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鷲宮神社の社叢
巨木の写真
      
    
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      巨木の基本情報
| 巨木名 | 鷲宮神社の社叢 (仮) | 
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|---|---|---|---|---|
| 樹種 | クスノキ (楠)、カヤ(榧)、イチョウ (公孫樹) | |||
| 幹周 | クスノキ:3.80m [3] カヤ :3.60m [3] イチョウ:不明 (直径約1.7m ⇒ 幹周約5.34m) | |||
| 樹高 | クスノキ:20.0m [3] カヤ :25.0m [3] イチョウ:不明 (5m以下) | |||
| 推定樹齢 | 不明 | |||
| 保護指定 | 不明 | |||
| 所在地 | 鷲宮神社 (埼玉県久喜市鷲宮1丁目) | |||
| 撮影日 | 2025.09.07 : クスノキとカヤは樹勢良し、イチョウは近年にヒコバエが剪定された様子 | |||
| アクセス | ||||
| 車 | 東北道・久喜ICから約6km、加須ICから約5km | |||
| 電車 | 東武伊勢崎線・鷲宮駅から徒歩約500m | |||
| 参考情報 | ■外部ウェブサイト [1] 鷲宮神社ホームページ :鷲宮神社の由緒と文化財について参考 [2] 久喜市ホームページ :鷲宮神社の由緒と文化財について参考 [3] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録) [4] 国立国会図書館 :デジタルコレクションより新編武蔵風土記稿を参考 (鷲宮村・鷲宮神社) ■少遠景の記録 [5] 旧渡辺多門家のタブノキ:久喜市、旧鷲宮町、旧上川崎村の名主を務めた渡辺家の門前に根差す | |||
巨木と雑記
久喜市北部の旧鷲宮町に鎮座する鷲宮神社 [1] [2] は、埼玉県内でも特に有名な神社の一座。 関東最古級の神社と云われ、埼玉県の東部を占める広域、武蔵国太田庄の総鎮守とされました。 吾妻鏡に記録があるように、鎌倉幕府から東国鎮護の神として崇敬。 以後、室町幕府、古河公方、関東における数々の有力武将からも崇敬。 徳川幕府からは400石もの神領を受けた大社です。(神社由緒の詳細は後述) 広大な鷲宮神社の境内。 3ヘクタール以上ありそうな境内の殆どは、 豊かな樹林に覆われいて、その景観はまさしく荘厳な鎮守の森です。 そんな境内で目立つ巨木は、拝殿前の映える位置に根差すクスノキ、 絵馬の懸けられたカヤ、ヒコバエが伸びた大イチョウの切り株などでしょうか。 また、広い境内林の中には小径が伸びていて、境内社も点在するので、 一周してみてください。
  
  
  
  
  
  
  
  鷲宮神社の創建の由緒 [1] について。 神代の昔、天穂日命と御子の武夷鳥命が東国を治めるため、 共の昌彦と昌武の父子および、出雲の27人の部族など率いて当地へ辿り着いた。 そのとき、大己貴命 (大国主神) を祀る神崎神社を建てたのが創祀とされ、 後に天穂日命を祀るために建てられた別宮が、現在の本殿と繋がるそうです。 続いて、新編武蔵風土記稿 (巻211 / 埼玉郡 13巻 / 鷲宮村) にある鷲宮神社の記録。 国立国会図書館デジタルコレクション [4] で閲覧可能。 該当ページの検索キーとなる永続的識別子とコマ番号「764009 / 10」です。 それによると、日本書紀に天穂日命は、 出雲の臣、武蔵国造、土師氏などの遠縁と記されている。 故に鷲宮神社は土師 (はじ) 氏による創建であり、 土師宮が訛って鷲宮 (はじのみや ⇒ わしのみや) となったと指摘。 なお、鷲宮神社で奉納される神楽には、催馬神楽というものがあります。 正規名称は「土師一流催馬楽神楽」と呼ばれ、古くは「土師の舞」と呼ばれ、 関東神楽の源流とされるそうです。 引き続いて新編武蔵風土記稿より、吾妻鏡にあるという鷲宮神社の記録から2件。 建久4年 (1193) 11月18日。 太田荘鷲宮の御宝前に血が流れている凶事があった。 卜筮 (占い) により戦の兆しありと出たので、榛谷重朝を使者として派遣。 神馬の奉納および社壇を荘厳にした。 次に建長3年 (1251) 4月13日。 相州 (5代執権相模守北条時頼) が鷲大明神に奉幣使を派遣しようとたころ、 三嶋大社の神事と重なり、宮司から他社への奉幣に苦言があった。 このため、鷲宮大明神の方は若宮別当法印 (鶴岡八幡宮別当の隆弁) に向かわせた。 4月22日、若宮別当法印は鎌倉に帰参。 御祈願成就に奇瑞あり、4月19日に奉納した神楽では託宣があり厳かであったという。 以上のことから、何かあれば直ちに有力御家人や鶴岡八幡宮別当が派遣されるほど、 鎌倉幕府にとって重要な神社であったことが分かります。
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