阿弥陀如来像。2層目の木像が本山を開基したという行基菩薩の作で、1層目が純金の像と云われます。 秘仏なので、12年に一度の御開帳のみ拝観が可能。 仏殿の欄干に施された前衛的で鮮やかな絵画に見入りました。この作品は、水上貴博・画伯によるもの。

    境内の東にある高台に建つ弘智堂と金比羅堂。 その両堂の前に、親鸞上人乳銀杏を呼ばれる立派な大イチョウが立っています。 寺伝による大イチョの由緒。 正元2年(1261)に、当山を参篭された浄土真宗の開祖・親鸞上人が、 イチョウの枝の杖を、地面に挿したものが根付いたものと伝えられます。別名・お杖木。

    大イチョウは、3~4本の大きな幹を中心とした側幹の集合のように見えます。 中心に空間があるので、かつては主幹があったのかもしれません。 気根は西側の幹に集中しており、一部は地面に達しています。 弘智堂の建つ東側の幹は、大きく樹皮が剥がれていますが、樹勢には影響は無い様子。 枝葉の繁盛の具合から、全体的に樹勢は良好に見えました。 歴史ある古刹の神木たるに相応しい、見事な風格を湛えた大イチョウでした。

    弘智堂で弘智法印への拝観。 寺伝によると、弘智法印は千葉県の匝瑳市の出身。 現存する蓮花寺の住職を務めた後、江戸、東北、北海道、高野山、四国など日本各地を行脚。 60代を迎えた頃、越後に入り、西生寺の奥之院を入定の地と決心されました。 奥之院で続けられた、入定を迎えるための精神と体力の限界を超えた、3千日もの苦行。 そして遂に70余歳の、貞治2年(1363)、入定を果たされました。 日本各地を行脚して、目にしてきた人々の様々な苦しみ。 その救済の手段として辿り着いた命がけの信仰と伝導。 末世に弥勒菩薩がこの世界に現れ人々を救済するまで、 我が身を残して世を救わんとする、その信念が貫かれたのです。 和尚様の導きの元、堂内で即身仏への拝観。感慨無量でした。

    【 弘智法印・辞世の句 】
      岩坂の 主は誰ぞと 人問わば 墨絵に書きし 松風の音