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鉢形城の桜
巨木の写真
巨木の詳細
巨木の名前 | 鉢形城の桜 [1] |
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樹種 | エドヒガン (江戸彼岸) | |||
幹周 | 6.50m [1] | |||
樹高 | 18.0m [1] | |||
推定樹齢 | 150年 [1] | |||
特徴 | 箒状に広がる複数の株立ち | |||
保護指定 | 寄居町指定天然記念物 | |||
所在地 | 埼玉県大里郡寄居町鉢形諏訪 1738 | |||
所在施設 | 鉢形城公園 | |||
撮影日・状態 | 2017.04.07 : 目立つ損傷なく樹勢は良い様子、樹冠はけっこう広い | |||
アクセス | ||||
車 | 関越道・花園ICから約6㎞ | |||
電車 | 東武東上線・鉢形駅から約2㎞ | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 解説板・鉢形城の桜:桜の北側に少し離れて設置(写真なし) [2] 解説板・馬出 :鉢形城跡の二と三ノ曲輪の間にある馬出 [3] 解説板・三ノ曲輪 :鉢形城跡の三ノ曲輪の構造と庭園や石積土塁など ■外部ウェブサイト [4] 寄居町ホームページ:町の歴史や鉢形城について参照 [5] ウィキペディア :北条氏那について参照 ■少遠景の記録 [6] 姥宮神社のスギ :寄居町で最寄りの巨木、御神木の大スギが3本 |
巨木と雑記.名城跡に咲き誇る大桜
埼玉県の西部、秩父地方への玄関口に位置する寄居町。 秩父往還道の宿場町、鉢形城の城下町としても栄えてきたところです。 鉢形城 [4] は荒川左岸の段丘上に築かれた堅城。 日本百名城のひとつにして国指定史跡。 大規模な遺構が保存されていて、今は公園として整備されています。 さて、大桜があるのは城郭の中心部あたり。 二ノ曲輪の東側にあたる塁壁上に根差しています。 樹容は複数の幹からなる株立。 現地解説板 [1] によると幹は12本もあるらしい。 かつて伐採された後、たくさんの支幹を立ち昇らせて復活。 じつに逞しい大桜です。 株立ちでも樹容は歪でなく、樹冠は扇状に整っていて、満開の花笠は美しい。 各幹は細くても太い根元には貫禄があります。 そして周囲の景観にも恵まれている。 近くに建物がない開けた高台。 青空と土塁や枡形など城遺構だけが背景となる。 名城の見学と併せて、埼玉県でもお勧めの大桜です。
巨木と雑記.鉢形城の歴史
当日は滞在時間に余裕が無く、城跡の見学は駐車場に近い三ノ曲輪の周辺だけに留めました。 以下にある城跡の写真が少ないのはそのため。 なお、地図中の曲輪の位置は、現地解説板 [2][3] や鉢形城歴史館 [4] の資料を基に作成。虎口の前を守る小さな曲輪・馬出は、 鉢形城内には全部で6箇所あるそうですが、すべての所在は分かりませんでした。 城の詳細な模型図が鉢形城歴史館で展示されているので、興味のある方は見学してみてください。 鉢形城 [4] は荒川と深沢川に挟まれた断崖という、天然の要害に築かれた名城。 初期の築城は、文明8年 (1476) に関東管領であった山内上杉氏の家臣、長尾景春と伝えられます。 その後、武蔵国を後北条氏が勢力下とし、北条氏康の四男・氏那 [5] が城主となり、城を現在の規模に整備拡張。 鉢形城は、後北条氏の北関東支配の拠点となりました。 天正18年 (1590) の豊臣秀吉による小田原征伐後の際は、 前田利家・上杉景勝などの連合軍との攻防戦を展開。 1ヶ月余りに及ぶ戦いの後、北条氏那は城兵の助命を条件に降伏。 開城後は、徳川家康の配下の成瀬正一・日下部定好が代官となり統治したそうです。 ちなみに、小田原征伐後の北条氏那は、前田利家の家臣となり生き延びます。 慶長2年(1597)に加賀金沢で病没。 遺骸は鉢形に戻され、寄居町の正龍寺 (地図リンク) で妻と共に供養されました。
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