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    田村神社の景勝桜

    巨木の写真

    撮影日:2023.04.01 【01】一時は会津中納言、奥州の最大勢力となった上杉景勝の名を冠する桜 田村神社の景勝桜-01
    【02】 田村神社の景勝桜-02
    【03】 田村神社の景勝桜-03
    【04】 田村神社の景勝桜-04
    【05】 田村神社の景勝桜-05
    【06】 田村神社の景勝桜-06
    【07】 田村神社の景勝桜-07
    【08】 田村神社の景勝桜-08
    【09】 田村神社の景勝桜-09

    巨木の基本情報

    巨木の名前 景勝の桜 [4][6]
    樹種 エドヒガン (江戸彼岸)
    幹周 4.36m (実測)
    樹高 不明 (15.0m前後)
    推定樹齢 400年 [4]
    特徴 単幹、傾いて立ち昇る幹
    保護指定 郡山市指定天然記念物
    所在地 福島県郡山市田村町山中字本郷
    所在施設 田村神社
    撮影日・状態 2023.04.01 : 開化状況は満開から散り始め、樹勢は良い様子、昨年に市の天然記念物に指定された
    アクセス
    東北道・須賀川ICから約9㎞
    電車 JR水郡線・磐城守山駅から1㎞以内
    参考情報 ■現地資料
     [1] 旧大元明王堂絵図   :解説板、内容は下記雑記の写真02を参照
     [2] 田村神社       :解説板、内容は下記雑記の写真03を参照
     [3] 田村神社本殿・脇社々殿:解説板、内容は下記雑記の写真08を参照
     [4] 景勝の桜       :解説板、内容は上記巨木の写真09を参照
     [5] 薬師桜        :解説板、内容は下記雑記の写真13を参照
    ■外部ウェブサイト
     [6] 郡山市ホームページ  :当桜と田村神社の情報あり
     [7] 巨樹巨木林データベース:当巨木は未登録 (2023年4月時点)
    ■少遠景の記録
     [8] 弥明の桜       :郡山市、近い位置にある巨木の桜、広く大きな花笠も見事

    巨木と雑記

     磐城守山駅から北に約1㎞。 国道49号線と谷田川に挟まれた丘の上。守山地区の鎮守である 田村神社 [2][3][6] が鎮座しています。創建は平安時代とされる古社。 境内には多くの桜が植栽されていて、 国道に面した東参道の入口付近には「薬師桜」と呼ばれる大木あります。 そして境内で特に大きな桜は、荘厳な社殿の背後そびえる「景勝の桜」です。 上杉景勝が植えたとの伝承 [4] による命名。 背が高く凛々しい立姿で、社殿と重なる様が神々しく映ります。

     田村神社は桜抜きにしても参拝したい神社でした。 まず立地が面白い。 谷田川が削った急峻な段丘上、 城塞が築かれるようなところです。 表参道の石段にも注目。 つなぎ目の無い部分があることから、 岩盤を削り出して石段としているようです。 岩山の砦みたい。 石段の先には神仏習合の名残である仁王門。 その先には大太鼓の吊るされた山門のような神楽殿。 最奥には荘厳な拝殿と本殿。 拝殿の向拝に彫られた彫刻が見事です。 以下、境内の様子です。

    cm-田村神社-01 【01】表参道の鳥居前。周囲には桜が植栽されていて華やかであった。
    【02】 cm-田村神社-02
    【03】 cm-田村神社-03
    【04】 cm-田村神社-04
    【05】 cm-田村神社-05
    【06】 cm-田村神社-06
    【07】 cm-田村神社-07
    【08】 cm-田村神社-08
    【09】 cm-田村神社-09
    【10】 cm-田村神社-10
    【11】 cm-田村神社-11
    【12】 cm-田村神社-12
    【13】 cm-田村神社-13



     おわりに神社由緒について [2][3][6] 。創建は平安時代初期の大同年間 (806-810) 。 神仏習合の時代、本尊とする大元帥明王の名前を称する寺院でした。 寺院の名残、仁王門に掲げられた額には鎮守山の号。 復元した境内図 [1] を見るに、往時は複数の末寺や僧坊を従える大寺院であったようです。 そんな田村神社には、数多くの社宝が残っているという。 元禄2年 (1689) には松尾芭蕉と弟子の曽良が当社に参拝。 曽良の日記に見学した社宝のことが記されているそうです。 本殿は江戸時代初期の建築で市の文化財。 その内部、本尊の入る厨子は室町時代の作とされ、県の文化財に指定されています。