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旧藤岡小学校のケヤキ
巨木の写真









巨木の基本情報
巨木の名前 | 旧藤岡小学校のケヤキ [2] |
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樹種 | ケヤキ (欅) | |||
幹周 | 4.80m [2], 4.97m (実測) | |||
樹高 | 23.1m [2] | |||
推定樹齢 | 昭和10年 (1935) 植栽 [2] | |||
特徴 | 単幹、中腹から放射状に分散、球形の樹冠 | |||
保護指定 | 不明 | |||
所在地 | 群馬県藤岡市藤岡 1567-1 | |||
所在施設 | 中央公園 | |||
撮影日・状態 | 2025.08.30 : 目立つ損傷なく樹勢良好で大きな樹冠を広げる、更なる成長が期待できそう | |||
アクセス | ||||
車 | 上信越道・藤岡ICから約4km、関越道・高崎玉村スマートICから約9km | |||
電車 | JR八高線・群馬藤岡駅から約1km | |||
バス | 中央公園、市営バスめぐるん・三ツ木~高山線、群馬藤岡駅から | |||
参考情報 | ■外部ウェブサイト [1] 藤岡市ホームページ :藤岡小学校と藤岡城とについて参考 [2] 群馬県緑化推進委員会 :サイト内で県内の巨木についても紹介している [3] 巨樹巨木林データベース:当巨木は未登録 (2025年8月時点) [4] 今昔マップ :埼玉大学教育学部教授、谷謙二氏の新旧の地図を比較閲覧できるサイト [5] ウィキペディア :藤岡藩の初代藩主、藤岡城を築いた依田康貞 (康勝) について ■少遠景の記録 [6] 水宮神社の大ケヤキ :藤岡市、市内最大の巨木であり群馬県で最大級のケヤキ [7] 藤岡稲荷神社のカヤ :藤岡市、中央公園 (旧藤岡小学校の跡地) から近く [8] 大聖峯寺の大ケヤキ :藤岡市、板倉不動尊こと大聖峯寺の門前に根差す大ケヤキ |
巨木と雑記
群馬藤岡駅から南西の市街地にある、広い芝生のグラウンドをもつ中央公園。 かつて藤岡小学校 [1] の校舎が建っていたところです。 昭和34年 (1959) に藤岡第一小学校となり、第二小学校が新たに創設。 そして昭和52年 (1977)、旧藤岡中学校跡に新校舎が竣工し移転しました。 なお、現在の第一小学校が建つところは、藤岡城こと芦田城の跡地。 校舎の北側が公園となり土塁が残されています。 中央公園の南側に根差すケヤキ。 藤岡小学校であった頃、昭和10年 (1935) に植えられた記念木 [2] であるそうです。 伸び伸びと大きな球形の樹冠を広げる、じつに清々しい立姿。 根本には朝礼台が置かれ、元気に育っていった児童たちの情景が浮かびます。 このケヤキも児童たち共に育ち、巨木としては美しい青年へと成長した。 藤岡市民の方々にとって思い入れの深いケヤキであることでしょう。

おわりに、藤岡第一小学校が跡地である藤岡城こと芦田城 [1] について。徳川家康の家臣である松平康貞 (康勝) [5] が、天正18年 (1590) に藤岡3万石を与えられ、居城として築城した。 藤岡藩が成立し、城下は藤岡の町の基礎となります。 なお、康貞の父の依田信蕃は、もとは武田信玄の家臣。 後に臣従した家康から信任厚く、子の康貞も取り立てられ、 松平性と「康」の偏諱も与えられました。 しかし慶長5年 (1600)、康貞は故あって改易となり藤岡城は廃城。 その後、康貞は結城秀康の家臣となり、 越前国大野郡木本 (福井県大野市木本のあたり) の5000石を任されたそうです。 ちなみに、同じ藤岡地区にある天龍寺の山門は、 藤岡城の裏門を移築したものと伝わります。 第一小学校の土塁と併せて、城の遺構に興味のある人は見学してみてください。
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