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天神宮のケヤキ
巨木の写真













巨木の詳細情報
巨木の名前 | 天神宮のケヤキ[1] |
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樹種 | ケヤキ(欅) | |||
幹周 | 東株10.8m / 西株10.5m[1・3] | |||
樹高 | 東株12.0m / 西株13.0m[1・3] | |||
推定樹齢 | 1000年以上[1] | |||
特徴 | 東西の二株、空洞はあるが西株は巨大 | |||
保護指定 | 上田市指定天然記念物 | |||
所在地 | 長野県上田市岩下字岩谷堂117 | |||
所在施設 | 天神社 | |||
撮影日・状態 | 2017.09.27 : 往時の半分以上を失った西株.しかし大きな樹冠と迫力ある幹に驚かされた. | |||
アクセス | ||||
車 |
■東部湯の丸IC(上越道):距離約7.5km ■上田菅平IC(上越道) :距離約5.3km |
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電車 | ■大屋駅(しなの鉄道線):距離約1.5km(信濃国分寺からの距離も同等) | |||
参考情報 |
■現地資料 [1]解説板・天神宮のケヤキ:拝殿前に設置、写真12を参照、過去に落雷を受けたとある [2]解説板・天神社 :拝殿前に設置、写真13を参照 ■Web [3]巨樹巨木林データベース:1988年度の調査記録、東株の1本の幹は幹周3.3m [4]上田市文化財マップ :制作・上田市立マルチメディア情報センター、市内文化財の地図と詳細 [5]信州上田観光情報 :上田市公営の観光情報サイト |
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近辺の巨木 | 大六のけやき:上田市内.箕輪町の「木下のケヤキ」と並ぶ長野県で最大のケヤキだろう. |
巨木と雑記1.大ケヤキの感想
2017年、長野県の東信地方での巨木巡り。最後に訪れた地域は上田市。
目当ては観光もあります。日本100名城と国の史跡に指定されている上田城。観光名所です。
巨木では県内最大級のケヤキである
「大六のけやき」
とこの天神宮のケヤキを巡ることです。
巨樹巨木林データベース[3]では、天神社にある2本の大ケヤキは、ともに幹周が約10mほど。
格別に雄大な眺めを想像します。
しかし、現状では2本とも損傷が大きく、規模は最盛期の半分ほど。
東株の状態は、主幹の側幹のような1本が残ったもの。
近くには、他に切り株があり、東株自体が株立であったか。
西株も損傷が大きく、東側に大きな空洞が開口。姿は縦に割れた巨樹の片割れのよう。
しかし樹皮は厚く、幹の西側は逞しく健全な様子。太い大枝も伸び、大きな樹冠を広げていました。
天神宮のケヤキの魅力、それは西株を西側から眺めた姿でした。
幹周10mという巨樹の太さを、充分に実感でる立姿。
落雷[1]による大きな危機を乗り越え、永い風雪に耐えてきた。
鎧のように重厚な樹皮を練り上げ、喪失を抱えて強く生きる巨樹の威容には、感銘を受けずにはいられません。
巨木と雑記2.天神社の歴史
以下、天神社の歴史を解説板[2]より引用。
詳しい創建年代は不詳。
本殿の棟札には文政2年(1819)の記録がある。
祭神は菅原道真。
岩下郷は鎌倉時代の豪族、海野氏の領地であった。
当時の信仰として天神社が勧請され、
元禄時代から戦前まで、天神講が毎月24日に行われていたという。
現在は毎年4月に祭が行われている。
解説板[2]の最後には気になる記述がありました。
大ケヤキよりも歴史が古いとも云われる槐の木があると。
しかし、訪問時には既に姿はなかった。気になって調べた結果は以下後述。
巨木と雑記3.往時の大ケヤキと槐の姿
大ケヤキの東株は、往時は3本の株立ちだった模様。
大ケヤキの往時の写真や詳細、そして雷に纏わる伝承が
上田市文化財マップ[4]
で紹介されています。興味深い内容なのでご覧をお勧めします。
天神社の解説板[2]に記述のある、本殿前にあるという槐の木。
訪問時、既に槐の姿はありませんがその痕跡が。
本殿の覆屋の窪み(幹を避けるため)と地面に発生している新芽。
槐といえば東御市の巨木(
黒槐の木
)を見てきたばかり。とても気になる往時の様子。
調べてみると、槐の姿が写っている画像を発見。
掲載元の1つは「日本の巨樹巨木」の天神宮のケヤキのページ内。
このウェブサイトは巨樹のスペシャリストであり写真家の高橋弘氏が管理するもの。
掲載元の2つ目はGoogleストリートビューです。以下はその埋め込み。
ストリートビューカーによる撮影年月は2012年6月。残念ながら近年に槐は倒れてしまったのです…。
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