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    水海道諏訪神社のケヤキ

    巨木の写真

    撮影日:2022.07.17 【01】水海道の発展を見守ってきた御神木、背中が逞しい 水海道諏訪神社のケヤキ-01
    【02】 水海道諏訪神社のケヤキ-02
    【03】 水海道諏訪神社のケヤキ-03
    【04】 水海道諏訪神社のケヤキ-04
    【05】 水海道諏訪神社のケヤキ-05
    【06】 水海道諏訪神社のケヤキ-06
    【07】 水海道諏訪神社のケヤキ-07
    【08】 水海道諏訪神社のケヤキ-08
    【09】 水海道諏訪神社のケヤキ-09

    巨木の基本情報

    巨木の名前 諏訪神社の大欅 [1]
    樹種 ケヤキ (欅)
    幹周 6.30m [2], 6.27m [3]
    樹高 13.0m [2], 15.0m [3]
    推定樹齢 400~500年 [1], 350~400年 [2]
    特徴 南側への傾き、太い横枝
    保護指定 常総市指定天然記念物
    所在地 茨城県常総市水海道諏訪町
    所在施設 諏訪神社
    撮影日・状態 2022.07.17 : 主幹上部と大枝の欠損、南側は根本まで樹皮が剥がれている、北側は健全らしく見える
    アクセス
    常磐道・谷和原ICから約7㎞、圏央道・常総ICから約8㎞
    電車 常総線・水海道駅から1㎞以内
    参考情報 ■現地解説板
     [1] 諏訪神社の大欅    :内容は上記巨木の写真09を参照
    ■外部ウェブサイト
     [2] 常総市ホームページ  :常総市の歴史と当巨木の情報を参照
     [3] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録)
     [4] 国土地理院地図    :電子国土web (GSI-Maps) の治水地形分類図を参照
    ■少遠景の記録
     [5] 弘経寺の来迎スギ   :常総市内で最寄りの巨木、市内最大の巨木とみられる

    巨木と雑記.洪水に耐え水海道の発展を見守った御神木

     常総市の南部、鬼怒川と小貝川に挟まれた地域。 旧水海道町の中心部に鎮座する諏訪神社。そのご神木が当大ケヤキです。 はじめに水海道という地名 [2] について。平安時代の武将、坂上田村麻呂が当地で馬に水を飲ませたという伝承、 水飼戸 (ミツカヘト) に由来するというもの。 何度か征夷のため進軍した際のことであれば、延暦年間 (782-806) の出来事か。 また江戸時代に入り、鬼怒川の水運で栄えたことにも由来がありそう。 寛永年間 (1624~1643) の河川改修工事で、鬼怒川と利根川が直結。 そして江戸、下総、下野、会津方面を繋ぐ水運の重要な集散地となったことに。 ちなみに、常総市は平成18年 (2006) までは水海道市でした。

     さて諏訪神社 [1][2]。 創建は延宝年間 (1673-1681) の頃との考察。 2つの大河に囲まれた洪水が多発する地域。 さらに江戸時代の以前、中央には今はない豊田川が流れていた。 周囲よりも少し高いところ、堆積した大量の土砂 (自然堤防) の上に建てられたようです。 当時の旧河道や地形が気になり、 国土地理院地図の治水地形分類図 [4] を調べてみました。 以下画像に抜粋、説明は後述。

    cm-国土地理院地図-01 国土地理院地図の治水地形分類図、水海道諏訪神社から鬼怒川と小貝川の旧合流点あたりまで。

     治水地形分類図で見る当地域について。 この地図には主な河川流域の地形と、今はない旧河道の一部も示されています。 まず、地形表示の見方について。
      ・水色の川   :現河道
      ・青線の入った川:旧河道
      ・橙色の土地  :河岸段丘
      ・黄色の土地  :微高地 (自然堤防)、洪水により大量の土砂が堆積
      ・薄緑色の土地 :氾濫平野と呼ばれる低地
      ・緑色の土地  :後背湿地、氾濫平野よりも低い

     治水地形分類図から抜粋した上記画像をみてください。 洪水が頻発し、一旦氾濫が起こると広範囲が水没しそうな地域であることが分かります。 中央にある旧河道は、豊田川の一部のように見える。 また、水海道諏訪神社から南に約3.5㎞ほどの地点には、 鬼怒川と小貝川の合流点がありました。 寛永年間 (1624~1643) の鬼怒川の河川改修工事では、 新しい河道を掘り、約8㎞南に流れる利根川へ直結。 そして小貝川との合流点を堰き止めました。 これによって洪水被害は減り、豊田川の水位も下がり、 農地化が進んでいったのです。

     こうして当地が開拓されていった時期に、諏訪神社が勧請された。 それでも頻度は減ったとはいえ、当初は洪水に遭うことも多かったでしょう。 大ケヤキが傾いているのは、氾濫に倒されそうになったからか。 洪水に耐え当地の発展を見守ってきた御神木は、水海道のシンボルとも見なせる巨木。 正面の大きな傷跡にも威厳が感じられる。 そして傾いだ背中が、じつに力強く頼もしく映りました。