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    小田原城址公園 (2015/06)

    6月中旬、神奈川県へ趣味の巨木巡りに出かけました。 訪れた地域は、北は西丹沢の足柄上郡から、南は相模湾に面した小田原まで、 1日で5地点の巨木を拝観することができました。 それぞれの地で個性的で見事な巨木を拝観でき大満足でした。 最後に訪れた場所が小田原市の中心部にある国指定の史跡である小田原城址公園です。 巨木目当てで訪れた場所でしたが、城郭や天守閣など見事な遺構に感激してしまったので、 旅日記としての記録を作ることにしました。
    (写真:小田原城の天守閣)

    1.はじめに

     巨木目当てで訪れた小田原城址公園は、残された遺構や復元された城郭や天守閣などが素晴らしく、 巨木巡りの記録と共に、旅日記の記録としても作りました。 二の丸の内部の様子と、本丸と天守閣の様子の、2つの構成に分けていますのでご覧下さい。 城址公園内の詳しい巨木については巨木巡りの記録「 神奈川県の巨木・小田原城址公園の巨木 」をご覧ください。 以下は小田原城の歴史の概略ですので不要なら読み飛ばして下さい。

    【 小田原城址公園について 】
      小田原市の市街中心部に残された、戦国時代に北条氏の関東支配の拠点となった
      小田原城の本丸を中心とした遺構。市街中心部の殆どは、本丸を囲む二の丸と三の丸の内側だった。
      現在は本丸と二の丸の一部の遺構が小田原城址公園として市で管理されている。
      当時の面影を残す堀と石垣に囲まれた園内は、遺構の上に見事な城門や天守閣が復元されている。
      本丸の北側にある城米曲輪は、平成22年から現在(平成27年7月)まで発掘調査中である。
      天守閣や歴史見聞館では、所蔵された古文書・絵画・工芸品・武具などを見学できる。

    【 小田原城の歴史 】
      駿河群の土豪の大森氏が築城した山城が元とされる(応永24年・1417以降か?)
      明応4年(1495)頃に北条早雲が小田原城を攻め、文亀元年(1501)頃まで奪取した。
      以後、北条氏の関東支配の拠点となり大規模改修され、上杉謙信や武田信玄の侵攻に耐えた。
      天正18年(1590)に豊臣秀吉による大規模な小田原攻めが起きる。
      10万以上の大軍勢による包囲網と、別働隊による支城の各個撃破により、約3ヶ月で開城した。
      このときの城郭が最大規模だったとされ、総構の中核部は二の丸と三の丸の総堀。そして外の
      城下町を囲む土塁と空堀の総構掘の全長は9キロメートルに達したとされる。
      戦後に徳川家の大久保氏の居城となり規模を縮小、後に寛永年間に稲葉氏の居城となるが、
      再び大久保氏の居城の状態が続き、明治3年(1870)に小田原城は廃城となり売却。
      明治34年(1901)に皇室の別荘である御用邸が建てられる。
      昭和2年(1927)に地元自治体に払い下げられ、
      昭和13年(1938)に国指定史跡に指定され現在に至り小田原市で管理している。
      南西約3kmに石垣山城がある。

    【  石垣山城 】
      豊臣秀吉が天正18年(1590)に小田原攻めの際に築城した。
      北条方の動揺を誘い士気を削るため、完成まで小田原城から見えないように築城したため
      一夜城と呼ばれる。小田原城の西約3kmの笠懸山の山頂に約80日間で築城された。
      昭和34年(1959)に国指定史跡となり現在は石垣山一夜城公園として整備されている。

    2.二の丸から本丸へ

     小田原城址公園内では、天守閣のある本丸と、それを囲む東側の2の丸の一部が主な構成です。 まずは二の丸の正面入り口である馬出門から登城ルートを辿って本丸の前にある常盤木門の前まで進みます。

    【 小田原城址公園の地図 】

    小田原駅から最寄の駅は北入口(約500m)。 園内に駐車場は無く、南(藤棚臨時駐車場)か東(本町臨時駐車場)にある臨時駐車場を使うとよい。
    二の丸top01 銅門の北側から見た馬出門の囲いの内側。二の丸の正門に位置する門。奥へ至る右の内冠木門を通って馬出曲輪へ。
    二の丸top02 二の丸の正門である銅門のある囲い。手前の橋が住吉橋。(銅:あかがね)。 銅門の門扉には銅板が貼られていて名前の由来になっているという。

     (以降、写真が多くなるので、一覧で表示&ビュワーで拡大表示&閲覧するようにしています)

    01:馬出門① 二の丸01

    馬出曲輪から見た馬出門の先の内冠木門

    02:馬出門② 二の丸02

    銅門の北側から見た馬出門の内側の様子

    03:堀と隅櫓 二の丸03

    馬出門の囲いの中から見た隅櫓.左奥に天守閣が見える

    04:堀と学橋 二の丸04

    馬出門の囲いの中から見た堀と学橋.昔は無かった橋

    05:堀と銅門 二の丸05

    馬出門の囲いの中から見た銅門の囲い

    06:観光案内所 二の丸06

    馬屋曲輪にある.昭和8年に小田原町図書館として建設されたもの

    07:住吉橋 二の丸07

    堅牢な銅門の囲いへ通じる橋.手前の仕切の門の奥に渡櫓の門

    08:銅門① 二の丸08

    銅門の囲いの中.立派な渡櫓の門だ.右の銃眼を気にしながら進む

    09:銅門② 二の丸09

    扉に銅板が貼られているから銅門と呼ぶらしい.堅牢だ!

    10:銅門③ 二の丸10

    梁材には迫力の松の大木.柱と扉はヒノキ材だそうだ

    11:ビャクシン 二の丸11

    銅門を出た先に立っているビャクシンの古木

    12:二の丸・広場 二の丸12

    公園内で一番広い場所.左奥に歴史見聞館が見える

    13:隅櫓 二の丸13

    二の丸の広場の端にある.昔は多く築かれていたのだろう

    14:イヌマキ 二の丸14

    歴史見聞館の前に立つイヌマキ.練り上がった風格の幹!

    15:本丸の堀跡 二の丸15

    紫陽花や菖蒲など季節の花が楽しめる場所となっているのだ

    3.本丸と天守閣

     本丸への正門である重厚な常盤木門を通って本丸へと入ります。すると広い本丸の広場の際奥に天守閣の全貌が見えてきます。 本丸の広場から天守閣を眺めた後で、内部へ入り、最後は最上階の廻縁から周囲の景色を眺めます。 なお、天守閣内部の展示物(文書・絵画・工芸品・武具)については、撮影禁止のため写真はありません。

    本丸top01 遂に全貌の見えた天守閣に興奮する。本丸の広場にはトイレや売店があり休憩できる。 常盤木門の近くには城址公園のシンボル的な大マツが立っている。
    本丸top02 堅牢で美しい天守閣。入館料は一般・410円。三層構造の4階建て。内部には博物館のように、古文書・絵画・工芸品・武具が展示されている。 最上階は抜群の展望だ。

     (以降、写真が多くなるので、一覧で表示&ビュワーで拡大表示&閲覧するようにしています)

    01:常盤木門 本丸01

    本丸の正門である堅牢な門.多門櫓と渡櫓を配した枡型門

    02:本丸の広場 本丸02

    遂に目の前に天守閣の全貌が! 広場にトイレと売店がある

    03:大マツ 本丸03

    常盤木門の側に立つ大マツ.小田原城のシンボル的巨木だ

    04:天守閣① 本丸04

    内部に入る前に格好良い天守閣を存分に眺めてみる

    05:天守閣② 本丸05

    3重構造の4階建て.城だ.重厚で美しい

    06:天守閣② 本丸06

    天守の屋根まで38.7mの高さ.石垣は11.5mある

    07:天守閣③ 本丸07

    城攻めの先鋒の気分で.功名を目指し、これより我ら修羅に入る!

    08:天守閣④ 本丸08

    入口.有料.内部は文書・絵画・工芸品・武具など貴重な展示品がある

    09:廻縁の景色① 本丸09

    最上階の廻縁から見下ろした本丸の広場

    10:廻縁の景色② 本丸10

    東側.市街の奥に相模湾.右に大マツが見えている

    11:廻縁の景色③ 本丸11

    北側.丹沢の山が見えるようだが曇空で展望はなかった

    12:廻縁の景色④ 本丸12

    南西側.白枠が石垣山城の辺り.奥が箱根だろう

    13:廻縁の景色⑤ 本丸13

    南側.奥に舞鶴岬.2年ぶりに見る海に興奮した

    4.おわりに

     巨木巡りに訪れた小田原城址公園での観光は大満足に終わったのでした。 しかし、天気が荒れそうだったので、見学していない場所を多く残したまま帰路に着きました(途中で雷雨)。 歴史見聞館での歴資料の見学、小峰曲輪に位置する報徳二宮神社への参拝、そして、現在も発掘調査が行われている 御用米曲輪の見学(内部には入れないので遠くから様子見)などです。機会があれば、もう一度訪れたい場所です。 そして、今度は神奈川県の西部の鎌倉を中心とした巨木巡りと観光をしたいものです。 そういえば、丹沢山系での登山経験が一度も無い事を気にしています…。