前橋八幡宮のイチョウ
巨木の写真
撮影日:2024.09.05
【01】前橋八幡宮の御神木、かつての空襲から生き抜いた街の復興のシンボルツリー
巨木の基本情報
巨木の名前 |
前橋八幡宮のイチョウ (仮) |
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樹種 |
イチョウ (公孫樹) |
幹周 |
6.20m [3][4] |
樹高 |
17.0m [3], 20.0m [4] |
推定樹齢 |
不明 |
特徴 |
単幹、気根が多数 |
保護指定 |
前橋市保存樹木 (第61号) |
所在地 |
群馬県前橋市表町2丁目 |
所在施設 |
前橋八幡宮 |
撮影日・状態 |
2024.09.05 : 主幹上部欠損、空洞、剪定を抑えれば枝は増殖しそう
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アクセス |
車 |
関越道・前橋ICから約4km (境内に駐車場は無いので周辺の有料龍駐車場を利用のこと)
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電車 |
前橋駅 (JR両毛線・上野東京線・湘南新宿線) から約1km
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参考情報 |
■現地資料
[1] 前橋八幡宮の文化財 :内容は下記雑記の写真03を参照
■外部ウェブサイト
[2] 前橋八幡宮ホームページ:神社由緒について参考
[3] 群馬県緑化推進委員会 :サイト内で県内の巨木についても紹介している
[4] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の調査記録)
[5] 前橋市ホームページ :前橋空襲について参考
■少遠景の記録
[6] 岩神稲荷神社のエノキ :前橋市街地、社殿背後の大岩は国指定天然記念物
[7] 楽歩堂前橋公園のエノキ:前橋市街地、県庁に接した公園
[8] 総社神社のケヤキ :前橋市街地の西側、上野国総社として創建された大社、社叢が市の保護林
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巨木と雑記
前橋駅前に座す街の鎮守が前橋八幡宮
[1]
[2]
。社殿は石垣に囲まれた壇上に建ち、もとは古墳であったところ。
出土品には唐より舶来された銅鏡があるそうです。
神社の創建は、貞観年間 (859-877) に編纂された前橋風土記稿によると貞観元年。
阿保親王の五男である在原業平の子孫、長野業重が石清水八幡宮より勧請したと伝わるそうです。
戦国時代から江戸時代にかけては、代々の前橋城 (場所は県庁周辺) の城主から崇敬。
城下の賑わいと共に栄え、かつては広大な社領を有していたそうです。
御神木は拝殿の左側に根差す大イチョウ。
太い幹の割には背が低く、空洞も抱えているが、強い生命力を感じさせる。
この傷跡は前橋空襲
[5]
によるものでしょう。
大戦終結の10日前となる昭和20年 (1945) 8月5日の夜。
戦略爆撃機B29の大編隊が襲来。
1時間を超える爆撃により、市街地の8割が焦土と化し、
約600人もの尊い市民の命が奪われたそうです。
その渦中で当八幡宮と御神木のイチョウも、焼夷弾による炎に包まれた。
それでもイチョウは奇跡的な再生を遂げる。
前橋の街と鎮守の復興のシンボルともいえる御神木なのです。
【01】社殿手前の参道から。風鈴の涼やかな音が夏の熱気を和らげる。