• TOP
  • 巨木
  • 登山
  • 渡良瀬
  • 旅日記
  • 更新履歴
  • PR
  • 巨木TOP / 埼玉 / 鉢形城の桜

    鉢形城の桜

    巨木の写真

    鉢形城の桜(2017.04.07) 【01】日本百名城の1つ鉢形城跡に立つ美しい姿の桜.二ノ曲輪の東に立つ.西側の姿. 鉢形城の桜01
    【02】南側 鉢形城の桜02
    【03】南側 鉢形城の桜03
    【04】西側 鉢形城の桜04
    【05】西側 鉢形城の桜05
    【06】北側 鉢形城の桜06
    【07】北側 鉢形城の桜07
    【08】東側 鉢形城の桜08
    【09】東側 鉢形城の桜09
    【10】東側 鉢形城の桜06
    【11】東側 鉢形城の桜07
    【12】南側 鉢形城の桜08
    【13】南側 鉢形城の桜13
    鉢形城・三ノ曲輪跡の周辺(2017.04.07) 【01】三ノ曲輪(左)と二ノ曲輪の間の堀.堀の奥に両曲輪を繫ぐ馬出. 鉢形城の桜01
    【02】 鉢形城の桜02
    【03】 鉢形城の桜03
    【04】 鉢形城の桜04
    【05】 鉢形城の桜05
    【06】 鉢形城の桜06
    【07】 鉢形城の桜07
    【08】 鉢形城の桜08
    【09】 鉢形城の桜09

    巨木の詳細

    巨木の名前 鉢形城の桜[1]
    樹種 エドヒガン(江戸彼岸)
    幹周 6.5m(根回)[1]
    樹高 18m[1]
    推定樹齢 150年[1]
    特徴 箒状に広がる複数の株立ち
    保護指定 寄居町指定天然記念物
    所在地 埼玉県大里郡寄居町鉢形諏訪1738
    所在施設 鉢形城公園
    撮影日・状態 2017.04.07 : コメント
    アクセス
    ■花園IC(関越自動車道)
      距離:約6km
      経由:国道140-県道296-県道30-町道
    電車 ■鉢形駅(東武東上線)
      距離:約1.5km
      経由:県道30号線を進み正喜橋の手前で左折
    参考情報 ■現地資料
    [1]現地解説板・鉢形城の桜:桜の北側に少し離れて設置(写真なし)
    [2]現地解説板・馬出   :鉢形城跡の二と三ノ曲輪の間にある馬出
    [3]現地解説板・三ノ曲輪 :鉢形城跡の三ノ曲輪の構造と庭園や石積土塁など
    ■Web
    [4]寄居町(公式)    :町の歴史や名前の由来など参照
    [5]鉢形城歴史館     :鉢形城の詳細や歴史について参照
    [6]北条氏那(wiki) :北条氏康の五男、鉢形城を拠点とした戦国武将
    [7]正龍寺(地図リンク) :北条氏那の墓所のあるお寺(寄居町藤田)

    巨木と雑記1.寄居町について

     埼玉県の西部に位置する秩父地方へ、荒川沿いに移動するルート(国道140号線など)。 山間部と荒川の渓谷が始まる玄関口に位置しているのが寄居町。 秩父往還道の宿場町、花園城(藤田氏)や鉢形城(後北条氏)の城下町としても栄えてきた地域です。
     寄居という珍しい名前の由来について。 新編武蔵風土記稿によれば、戦国後期に鉢形城が落城した後、甲州や小田原から浪士などが集ってきたのが由来と記されているそうです。 その他、城の周囲に築かれた集落などが、寄居と呼ばれていたとか。 ご紹介する桜がある鉢形城に、町名が深く関わっていたということです。[4]

     寄居町には有名な夏祭り「寄居玉淀水天宮祭」があります。 荒川の名勝地とされる玉淀の区間で、提灯で飾られた舟の山車と花火との共演。 川面と夜空を照らす、美しく幻想的な光景。 私も機会があれば、一度は目にしたいと思っています。[4]

    巨木と雑記2.鉢形城の桜

     鉢形城の桜は、荒川の左岸の段丘上にある鉢形城公園の中心付近にあります。 二ノ曲輪の東側にある塁壁の斜面。 北には伝御殿下曲輪の塁壁、東には外曲輪へ通じる道を守った虎口の土塁が見られます。

     この桜の特徴は、複数の幹からなる株立。 しかし姿は歪でなく、全体的に扇状に整った樹冠。 満開となった花笠は美しいものでした。 解説板[1]によると、幹の本数は12本。 かつては、隣り合う2本の桜でしたが、伐採後に時を経て、現在の姿に成長を遂げたそうです。

     この桜は立姿は美しく、開けた高台という周囲の景観にも恵まれています。 青空と城の遺構である土塁を背景に咲き誇る見事な大桜。 そして、日本百名城の1つである鉢形城の遺構の見学も、実に興味深いもの。 秩父地方にて何度も訪れたい桜の1本が、また1つ増えることになりました。

    巨木と雑記3.鉢形城の歴史

     当日は滞在時間に余裕が無く、城の遺構はの見学は、 駐車場に近い三ノ曲輪の周辺だけに留めました。城の遺構の写真が少ないのはそのため。 なお、地図中の曲輪の位置は、現地解説板や鉢形城歴史館の資料を基に作成。 虎口の前を守る小さな曲輪・馬出は、鉢形城内には全部で6箇所あるそうですが、すべての所在は分かりませんでした。 城の詳細な模型図が鉢形城歴史館で展示されているので、興味のある方は見学されてください。[2・3・5]

     鉢形城跡は国市指定史跡であり日本百名城の1つ。 荒川と深沢川に挟まれた断崖という、天然の要害に築かれた名城。 初期の築城は、文明8年(1476)に関東管領であった山内上杉氏の家臣である長尾景春と伝えられます。 その後、武蔵国を後北条氏が勢力下とし、北条氏康の四男・氏那が城主となり、城を現在の規模に整備拡張。 鉢形城は、後北条氏の北関東支配の拠点となりました。[5・6]

     天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原征伐後の際は、 前田利家・上杉景勝などの連合軍との攻防戦を展開。 1ヶ月余りに及ぶ戦いの後、北条氏那は城兵の助命を条件に降伏。 開城後は、徳川家康の配下の成瀬正一・日下部定好が代官となり統治したそうです。[5・6]

     小田原征伐後の北条氏那は、前田利家の家臣となり生き延びます。 慶長2年(1597)に加賀金沢で病没、遺骸は鉢形に戻され、現・寄居町の正龍寺で妻と共に供養されました。[6・7]