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    高柳香取神社のヒマラヤスギ

    巨木の写真

    撮影日:2026.01.06 【01】社殿とともに古利根川が運んだ砂丘の上にそびえ立つヒマラヤスギ 高柳香取神社のヒマラヤスギ-01
    【02】 高柳香取神社のヒマラヤスギ-02
    【03】 高柳香取神社のヒマラヤスギ-03
    【04】 高柳香取神社のヒマラヤスギ-04
    【05】 高柳香取神社のヒマラヤスギ-05
    【06】 高柳香取神社のヒマラヤスギ-06
    【07】 高柳香取神社のヒマラヤスギ-07
    【08】 高柳香取神社のヒマラヤスギ-08
    【09】 高柳香取神社のヒマラヤスギ-09

    巨木の基本情報

    巨木の名前 高柳香取神社のヒマラヤスギ (仮)
    樹種 ヒマラヤスギ
    幹周 3.06m (実測)
    樹高 不明 (25m以上)
    推定樹齢 不明 (100年前後)
    特徴 単幹、円錐形の樹冠
    保護指定 未指定
    所在地 埼玉県久喜市高柳字里原 (旧栗橋町の地域)
    所在施設 香取神社
    撮影日 2026.01.06 : 樹勢良好、下枝の一部は狛犬の位置まで下がっている
    アクセス
    東北道・久喜ICから約7km、加須ICから約4km
    電車 JR東鷲宮駅 (宇都宮線・湘南新宿線) から約4km、栗橋駅から約4km (東武日光線あり)
    参考情報 ■書籍
     [1] 栗橋町の歴史と文化財  :発行・栗橋町教育委員会、昭和57年 (1982) 3月31日
                    ⇒ 第10節 / 栗橋町の宗教施設と庚申塔 / No'4 香取神社 (P.245)
     [2] 久喜市栗橋町史・民俗Ⅲ :発行・久喜市教育委員会、平成23年 (2011) 3月14日
                    ⇒ 第3部 信仰 / 第1章 神社と寺 / 10.高柳 / 香取神社 (P.99)
     [3] 栗橋町郷土誌・静村郷土誌:発行・久喜市教育委員会、平成25年 (2013) 3月
                    ⇒ 第7章 / 社寺及名所旧跡 / 第1節 神社 / 5.香取神社 (P.186)
    ■外部ウェブサイト
     [4] 栗橋総鎮守八坂神社   :宮司様は高柳八坂神社の管理も兼務されている
     [5] 久喜市ホームページ   :上記3冊の書籍は栗橋文化会館図書室にて閲覧可能
    ■少遠景の記録
     [5] 鷲宮神社の社叢     :久喜市、旧鷲宮町の鎮守にして関東有数の古社 (当地から近い)
     [6] 幸福寺のサイカチ    :久喜市、久喜市、旧菖蒲町、県内最大級のサイカチ、本多静六記念館も紹介

    巨木と雑記.はじめに

     本巨木は2026年1月中に伐採されることを人伝に知りました。 諸事情あって氏子の方々が数年前から協議してきた結果、やむなく伐採する運びとなったそうです。 高柳香取神社の御神木であり、境内の威厳と美観を高めている存在。 この断腸の決断、心を痛めている氏子の方も多いことでしょう。 伐採の前には、旧栗橋町の総鎮守である八坂神社 [4] の宮司様によるお祓いが行われるそうです。 1月初旬、このヒマラヤスギの姿を写真に残したいと考え、参拝しました。

    cm-高柳香取神社-01 【01】100年近くにわたり、神社と氏子の方々を見守ってきたであろう御神木のヒマラヤスギ。 今、その役目を全うしようとしている。

    巨木と雑記.高柳香取神社

     久喜市の北部、中川左岸に接した地区の高柳。 当地の総鎮守が里原に鎮座する香取神社 (由緒は後述) です。 社殿の建つ円墳のような土盛りは、じつは自然堤防。 かつて西側を流下していた、古利根川が運んだ土砂なのです。 そんな地理的資料でもある砂丘に、そびえたつ御神木のヒマラヤスギ。 背の高い円錐形に整った樹冠が、立地と相まってよく目立つ。 埼玉県でも有数の見事なヒマラヤスギです。 下枝の一部が狛犬のところまで垂れて、参拝者の頭を撫でているように映りました。

    cm-高柳香取神社-02 【02】高柳香取神社のシンボルツリー。砂丘の高さを合わせれば、樹高は40mほどになるだろうか。 遠くからも梢が見えて、鎮守はここにあり!と伝える存在。
    cm-高柳香取神社-03 【03】社殿手前の狛犬の上まで下枝の一部が垂れている。枝先と握手した。
    cm-高柳香取神社-04 【04】国土理知院地図の河川の旧流路が分かる治水地形分類図より。 +印の位置が高柳香取神社。東から二分した利根川の旧流路である浅間川と会の川、 北側からは渡良瀬川が合流、古利根川となり流下していった。 ここは洪水多発地帯、水難除けの祈願は切実であった。



     高柳香取神社の由緒 [1] [2] [3] について。 創建の由緒は不詳ながら、 江戸時代の初期までには勧請されていたことを示す記録があります。 それは、寛永3年 (1626) の洪水により、社殿が元の鎮座地 (字神取前) から現在地に流されたこと。 元禄10年 (1697)、検地により社領を認められたことなど。 高柳村の総鎮守として信仰され、明治6年 (1873) には村社に列した、歴史ある神社です。