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  • 巨木TOP / 埼玉 / 仲町愛宕神社のケヤキ

    仲町愛宕神社のケヤキ

    巨木の写真

    撮影日:2025.09.16 【01】初代本庄藩主が勧請したという墳丘上の愛宕神社、御神木は相生二柱の大ケヤキ 仲町愛宕神社のケヤキ-01
    【02】 仲町愛宕神社のケヤキ-02
    【03】 仲町愛宕神社のケヤキ-03
    【04】 仲町愛宕神社のケヤキ-04
    【05】 仲町愛宕神社のケヤキ-05
    【06】 仲町愛宕神社のケヤキ-06
    【07】 仲町愛宕神社のケヤキ-07
    【08】 仲町愛宕神社のケヤキ-08
    【09】 仲町愛宕神社のケヤキ-09

    巨木の基本情報

    巨木の名前 仲町愛宕神社のケヤキ [2]
    樹種 ケヤキ (欅)
    幹周 4.00m / 4.30m [2], 4.19m / 4.19m [3]
    樹高 12.0m / 14.0m [3]
    推定樹齢 不明
    特徴 南北2本、根本が連理で一体化
    保護指定 本庄市指定天然記念物
    所在地 埼玉県本庄市中央1丁目
    所在施設 仲町愛宕神社
    撮影日・状態 2025.09.16 : 両木とも頭頂部枝折れだが樹冠は広く樹勢良し、大凡の幹の直径約1.5m (幹周4.71m相当)
    アクセス
    関越道・本庄児玉ICから約4km (駐車場なし注意)
    電車 JR本庄駅 (高崎線・湘南新宿線) から徒歩約800m
    参考情報 ■現地資料
     [1] 愛宕神社の由緒    :解説板、内容は下記雑記の写真02-03を参照
    ■外部ウェブサイト
     [2] 本庄市ホームページ   :当巨木の情報あり
     [3] 巨樹巨木林データベース :当巨木の登録あり (2000年度の調査記録)
    ■少遠景の記録
     [4] 城山稲荷神社のケヤキ  :本庄市街地、本庄城の守護神として創建、御神木は市内最大の巨木
     [5] 本庄金鑚神社のクスノキ :本庄市街地、本庄宿の総鎮守、御神木は北関東で最大級のケヤキ
     [6] 牧西八幡大神神社のケヤキ:本庄の東部、旧中山道に面した神社

    巨木と雑記

     本庄市役所から南西には、住宅地の中に愛宕山と呼ばれる古墳。 その真上には愛宕神社が建ち、参道石段の傍らには、御神木のケヤキが根差しています。 根本が繋がりひとつとなった相生の二柱。 地元の方々からは夫婦ケヤキなどと呼ばれ、親しまれていそうです。 それにしても、墳丘の斜面を覆う、広範囲に隆起した根元がじつに逞しい。 正面 (西側) の根本から見仰ぐ姿が素晴らしく、幹周以上の迫力がありました。 また、住宅地にありながら静かで安らげる雰囲気。 二柱ともに樹勢はよく、大きな樹冠で墳丘を包み、この霊場の威厳を高めています。

    cm-仲町愛宕神社-01 【01】愛宕神社の社殿。明治以前は北側にある開善寺の境内社であった (神社由緒の詳細は後述)。
    【02】 cm-仲町愛宕神社-02
    【03】 cm-仲町愛宕神社-03
    【04】 cm-仲町愛宕神社-04
    【05】 cm-仲町愛宕神社-05



     仲町愛宕神社の由緒 [1] について。昭和2年 (1927) に発行された地誌の武蔵国児玉郡誌には、 天正19年 (1591) に本庄城主の小笠原信嶺の勧請、との旨が記されているそうです。 その前年の天正18年、徳川家康と共に家臣の信嶺は関東に入り、 本庄藩の初代藩主となります。 本庄城の跡地は、市役所と城山稲荷神社 [4] がある一帯。信嶺は城の整備とともに、菩提寺となる開善寺を開きます。 愛宕神社は開善寺のすぐ南に位置するので、寺の鎮護としたのでしょう。 新編武蔵風土記稿には、愛宕神社は開善寺の境内社として記されているそうです。

     明治の神仏分離以後は、開善寺の管轄を離れ、地元仲町の人々によって守られてきた鎮守。 街中に立派な大ケヤキが息づいている事からも、 崇敬され大切にされていることが伝わってきます。 なお、愛宕神社の本地仏である勝軍地蔵木像は、 開善寺に移され祀られているそうです。