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    宗光寺のイチョウ

    巨木の写真

    撮影日:2024.06.23 【01】天台宗の名刹である宗光寺の伽藍から南、薬師堂前に根差す大イチョウ 宗光寺のイチョウ-01
    【02】 宗光寺のイチョウ-02
    【03】 宗光寺のイチョウ-03
    【04】 宗光寺のイチョウ-04
    【05】 宗光寺のイチョウ-05
    【06】 宗光寺のイチョウ-06
    【07】 宗光寺のイチョウ-07
    【08】 宗光寺のイチョウ-08
    【09】 宗光寺のイチョウ-09

    巨木の基本情報

    巨木の名前 宗光寺のいちょう (現地標柱)
    樹種 イチョウ (公孫樹)
    幹周 5.20m [1], 5.60m [3], 6.05m (実測)
    樹高 22.0m [1], 21.0m [3]
    推定樹齢 600年 [1]
    特徴 中腹で双幹となり立ち昇り広がる
    保護指定 真岡市指定天然記念物
    所在地 栃木県真岡市長沼
    所在施設 宗光寺
    撮影日・状態 2024.06.23 : 空洞と頭頂部の欠損、それでも枝葉を茂らせ樹冠は大きく樹勢は良さそう、実の生る雌樹
    アクセス
    圏央道・五霞ICから42km、北関東道・宇都宮上三川ICから約18km、真岡ICから約13km
    電車 真岡鐵道・久下田駅から約5km
    参考情報 ■現地解説板
     [1] 宗光寺の由緒と文化財  :内容は下記雑記の写真04-05を参照
    ■外部ウェブサイト
     [2] 宗光寺ホームページ   :由緒や伝承を参考
     [3] 巨樹巨木林データベース :当巨木の登録あり (2000年度の調査記録)
    ■少遠景の記録
     [4] 砂ケ原大杉神社のイチョウ:真岡市内で近辺、横広がりの枝が見事

    巨木と雑記

     真岡市の南西端に位置する旧長沼村の地域。 当地の中央に座す大寺院が宗光寺 [1][2] 。平安時代に創建され、関東における天台宗の別格本山とされてきた名刹です。 荘厳な伽藍から南には、田畑と民家を隔てたところに境内地がある。 そこには薬師堂が建ち、市内最大となる立派な大イチョウが根差しています。 往時はここまで、学僧や参拝者が泊まる宿坊が連なっていたかもしれない。 田園広がる村と名刹の歴史を見守ってきた大イチョウ。 今でも樹勢は良く、空洞をものともせずに枝葉を茂らせています。
     (補足:長沼村は1945年に二宮町に合併、2009年に真岡市に編入)

    cm-宗光寺-01 【01】伽藍の中央に建つ大きな本堂。 天保4年 (1833) に再建された古建築であったが、明治期の火災にて焼失。 現在の本堂は昭和55年 (1980) に再建されたもの。
    【02】 cm-宗光寺-02
    【03】 cm-宗光寺-03
    【04】 cm-宗光寺-04
    【05】 cm-宗光寺-05



     宗光寺の由緒について [1][2] 。嘉祥元年 (848)、慈覚大師による開山。 関東における比叡山たる、天台宗の別格本山とされた。 建久元年 (1190)、当地を領した御家人の長沼宗政が、 源頼朝の本願により、鎌倉大御堂を遷した新御堂を建立。 弘安9年 (1286)、子孫の長沼宗光が、比叡山より盛海法印を迎えて中興。 後に伏見天皇より「新御堂山円頓止観院宗光寺」の勅額を賜る。 以後、関東における天台寺院の中心的な檀林となった。 江戸時代へと入る慶長8年 (1603)、徳川家康の側近も務めた天海大僧正により、 戦乱で荒れていた当山が再興され、現在に至るそうです。

     おわりに宗光寺の「鬼の爪」伝説について。 ときは応永年間 (1394-1428) の頃。 当地から北の砂ケ原に、久左ヱ門という悪者が居たが、やがて病で亡くなった。 すると心優しい村人たちは哀れみ、亡骸を宗光寺へ葬ってやることに。 そうして野辺送りの最中に怪異発生。 突然、晴天に暗雲たちこめ雷鳴轟き、現れた二匹の鬼が亡骸を奪おうとする。 住職の頼真僧正は立ち向かい、真言を唱え独鈷でもって叩き、鬼を退散せしめた。 以上のような伝説らしいです。 なお、折れた鬼の爪なるものが、宋光寺に秘宝として保管されているそうです。