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    将軍杉

    巨木の写真

    将軍杉(2016.09.04) 【01】西側①:新潟県で最大となる迫力の巨木! 将軍杉01
    【02】西側② 将軍杉02
    【03】北側① 将軍杉03
    【04】北側② 将軍杉04
    【05】北側③ 将軍杉05
    【06】南側① 将軍杉06
    【07】南側② 将軍杉07
    【08】南側③ 将軍杉08
    【09】南側④ 将軍杉09
    【10】南側⑤ 将軍杉10
    【11】南側⑥ 将軍杉11
    【12】南側⑦ 将軍杉12
    【13】南側⑧ 将軍杉13
    平等寺と周辺の様子(2016.09.04) 【01】道の駅①:道の駅・みかわ(巨木の里)にあるシンボル 将軍杉01
    【02】道の駅② 将軍杉02
    【03】町道① 将軍杉03
    【04】町道② 将軍杉04
    【05】将軍杉① 将軍杉05
    【06】将軍杉② 将軍杉06
    【07】将軍杉③ 将軍杉07
    【08】平等寺① 将軍杉08
    【09】平等寺② 将軍杉09
    【10】平等寺③ 将軍杉10
    【11】平等寺④ 将軍杉11
    【12】平等寺⑤ 将軍杉12
    【13】平等寺⑥ 将軍杉13

    巨木の詳細情報

    巨木の名前 将軍杉(三川の将軍杉) 樹種 スギ(杉)
    幹周/樹高 19.3m / 38m 推定樹齢 1400年(伝承)
    保護指定 国指定天然記念物 所在地 新潟県東蒲原郡阿賀町岩谷
    撮影日/天候 2016.09.04 / 晴 : 主幹や側幹の一部は欠損するも樹勢は旺盛.遠くから背の高い樹冠が見える
    アクセス
    ■磐越自動車道・三川IC:約3km(道の駅・みかわ前まで)
    電車 ■磐越西線・五十島駅  :約1.8km(将軍杉の保護地の入口前まで)
    備考 平等寺に駐車場が隣接されているが、周辺の道は細く駐車場は狭い。 足腰が健康な人は、道の駅・みかわ(巨木の里)の駐車場の利用がよい。徒歩5分と近い。 将軍杉を囲む木道の南側は、斜面に建ち、地面から高い位置にあるので注意。 また、訪問時に、将軍杉の南側の根元、地中にスズメバチの巣がある様子であった。 来年(2017)には無くなっているかな。
    参考情報 【外部ウェブサイト】
      阿賀町・観光情報 :阿賀町の公式サイトの観光情報
      道の駅・阿賀の里 :道の駅は「阿賀野川ライン舟下り」の乗船場も兼ねている
      阿賀町観光振興機構:阿賀町の観光振興機構の公式サイト.宿泊&体験施設の情報が多い
      奥阿賀紀行    :阿賀町の総合観光情報.美しい四季の写真を閲覧できる
      奥阿賀観光    :主に「しかせ温泉」周辺の観光情報
    【少遠景】
      切畑の乳銀杏   :五泉市にある県内最大級の大イチョウ

    巨木の地図

    巨木と雑記

    将軍杉は新潟県で最大の巨木にして国内最大級の杉。 下越地方にある阿賀野川の中流域、福島県との県境に接する阿賀町に将軍杉は立っています。 奥阿賀と呼ばれるこの地域は、阿賀野川沿いの河岸段丘に開けた山間部。 美しい森林と渓谷の景色の中、複数の温泉地や舟下りを楽しめる地域です。 遠路からの主なアクセス手段は、磐越自動車道と磐越西線で、新潟市と会津地方から一直線。

    阿賀町の三川地区、その岩谷の集落の奥に鎮座する御神木が将軍杉。 樹形は迫力の異形で、主幹を中心に6本の巨大な側幹が、湾曲してから空高く立ち上がったもの。 その姿は、巨大な燭台か、巨人の手か、山神の降臨する祭壇か、神秘と威厳に満ちています。 主幹や一部の側幹は欠損していますが樹勢は旺盛。 幹は赤みを帯びて逞しく、樹冠は広く高く繁っています。 まさに、将軍の名を冠するに相応しい、新潟県で最大の巨木の威容。

    ■将軍杉の幹周
    将軍杉の幹周「19.3m」は、環境省が2001年に実施した 巨樹巨木林フォローアップ調査から引用しています。 この幹周の数値は、環境省の調査した杉の中では、株立ちでないものを除くと最大。 故に日本一の巨木と呼ばれることもあります。 なお、幹周は地上高1.3mで計測するため、大きく張り出した側幹の一部も含まれます。 根元の太さは、この数値より一回り小さくなるでしょう。

    ■将軍杉の名前の由来
    将軍杉の名前の由来となった人物は、平安時の代末期に、陸奥鎮守府将軍であった平維茂。 この地で晩年を過ごした平維茂の墓は、大杉の傍らにあったされます。 現在、大杉の北側にある立派な墓碑は、寛文8年(1668)に、 会津藩主・保科正之が、郷土の偉人である平維茂を讃えて建立させたもの。 それ以後、この大杉は、将軍杉と呼ばれ始めたそうです。

    ■平等寺
    将軍杉の隣に建っているのが平等寺、平維茂が創立したと云われる古刹です。 本尊は薬師如来で、現在の宗派は曹洞宗。 現在の薬師堂は、永世16年(1519)に再建された、国の重要文化財。 堂内の柱や壁には、戦国~江戸時代までの、参詣者たちの落書きが残されているそうです。 落書きの中で、特に貴重とされるのが、 天正6年(1578)に越後へ侵攻してきた、会津蘆名氏の将兵たちのもの。 この年の越後は、上杉謙信が急死した家督争いの渦中(御館の乱)。 気炎万丈の武士たちは、何を書き残したのでしょうか。
    境内には薬師堂の落書きに触発され建てられた落書庵があります。 ここでは、参詣に訪れた人が自由に一筆させてもらえるそう。 神秘の巨木と歴史ある古刹の空気に触発された一筆は趣もひとしお。

    ■将軍杉の樹形の伝説
    単幹でない独特の樹形の将軍杉。その樹形にまつわる伝説があります。
    むか~しむかし、三川の人々は、阿賀野川の水運で生活を賄っていました。 ある時、船の材として、将軍杉を伐採することになりました。 伐採の当日、斧を手にした人々は、驚愕の光景を目にします。 なんと一夜にして将軍杉は、下枝の高さまで地面に潜って隠れてしまいました。 これ以来、人々は将軍杉を手厚く守り、今に伝わるとのことです。