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温井小学校跡のケヤキ
巨木の写真
巨木の詳細情報
巨木の名前 | 温井小学校跡のケヤキ(仮) |
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樹種 | ケヤキ(欅) | |||
幹周 | 6.5m [2] | |||
樹高 | 25.0m [2] | |||
推定樹齢 | 不明 | |||
特徴 | 大きな樹冠と少し傾いた幹 | |||
保護指定 | 不明 | |||
所在地 | 長野県飯山市大字一山 | |||
所在施設 | 温井多目的交流センター | |||
撮影日・状態 | 2019.07.26 : 樹勢良好で枝の多い球形の大きな樹冠、少し傾いた幹の形は美点と映る | |||
アクセス | ||||
車 | 上信越道・豊田飯山ICから約22km | |||
電車 | JR飯山駅から約16km(戸狩野沢温泉駅から約6.5km、上境駅から約5km) | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 石碑・温井小学校跡 :大ケヤキの近くに建つ、開校から閉校までの年代記が刻まれている ■公式ウェブサイト [2] 巨樹巨木林データベース:1988年度の調査記録、当時の施設は保育園とある [3] 信州いいやま観光局 :飯山市の観光情報 [4] 長野県神社庁 :温井神社の紹介あり ■少遠景の記録 [5] 神戸のイチョウ :飯山市にある長野県で最大のイチョウ |
巨木と雑記.温井集落と旧温井小学校
飯山市の温井地区へ訪れたのは、神戸のイチョウ [5] の後、新潟県へ巨木巡りと観光に向かう途中。 この山間の集落は、上越市の板倉へ抜ける関田峠の手前に位置。 豪雪地で2メートル以上も積もるらしい地域です [3]。 ちなみに飯山市の主要な農産物のひとつがアスパラガス [3]。 温井集落の周辺にもアスパラ畑が広がっています。 道端にも太いのが生えていて、道中の景色が楽しくなりました。 集落の中央にある温井小学校の跡地。 大ケヤキは校庭であった広場の隅にそびえています。 学校跡の記念碑 [1] によると、 明治45年(1912)に現在地に前身となる温井尋常小学校が公設。 以後、昭和53年(1978)に廃校となるまで、60年以上も集落を教導してきた学校でした。 廃校の後は保育所や診療所の時代を経て、地域の交流の場(公民館)となっています。 現在の建物は窓が小さいので、校舎から建て替えられたものでしょう。
巨木と雑記.集落の大ケヤキ先生
大ケヤキの立姿は予想以上に素晴らしいものでした。 樹勢が良く球形に整った樹冠。多くの太い下枝は健在。 少し傾いて立ち昇る幹は、全体で調和がとれた姿で、何やら艶を感じさせる美点として映ります。 樹下で間近に見上げる迫力は、幹周以上のものが感じられました。 豪雪地で巨体を鍛えあげた剛の者ですが、表情というか雰囲気は穏やかで優し気。 強く優しく美しく。 言葉は発せずとも生きる模範となり、子供たちの成長を見守ってきた大ケヤキ先生。 今も学校跡の高台から、大勢の子供たちが巣立っていった集落を見守っています。
巨木と雑記.大ケヤキと温井神社
人里で巨木が残っている場所といえば、社寺の境内であることが多い。 信仰の聖域、鎮守の森として広い敷地が守られているからです。 武家の屋敷や城跡など、史跡という場合もありますが。 温井に大ケヤキがあると知ったとき、はじめは近くの温井神社にある御神木だと思いました。 温井神社と大ケヤキに繋がりが感じられる。 昔、大ケヤキが立つ場所に温井神社が在ったのでは?。 そう考える根拠は、温井神社が昭和21年(1946)に現在地へ遷座 [4] したこと。 そして夏の例大祭では、小学校跡でも神事が奉納されるらしい。 これには元の鎮座地という理由もありそう。 明治45年(1912)に神社の側に学校が建設 [1]。 約30年後に学校の規模拡大に伴い、神社は遷座することになった…とか。 以上は考察で事実かは不明。 いずれにしても、温井の大ケヤキは集落の御神木たるに相応しい見事な巨木です。
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