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三浦杉
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 三浦杉 [1][2] |
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樹種 | スギ (杉) | |||
幹周 | 10.0m [1], 9.00m [2], 8.80m [3] | |||
樹高 | 58.0m [1][2][3] | |||
推定樹齢 | 850年 [1][2] | |||
特徴 | 真っ直ぐな単幹、枝下高い、傾斜地 | |||
保護指定 | 茨城県指定天然記念物 | |||
所在地 | 茨城県常陸大宮市小田野 | |||
所在施設 | 吉田八幡神社 | |||
撮影日・状態 | 2016.07.16 : 一部に枯れ枝があるが樹勢は良い様子、樹下を通る参道石段は落枝の危険で進入禁止 | |||
アクセス | ||||
車 | 東北道・矢板ICから約40km、北関東道・宇都宮上三川ICから約51km、常磐道・水戸北ICから約35km | |||
電車 | JR鳥山線・鳥山駅から約15km、JR水郡線・常陸大宮駅から約20km | |||
参考情報 | ■現地解説板 [1] 三浦杉の由来 :内容は下記雑記の写真02を参照 ■外部ウェブサイト [2] 常陸大宮市ホームページ:当巨木の情報あり [3] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2018年度の追加調査の記録) ■少遠景の記録 [4] 鷲子山上神社のカヤ :常陸大宮市、栃木県の境、鷲子山に鎮座する古社、スギの巨木が多い |
巨木と雑記
常陸大宮市の北部に位置する小田野地区。 地名は室町時代に当地を領した、佐竹氏の一族である小田野氏に由来。 今でも山城 (地図リンク) などの遺構が残っています。 そんな小田野の鎮守は、地区の玄関口にあたる南端に位置。 国道に面した集落に鎮座する吉田八幡神社 [1][2] です。創建は大同2年 (807) とされる古社。 スギ巨木に包まれた森厳なる境内にて、 筆頭は三浦杉と呼ばれる二柱の御神木。 市内で最大の巨木です。 三浦杉は、県内に数多くあるスギ巨木たちの中でも、特に姿が映えるものでしょう。 幹周約9mの極太で素晴らしく背の高い大スギ。 樹勢は良く整った立姿。 これが二柱並ぶことで、威容の相乗効果は凄まじい。 真横ではなく、少し前後に離れていることにも趣がある。 この距離があるから互いを圧迫せず、感嘆たる巨体になれたのでしょう。 また、周囲に余計なものがないことが良い。 立体的に見せる斜面と参道石段。 離れて囲むスギ林。 奥に鎮座する厳かな社殿。 唯々、この二柱を引き立て、拝観の集中が高まっていくのです。 なお、参道石段の三浦杉から社殿までの区間は立入禁止。 落枝の危険があるためです。 社殿までの迂回路は右側にあります。
吉田八幡神社の由緒について [1][2] 。創建は伝承によると平安時代初期の大同2年 (807)。 中世の歴史はよく分からない。 室町時代は当地を領した佐竹氏の一族、小田野氏から庇護されたでしょう。 江戸時代になると水戸藩領となる。 2代藩主の水戸光圀に認知されていたようで、 藩から社領や社殿造営などの寄進もあったと考えられます。 現在する本殿は寛永13年 (1636) の建築。 三浦杉にまつわる伝承。 名前の由来は平安時代の末期の武将である三浦義明。 現在の神奈川県の三浦半島一帯が拠点。 次男の義澄は鎌倉幕府の有力御家人となります (十三人の合議制の一人)。 この義明が久寿2年 (1155) に植えたのが後の三浦杉というのです。 当地へ訪れたのは、那須野へ九尾の妖狐を退治にし行く途中のこと。 討伐の成功を祈って植えたそうです。 その後、妖狐は討伐され殺生石に姿を変えた。 なんともファンタジー。 真相はともかく、英雄の名を冠するにふさしい大スギです。
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