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小田原城址公園の巨木
巨木の写真
巨木の詳細
巨木の名前 |
A木:イヌマキ B木:巨松 C木:御感の藤 D木:ビャクシン |
幹周/樹高 |
A木:4.5m / 20.0m [1] B木:5.3m / 28.0m [1] C木:不明 D木:3.1m / 15.0m [1] |
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樹種 |
A木:イヌマキ(犬槇) B木:クロマツ(黒松) C木:ノダフジ(野田藤) D木:ビャクシン(柏槇) |
推定樹齢 |
A木:不明 B木:520年以上 [3] C木:200年(現地解説板より) D木:不明 |
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保護指定 | 小田原市指定天然記念物 | 撮影日 | 2015.06.23 | |
所在地 | 神奈川県小田原市城内(小田原城址公園) | |||
アクセス | ||||
車 | 西湘バイパス・小田原ICから約2km(南入口・御茶壺橋に近い藤棚臨時駐車場の場合) | |||
電車 | 小田原駅から北入口まで約500m、正面入り口まで約900m、南入口まで約1km | |||
備考 |
駐車場は城址公園の中には無く周囲の有料駐車場を使う(園内にあるのはバス専用駐車場) |
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参考情報 |
■外部ウェブサイト
[1] 巨樹巨木林データベース:小田原城址公園内の巨木は登録あり(2000年度の調査記録) [2] 小田原市観光協会 :市内の観光地では個人的に石垣山城跡が気になっている [3] 小田原城ホームページ :小田原城の公式サイト、園内マップの巨木の位置も表示 ■少遠景 [4] 旅日記・小田原城址公園:公園内を散策した記録、写真多め [5] 巨木・早川のビランジュ:小田原市内にある珍しい樹種の巨木 |
巨木の地図
遺構・建物・巨木、等の位置を細かく示しています。フルスクリーンでご覧ください。
巨木と雑記.小田原城の巨木たち
相模湾に面した小田原市の市街中心部に、戦国時代に北条氏の関東支配の拠点となった小田原城の本丸がありました。
市街中心部の殆どは、本丸を囲む二の丸と三の丸の内側でした。
現在は本丸と二の丸の一部の遺構が小田原城址公園として市で管理されています。
当時の面影を残す堀と石垣に囲まれた広大な城址公園は、遺構の上に見事な城門や天守閣が再現されています。
そんな城址公園の魅力は、復元された大変貴重な遺構だけでなく、ここを住まいとして生き続けている巨木にもあります。
長い歴史を持つ神社仏閣や、有力者の城館には巨木が残っていることが多く、
小田原城跡も然りでした。
堀や石垣の側に、クロマツやクスノキの大木が並んでいます。
このうち、小田原市の天然記念物の保護指定を受けて名前のある巨木が、
以下の4本です。場所は上記の地図を参照ください。
巨木は以下4本以外にも、幹周が4メートル近いクスノキやクロマツが多いので探してみてください。
小田原城址公園、見事な遺構(天守閣からの眺めも素晴らしい)と見事な巨木に大満足でした。
なお、小田原城址公園の巨木以外の様子は、「
旅日記・小田原城址公園
」をご覧ください。
・イヌマキ :二の丸、歴史見聞館の前に立つ。風銅門の北側にも立派なイヌマキあり。
・巨松 :本丸、常盤木門の側に立つ。城のシンボル的な巨木。
・御感の藤 :南入口(藤棚交差点・御茶壺橋の横)の前。
・ビャクシン:二の丸、銅門の奥に立つ古木。
巨木と雑記.小田原城の歴史
以下、現地解説板や小田原城 [3] などから。 元は駿河群の土豪の大森氏が築城した山城とされる(応永24年・1417以降か?)。 明応4年(1495)頃に北条早雲が小田原城を攻め、文亀元年(1501)頃までに奪取。 以後、北条氏の関東支配の拠点となり大規模改修され、上杉謙信や武田信玄の侵攻に耐えた。 天正18年(1590)に豊臣秀吉による大規模な小田原攻めが起きる。 10万以上の大軍勢による包囲網と、別働隊による支城の各個撃破により、約3ヶ月で開城した。 このときの城郭が最大規模だったとされ、総構の中核部は二の丸と三の丸の総堀。 そして外の城下町を囲む土塁と空堀の総構掘の全長は9キロメートルに達したとされる。 戦後に徳川家の大久保氏の居城となり規模を縮小、後に寛永年間に稲葉氏の居城となるが、 再び大久保氏の居城の状態が続き、明治3年(1870)に小田原城は廃城となり売却。 明治34年(1901)に皇室の別荘である御用邸が建てられる。 昭和2年(1927)に地元自治体に払い下げられ、 昭和13年(1938)に国指定史跡に指定され現在に至り小田原市で管理している。 最後に御感の藤について。 元は小田原藩主の大久保公の鉢植えだったとされ、明治維新後に市民の手に渡り育てられる。 明治維新後に森元氏、明治16年から西村氏の手により管理。 大正天皇が皇太子のとき、小田原御用邸に滞在中のある日の出来事。 西村邸の前を通った際、召馬が藤棚の下に駆け入り、殿下の肩に花が散りかかってしまった。 周囲の人々が恐縮する中で殿下は「見事な花に心なきことよ」と感嘆。 このことから「御感の藤」と呼ばれるようになったそう。 大正11年3月、小田原保勝会の人々により、西村家からこの地に移植され現在に至るそうです。
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