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小諸城址のケヤキ
巨木の写真
巨木の詳細情報
巨木の名前 | 小諸城址のケヤキ |
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樹種 | ケヤキ(欅) | |||
幹周 | 6.5m[1] 6.1m[3] | |||
樹高 | 27m[3] | |||
推定樹齢 | 500年[1] | |||
特徴 | 中腹から双幹で背が高い | |||
保護指定 | 小諸市の保護木 | |||
所在地 | 長野県小諸市丁 | |||
所在施設 | 小諸城址懐古園 | |||
撮影日・状態 | 2017.09.26 : 背が高く広く密度の高い樹冠.健全な姿で樹勢は良い様子に見える. | |||
アクセス | ||||
車 | ■小諸IC(上信越自動車道) 距離:約3km(懐古園駐車場まで) 経由:県道79-国道141-県道40-県道142 | |||
電車 | ■小諸駅(JR小海線・しなの鉄道線) 距離:約300m(三之門の前まで) | |||
参考情報 | [1]大ケヤキ指標 :大ケヤキの根本に設置されたもので幹周と樹齢が表記 [2]現地解説板 :大手門・三之門・二ノ丸・懐古神社など各所にあるもの [3]巨樹巨木林データベース:2000年度の都市計画課の調査記録 [4]小諸城址懐古園 :歴史や遺構や園内図を参照 [5]鍋蓋城跡(地図) :現在は宅地で跡地を示す解説板あり(立入不可) [6]少遠景・黒斑山 :本サイトの黒斑山の詳細な登山記録 |
巨木と雑記1.登山の後で巨木と名跡を求めて
長野県の群馬県と山梨県に接した東信地方。 この地域を巨木巡りに選んだ理由は、上信越道沿いで群馬からのアクセスが容易なことと、 名城の見学と登山も合わせて楽しめることでした。 日本100名城の1つである小諸城[4]と、浅間山の絶好の展望地である 黒斑山[6] です。この2つがある小諸市は、東信での巨木巡りの起点となりました。 小諸市の市街中心部にある小諸城は、千曲川を背に天然の要害たる入り組んだ谷間の台地に築かれた城。 現在は市営の小諸城址懐古園となっています。 園内には桜や椛が多く植樹されており、春や秋には桜の花や紅葉が見事なことでしょう。 そしてケヤキの大木も多く、最大のものは本丸跡の区画に立つ大ケヤキ(島崎藤村の記念館の近く)。 巨木も巡れる尊い史跡。
巨木と雑記2.小諸城の遺構と歴史
個人的に小諸城で特に見応えがあった遺構は、 大手門、三之門、二ノ丸の石垣、本丸の天守台の周辺の石垣、酔月橋から見下ろす堀切の地獄谷でした。 今は懐古園の外にある大手門(四之門)は小諸城の正門で、 建立・慶長17年(1612)で平成20年に修復されたもの。 三之門は入口に立つ懐古園のシンボル。明和2年(1765)に再建されたそうです。 三之門を潜った先で目を引く立派な石垣に囲まれた二ノ丸。 上田合戦(天正13年と慶長5年)の際に徳川軍の前線基地ともなった場所で、 荒れていた石垣は昭和59年に復元されたそう。二ノ丸の上からは浅間山を遠望できます。 本丸跡を囲む石垣はどこも立派ですが、北西端にある天守台跡を囲む周辺が見事。 天守台跡には、本丸跡の中心にある懐古神社の奥から上に登ることができます。 地獄谷は本丸のある郭の北側に位置する、天然の谷間を利用した巨大な堀切。 料金所もある北出入口へ繋がる酔月橋からの眺めはスリリング。[2][4] 最後に小諸城の歴史について。 始まりは、鎌倉時代の武将である小室太郎光兼(木曽義仲の家臣)が現城址の東に築いた宇頭坂城。 戦国時代には、大井光忠が現在の大手門の北側に鍋蓋城を築城し、子孫が現在の二ノ丸付近に乙女城を築城。 天文23年(1554)に武田信玄の侵攻によって武田氏の所城に。 武田氏によって城郭の拡張・改築が進み、現在の小諸城の原形となったそうです。 武田氏の滅亡後、小諸藩の初代藩主となる仙石秀久が城と城下を整備。 後に仙石氏は上田へ移り、小諸藩には徳川譜代が配されます。 明治13年(1880)に小諸城は民間に払い下げられ、旧士族によって本丸跡に懐古神社が建立。 大正15年(1926)に林学博士であり造園の権威である本多静六により公園として整備され、 現在の姿となったそうです。[2][4][5]
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