巨木TOP / 群馬 / 小泉神社のケヤキ
小泉神社のケヤキ
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 小泉神社のケヤキ (仮) |
|
||
---|---|---|---|---|
樹種 | ケヤキ (欅) | |||
幹周 | 5.80m [2] | |||
樹高 | 20.0m [2] | |||
推定樹齢 | 350年 [2] | |||
特徴 | 単幹、球形の樹冠 | |||
保護指定 | 小泉町指定天然記念物 | |||
所在地 | 群馬県邑楽郡大泉町城之内1丁目 | |||
所在施設 | 小泉神社 | |||
撮影日・状態 | 2022.08.20 : 樹勢は良く更なる成長が期待できそう、根本の周囲は柵により保護 | |||
アクセス | ||||
車 | 北関東道・太田桐生ICから約10㎞、東北道・館林ICから約16㎞ | |||
電車 | 東武小泉線・小泉町駅から1㎞以内 | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 小泉神社の由緒 :内容は下記雑記の写真01を参照 [2] 御神木の由緒 :内容は下記雑記の写真02を参照 ■外部ウェブサイト [3] 小泉神社ホームページ :神社由緒について参考 [4] 巨樹巨木林データベース:当巨木は未登録 (2022年8月時点) ■少遠景の記録 [5] 神光寺の大カヤ :近辺の巨木、邑楽郡邑楽町、端正な姿の老樹 |
巨木と雑記
群馬県の南東部、太田市の隣に位置する大泉町。 戦国時代は小泉城の城下町だったところ。 町の中心部にある城跡は、本丸と北之丸の遺構が残され、城之内公園として整備されています。 現在の町内には大規模な工場、SUBARUとPANASONICの製造拠点のひとつが展開。 大きな雇用を生み出し、現在は企業城下町ともいえるでしょう。 そんな大泉町の鎮守が、城のすぐ南東に鎮座する小泉神社。 平安時代から当地の鎮守とされてきた古社。 拝殿の正面には立派な大ケヤキがそびえ立つ。 県の南東部、邑楽郡の5つの町と館林市を含めた地域の中で、最大の巨木とみられます。 健全で整った樹容の凛々しい姿。 活力があり、更なる成長が期待できると思わせます。
おわりに神社由緒について [1][2][3] 。創建は元慶7年 (883)。 邑楽郡佐貫荘の荘官であった佐貫弾正良綱の次男、築比地良基による創建と伝わる。 創祀当時の主祭神は藤原長良。 これは先んじて東国へ赴き、邑楽郡の開拓に功労ある偉人であるため。 古くは長良明神と呼ばれていました。 後の戦国時代の延徳元年 (1489)、小泉城主の富岡主税介直光により再興。 富岡氏は古河公方、上杉氏、後北条氏の勢力下で活躍。 後に小泉氏となります。 なお初代の直光は、城内外にたくさんのケヤキやカエデを植栽し、 広大な庭園を築いたという。村人たちからは殿林と呼ばれた。 これは古河公方の勢力に組して武功を挙げたときの戦勝記念とされる。 小泉神社のある三之丸にも植えられたという。 すると、御神木の大ケヤキは殿林の一本なのか?(後述)。 続き。 天正18年 (1590)、豊臣秀吉の小田原征伐。 小泉氏は後北条氏に組したため、当地も攻められ小泉城は落城。 兵火により神社は焼失したというので、殿林の多くも燃えてしまったか。 また後に殿林のケヤキは用材として伐採されたという。 御神木の大ケヤキは、元禄年間 (1688-1704) に植えたものと伝わるそうです。 なお、神社の元の鎮座地は、現在のSUBARU大泉工場のある辺りとされる。 慶長16年 (1611) 、当時の領主であった杉山三右衛門により再興。 そして現在地、廃城となった小泉城の三之丸跡に遷座されました。 本殿は嘉永年間 (1848-1854) の古建築。 美しい彫刻が施されています。 明治10年に拝殿と幣殿が再建。 その後、明治45年に菅原神社をはじめ町中の神社を合祀、 長良神社から総社小泉神社と号するようになりました。
群馬TOP | △TOP | 前へ戻る |