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    毛呂山町景観樹木第1号 (クスノキ)

    巨木の写真

    撮影日:2023.09.21 【01】福祉会館の建つここは毛呂尋常小学校跡、大勢の子供たちも見守ってきたクスノキ 毛呂山町景観樹木第1号-01
    【02】 毛呂山町景観樹木第1号-02
    【03】 毛呂山町景観樹木第1号-03
    【04】 毛呂山町景観樹木第1号-04
    【05】 毛呂山町景観樹木第1号-05

    巨木の基本情報

    巨木の名前 毛呂山町景観樹木第1号 [1]
    樹種 クスノキ (楠)
    幹周 4.87m (実測)
    樹高 不明 (20m前後)
    推定樹齢 不明
    特徴 単幹、球形の樹冠
    保護指定 毛呂山町景観樹木
    所在地 埼玉県入間郡毛呂山町岩井西5丁目
    所在施設 毛呂山町福祉会館
    撮影日・状態 2023.09.21 : 目立つ損傷なく樹勢良し、更なる成長が期待できそう
    アクセス
    関越道・坂戸西スマートICから約8km
    電車 八高線・毛呂駅から約500m、東武生越線・東毛呂駅から約1km
    参考情報 ■現地資料
     [1] 毛呂山町景観樹木の標識:内容は下記雑記の巨木の写真を参照
     [2] 出雲伊波比神社の由緒 :内容は下記雑記の神社の写真03を参照
     [3] 出雲伊波比神社の流鏑馬:内容は下記雑記の神社の写真05を参照
    ■外部ウェブサイト
     [4] 毛呂山町ホームページ :毛呂山町の町名について参考
     [5] 出雲伊波比神社    :由緒と流鏑馬について参考
     [6] 巨樹巨木林データベース:当巨木は未登録 (2023年9月時点)
    ■少遠景の記録
     [7] 金毘羅様のスダジイ  :毛呂山町、行蔵寺のすぐ南にある丘に鎮座
     [8] 桂木のタブノキ林   :毛呂山町、桂木観音の近く、県内では珍しいタブノキの自然林

    巨木と雑記.毛呂山町のシンボルツリー

     毛呂山町 [4] の中心部にある広大な鎮守の森、出雲伊波比神社 (後述)。 その隣に建つ福祉会館の敷地には、立派なクスノキが根差しています。 明治期のここは、旧毛呂村の尋常小学校が置かれたところ。 今から100余年ほど前の学校設立時は、クスノキもまだ若木だったことでしょう。 昭和50年代になると小学校は南に移設され、現在の毛呂山小学校となり、 跡地に福祉会館が建ちました。 町の発展と大勢の子供たちを見守りながら、ともに成長してきたクスノキ。 景観樹木の第1号に相応しい、毛呂山町のシンボルツリーです。 ちなみに、隣接する出雲伊波比神社にはクスノキの大木が多い。 昔の当地には、クスノキの天然林が広がっていたように思えます。

    cm-毛呂山町景観樹木第1号-01 根本に置かれた毛呂山町景観樹木の標識。

    巨木と雑記.出雲伊波比神社

     毛呂山町の総鎮守である出雲伊波比 (いずもいわい) 神社 [2][5] 。まちの中心部にある丘を覆う広大な森で、周囲の低地よりも20mほど高い。 龍が地に臥して生まれた山との伝説があり、臥龍山とも呼ばれています。 創建から1000年以上の歴史を有し、 入間郡に鎮座する神社の中でも筆頭とされた、格式高い古社です。 表参道は隣接する福祉会館の南側から。 入って行くと緑豊かな社叢、そして立派な拝殿が目を引きます。 その背後に建つ本殿は室町後期の建立、 県内最古級とされる神社建築であり国指定重要文化財。 また当社は流鏑馬の祭礼でも有名です。 毎年、春 (3月) と秋 (11月) の2回にわたって行われる。 流鏑馬としては珍しく騎手は子供で、 地元の小学生や中学生の少年たちが務めるもの。 艶やかな衣装に身を包んだ若武者たちが、境内や町内を駆け抜けます。

    cm-出雲伊波比神社-01 【01】拝殿の前。右奥に旧八幡宮の社。
    【02】 cm-出雲伊波比神社-02
    【03】 cm-出雲伊波比神社-03
    【04】 cm-出雲伊波比神社-04
    【05】 cm-出雲伊波比神社-05



     出雲伊波比神社の由緒について [2][3][5] 。主祭神は大国主神と天穂日命の二柱。 創祀は社伝によると景行天皇の御代、日本武尊が東征の際に当地で戦勝祈願。 その後、凱旋のとき奉斎として従者の大伴武日に命じ、社殿を建立したと伝わる。 奈良時代には、既に出雲伊波比という社名で存在していた記録あり。 朝廷の公文書である太政官符のうち、宝亀3年 (772) 発行のものに、 社名と官幣を受けたことが記述されているそうです。 また、延喜式神明帳にも記載のある官社 (式内社) でした。 平安時代の末期から戦国時代にかけて、 当地を領した毛呂氏から崇敬。 現在の本殿は享禄元年 (1528)、毛呂顕繁により再建されたもの。 県内最古級の神社建築であり、国指定重要文化財です。

     年2回奉納される流鏑馬神事について。 まず春の流鏑馬。 祭日は3月の第2週の日曜日。 騎手は就学前の男児が務め、付添人たちともに街中を巡る。 その後、境内の馬場にて願的 (がんまとう) を騎射し、郷中の安全を祈願するもの。 起源は平安時代の康平6年 (1063)、 源頼義・義家の父子が奥州平定の途次に当社に戦勝祈願。 凱旋後に流鏑馬を奉納したのがはじまりと伝わるそうです。 また、摂社である八幡宮も、そのときが創祀とされます。
     秋の流鏑馬。 祭日は11月3日。 騎手は町内の各地区から当番制で、小学校高学年から中学生の少年が担う。 流鏑馬は午前の朝的 (あさまとう)、午後の夕的 (ゆうまとう) の2回に分けて行われる。 秋の流鏑馬は、摂社の飛来大明神の祭礼の流れをくむとされます。 飛来大明神は鎌倉時代の建久3年 (1191)、 雷光とともに飛来してきたという天女像を祀っているそうです。