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樹林寺カヤの木
巨木の写真
巨木の詳細
巨木の名前 | 樹林寺カヤの木[1] |
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樹種 | カヤ(榧) | |||
幹周 | 17m[2] | |||
樹高 | 11m[2] | |||
推定樹齢 | 700年[1] | |||
特徴 | 逆円錐形に根本から分散した幹 | |||
保護指定 | 不明 | |||
所在地 | 宮城県大崎市岩出山下一栗宿 | |||
所在施設 | 樹林寺 | |||
撮影日・状態 | 2017.06.10 : 枝先に葉の量が少ない.実の生る雌木.霞桜が1本着生. | |||
アクセス | ||||
車 | ■吉川IC(東北自動車道) 距離:約14km 経由:国道47号線-市道 | |||
電車 | ■池月駅(JR陸羽東線) 距離:約1.8km.駅員の居ない無人の小さな駅舎.陸羽東線の車両は気動車. | |||
備考 | ■カヤの立つ場所 境内の東側に立つ.駐車場や山門の前からは姿はよく見えない. | |||
引用元 | [1]現地指標 :カヤの北側に立つ、名前と樹齢が記されている [2]巨樹巨木林データベース:2000年の環境庁の調査情報 [3]一栗館跡(地図) :現地の道路沿いに解説板あり [4]宮城県神社庁 :古舘八幡神社の情報を参照 | |||
近辺の巨木 | 矢木のカヤ:樹林寺のカヤの木から約5.5km.田畑の中に立つ独立木.大きな霞桜が1本着生. |
巨木と雑記
「樹林寺のカヤ」を環境省の巨樹巨木林データベースで見つけたときは驚愕しました。 なんと幹周17mの大カヤなのです。 そんな怪物のような、クスノキでも稀な巨体になるカヤが、東北は宮城の大崎市に存在したとは…。 しかし、よく登録情報を見ると、単幹の巨木でなく5本以上の株立ちとあり、主幹の幹周は小さいもの。 想像するのはカツラの巨木のような立姿、今までに出会ったことが無いような樹形のカヤの巨木。 強く興味を惹かれて訪れました。[2] 大カヤの境内の東奥、本堂から離れた庫裏の横に立っています。 南側から離れて眺めれば、逆円錐形の樹冠で、 横に伸びる下枝や支幹は少なく、殆どが真上に伸びている事が分かります。 私はこのような多数の株立ちのカヤを見るのは初めて。とても新鮮な姿に映ります。 北側の根本に立つ指標によれば、寺の創建時に植えられた樹齢700年の古木。[1] 大カヤの根本付近は、ぐるっと囲んでも17mには及びません。 巨樹巨木林データベースにある幹周の数値は、各支幹の幹周の合計値なのでしょう。 それでも根本付近の太さは8m以上はありそうで、十分に迫力のある姿。 特に南側から見上げる姿は、山奥で出会うカツラの巨木に似たような姿。 でもやはり、葉や幹の表情や質感はカヤ独特の風格です。 北側から大カヤの姿を眺めていて発見がありました。 支幹の一部の先端に、カスミザクラ(霞桜)と見られる木が着生しているのです。 同じく岩出山地区の「矢木のカヤ」と同じ桜が宿る老カヤ。嬉しい発見です。 5月の晩春、岩出山に再訪したい大カヤが2本。 樹林寺の由緒についてはよく分かりません。 山門の前に由緒の説明を刻んだ石碑(撮影を失念)がありますので、気になる方は訪れた際に目を通してみてください。 ちなみに、樹林寺の西側には、一栗館跡と呼ばれる城跡があるようです。 道路に面した解説板には、室町時代の末期、奥州探題の大崎氏の家臣である一栗兵部隆春の居城であったと。 城の範囲は東西約600m、南北約400m。 一栗館に接する樹林寺は、一栗氏の菩提寺だったのかもしれません。 天正18年(1590)、一栗氏は伊達政宗の軍に抗戦するも敗北し、翌年には大崎氏と共に滅亡。 江戸時代には、大崎氏の元家臣、四釜氏が居住したと云われるそうです。[3] 最後に、樹林寺から近くの南東に鎮座する八幡神社には、イトヒバ(糸檜葉)の巨木があります。 残念ながら、帰宅後に知ることになりました。 一栗氏からの崇敬が厚く、後に岩出山伊達氏からも社領の寄進を受けた古社。 深い杉木立に囲まれた境内の雰囲気もよさそうです。興味のある方は合わせて訪れてみてください。[4]
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