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根古屋神社の大ケヤキ
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 根古屋神社の大ケヤキ [1] |
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樹種 | ケヤキ(欅) | |||
幹周 | 田木 10.1m / 畑木 11.9m [1][3][4] | |||
樹高 | 田木 23m / 畑木 21m [1][3] | |||
推定樹齢 | 700年~800年 [4] | |||
特徴 | 神社の門前に立つ2対の巨樹 | |||
保護指定 | 国指定天然記念物 | |||
所在地 | 山梨県北杜市須玉町江草字根古屋 | |||
所在施設 | 根古屋神社 | |||
撮影日・状態 | 2019.03.31 : 田木と畑木の両木とも空洞と主幹欠損.大きな損傷だが荘厳な立姿. | |||
アクセス | ||||
車 | 中央自動車道・須玉ICから約8m(長坂ICからは約9.5km) | |||
電車 | 日野春駅から約10km | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 根古屋神社の大ケヤキ :内容は上記の写真12を参照 [2] 獅子吼城跡 :内容は上記の写真13を参照 ■公式ウェブサイト [3] 巨樹巨木林データベース:1988年度の調査記録 [4] 北杜市ホームページ :根古屋神社の大ケヤキの紹介あり [5] 山梨県神社庁 :根古屋神社の情報あり ■少遠景の記録 [6] 日影のトチノキ :北杜市内にある県内最大級のトチノキ |
巨木と雑記.根古屋神社と獅子吼城
北杜市の市街地から山間部へ伸びる県道23号線。 奥秩父山地の瑞牆山や金峰山の西山麓まで続いています。 県道が山間部へ入っていく付近にあるのが根古屋神社。 門前に並ぶ二対の御神木は県内最大級の大ケヤキ。 県道を北上して塩川ダムを過ぎた先、日影の集落には日影のトチノキ [6] があります。 根古屋とは山城の城下町を指す意味。 神社のすぐ東にそびえる標高約788mの独立峰には、獅子吼城がありました。 代表的な城主には、甲斐武田氏の第13代当主、武田信満の三男である江草信泰。 古くは江草城または江草小屋と呼ばれ、地元では城山と呼ばれたそうです。 根古屋神社の祭神は天児屋根命。 城の守護神として奉斎されたといわれ、500年近い歴史は持つと考えられます。 根古屋神社の前を通るのは古い街道。 甲斐から信州の佐久を結ぶ穂坂路です。 交通の要衝でもあり近くに関所も置かれていました。[2][4][5] 獅子吼城にまつわる最期の戦は天正壬午の乱(1582)。 滅亡した武田家の領地をめぐり、徳川と北条の両軍が激突。 籠城する北条軍に対し、徳川軍は夜襲をかけて落城せしめた。 夜襲組には服部半蔵が率いる伊賀組(忍者?)と、配下となった武田家の旧家臣団が居たとか。 山頂には城跡の遺構が残っている様子。 興味のある人は登ってみてください。 石垣などの遺構があり、草木が茂る夏期以外はそこそこ展望もありそうです。[2] 最後に城の名前の由来。 それは城内に住んでいたという怪物。 落城する際に野山を揺るがすほどに吼哮しながら、眼下の塩川の淵(獅子淵)に飛び込んだとの伝説。 実際は敗走する北条軍や、追撃する徳川軍で、それに巻き込まれて戦慄した地元民の記憶か。 この伝説により地元では獅子舞および、獅子を模ったものを作ることは禁じられ、 犯すと災いが起こると信じられたそうです。 根古屋神社には「狛犬」がありません。[2]
巨木と雑記.二対の大ケヤキ
根古屋神社の御神木である二対の大ケヤキ。 県内でも有名なケヤキで、江戸後期に編纂された甲斐国志にも記録があるそうです [1]。 幹周10m以上もある巨体が二対立ち並ぶ様は壮観。 最盛期はさぞ神々しい立姿であったことでしょう。 現在の姿は空洞があり主幹を大きく欠損したもの。 昭和58年(1983)と、平成11年(1999)から3年かけた樹勢回復工事 [4] により、 現在の姿となったようです。 それでも巨岩のような太い幹は圧巻。 大きな傷を抱えながら精一杯に生き続けている、荘厳な佇まいの老巨樹。 ちなみ、現在のずんぐりとした姿は、バオバブの巨木を思わせるようでした。 この大ケヤキには豊作を占う信仰 [1][4][5] があります。 葉の芽吹きと茂り具合で、その年が豊作かどうか分かるというもの。 名前が示すとおり、田木は稲作、畑木は畑作。 二対の神がかりな立姿の巨樹。人々のすがりたくなるような気持ちが分かります。
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