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  • 巨木TOP / 埼玉 / 金鑚神社の旗懸銀杏

    金鑚神社の旗懸銀杏

    巨木の写真

    旗懸銀杏(2017.03.24) 【01】社殿を囲む石垣の側に御神木は立つ.東側. 金鑚神社の旗懸銀杏01
    【02】東側 金鑚神社の旗懸銀杏02
    【03】東側 金鑚神社の旗懸銀杏03
    【04】北側 金鑚神社の旗懸銀杏04
    【05】北側 金鑚神社の旗懸銀杏05
    【06】東側 金鑚神社の旗懸銀杏06
    【07】東側 金鑚神社の旗懸銀杏07
    【08】南側 金鑚神社の旗懸銀杏08
    【09】南側 金鑚神社の旗懸銀杏09
    金鑚神社・社殿(2017.03.24) 【01】社殿が並ぶ境内地の奥、神橋の手前.旗懸銀杏は右奥. 金鑚神社の社殿01
    【02】境内図 金鑚神社の社殿02
    【03】解説板 金鑚神社の社殿03
    【04】多宝塔 金鑚神社の社殿04
    【05】多宝塔 金鑚神社の社殿05
    【06】解説板 金鑚神社の社殿06
    【07】神橋の手前 金鑚神社の社殿07
    【08】三の鳥居 金鑚神社の社殿08
    【09】拝殿 金鑚神社の社殿09
    【10】拝殿 金鑚神社の社殿06
    【11】拝殿 金鑚神社の社殿07
    【12】中門 金鑚神社の社殿08
    【13】山道入口 金鑚神社の社殿13
    金鑚神社・御嶽山(2017.03.24) 【01】神社から鏡岩と奥宮(見晴台)を巡って山頂へ登ってみた 金鑚神社の御嶽山01
    【02】山道 金鑚神社の御嶽山02
    【03】鏡岩 金鑚神社の御嶽山03
    【04】解説板 金鑚神社の御嶽山04
    【05】山道 金鑚神社の御嶽山05
    【06】石仏の広場 金鑚神社の御嶽山06
    【07】見晴台 金鑚神社の御嶽山07
    【08】見晴台 金鑚神社の御嶽山08
    【09】弁慶穴 金鑚神社の御嶽山09
    【10】弁慶穴 金鑚神社の御嶽山06
    【11】石仏の広場 金鑚神社の御嶽山07
    【12】解説板 金鑚神社の御嶽山08
    【13】山頂 金鑚神社の御嶽山13

    巨木の詳細

    巨木の名前 旗懸銀杏 [4]
    樹種 イチョウ(公孫樹)
    幹周 4.5m [4], 3.8m [9]
    樹高 20m [9]
    推定樹齢 550年 [4]
    特徴 良い雰囲気の石垣に囲まれている
    保護指定 不明
    所在地 埼玉県児玉郡神川町二ノ宮
    所在施設 金鑚神社
    撮影日・状態 2017.03.24 : 中央に主幹のあったような姿は2代目という伝承を裏付けるものか
    アクセス
    関越自動車道・児玉ICから約10km
    電車 JR本庄駅から約13km
    バス 新宿 :本庄駅南口から神泉総合支所線に乗車約30分
    下渡瀬:本庄駅南口から神泉総合支所線に乗車約35分
    参考情報 ■現地資料
     [1] 現地解説板・境内図     :金鑚神社・社殿の写真02を参照
     [2] 現地解説板・金鑚神社    :金鑚神社・社殿の写真03を参照
     [3] 現地解説板・多宝塔     :金鑚神社・社殿の写真06を参照
     [4] 現地解説板・旗懸銀杏    :伝承・樹齢・幹周(1丈5尺)が表記(写真なし)
     [5] 現地解説板・ハイキングMAP:金鑚神社・御嶽山の写真01を参照
     [6] 現地解説板・鏡岩      :金鑚神社・御嶽山の写真04を参照
     [7] 現地解説板・御嶽山の石仏群 :金鑚神社・御嶽山の写真12を参照
    ■書籍
     [8] 埼玉県の山         :発行・山と渓谷者、著者・打田鍈一、ISBN978-4-635-02310-8
    ■外部ウェブサイト
     [9] 巨樹巨木林データベース   :幹周と樹高を引用(調査年2000)
     [10] 金鑚神社(公式)      :金鑚神社の公式サイト

    巨木と雑記.埼玉県の北西部で注目していた場所

     神川町の金鑚(かなさな)神社は、埼玉で注目していた場所の1つ。 その理由は、御神木の他にも見所が豊富なこと。 高い格式を持つ古社で社殿は特殊な構造。 境内に接する御嶽山の中腹には、国の特別天然記念物の鏡岩。 登山ガイドブック [8] によれば、御嶽山は埼玉で最北の山とさる。 興味を惹かれる理由は十二分、実際に素晴らしい所でした。

    巨木と雑記.旗懸銀杏

     旗懸銀杏の立つ場所は、赤い神橋の側にある石垣の上。 城でいえば、堀切の虎口を守る櫓跡のようにも見える場所。 旗懸銀杏は雄木で、樹形は根元から2つの幹に分かれたもの。 巨木としての大きさ、樹形の個性や姿の良さには、特に秀でたものは感じません。 しかし、このイチョウ、とても神々しく映ります。それは石垣の舞台効果。 2段の苔むした風格ある石垣は、イチョウの大木があることで祭壇のように見え、 イチョウの姿に神秘性を高めています。 広い境内で特に神寂びた雰囲気を感じました。

     旗懸銀杏の伝承 []4 について。 康平5年(1062)、源義家が前九年の役の帰途に植樹。 相当な古木となりますが、現在のイチョウはその2代目で、樹齢は550年とされます。 名前の由来は分かりません。戦勝の祈願などに由来?

    巨木と雑記.金鑚神社

     金鑚神社の境内で感銘を受けた建物は、多宝塔と拝殿奥の中門でした。 多宝塔は神橋へ続く参道の少し手前、駐車場に近い高台に建つ。 建立は天文3年(1534)、近隣の大きな武士勢力団の1つ、丹党の阿保氏による寄進。 埼玉では貴重な塔婆の古建築とされ、国の重要文化財に指定。[3]

     金鑚神社には本殿がありません。 拝殿の奥にあるのは、山を背にした中門のみ。 これは神体山である御室山(御嶽山の北東に位置する峰)を直接に拝した形。 他の式内社の中で、本殿を設けない古代の祭祀形態を残しているのは、 大神神社(奈良県)と諏訪大社(長野県)のみ。[1][2][10]

     金鑚神社の由緒について。 主祭神は天照大神と素戔嗚尊の2柱。 社伝では日本武尊が東征の際に、御室山に2柱を祭祀したのが始まり。 鎌倉時代、近郷の武士勢力団であった児玉党や丹党から総鎮守として崇敬。 戦国時代、御嶽山に城が築かれ、城主となった長井氏や後北条氏から保護。 江戸時代、徳川幕府から朱印地の寄進を受け、大光普照寺(金鑚大師)を別当として繁栄。 格式の高い式内社であり、江戸時代には武蔵国二宮(一宮は現さいたま市の氷川神社)と尊ばれたそうです。 ちなみに社名は、この地で砂鉄が採れたことに由来するとか(金砂)。 古くは金佐奈神社と呼ばれたそうです。[2][10]

    巨木と雑記.御嶽山

     金鑚神社の東に聳える標高約343.4mの御嶽山。 社殿が並ぶ境内地の奥から続く、地図中の表参道コース(仮名)では、山頂までの移動は約40分ほど。 途中で鏡岩・見晴台・弁慶穴を巡ります。 ちなみに、不動沢コースと秋葉コースは、実際に歩いたことはないので、地図中のトレースは不正確です。

     国の特天である鏡岩は、境内奥から約10分。 山の中腹にある大きな岩層の断面。 約1億年前の岩断層活動による岩層の路頭部で、高さ約4m、幅約9mと大きなもの。 岩質は赤鉄石英片岩で、岩面は強い摩擦力により研磨され、赤銅色の光沢を放つ。 江戸時代から有名で、当時の文献(十方庵遊歴雑記)にも登場しているそうです。[6]

     鏡岩から約5分の登りで尾根上の分岐。 左へ進めば石仏の並ぶ広場(右で山頂)。 広場から正面の岩稜を少し登れば奥宮のある見晴台で、岩稜を左へ巻いて進めば弁慶穴。 見晴台は良い展望地。金鑚神社へ初の参詣であれば、必ず訪れておきたいところ。 東に利根川沿いの関東平野、北に赤城山や日光連山、西(南西)に神川町の城峰山を遠望できました。
     ちなみに、弁慶穴の名前の由来は不明。内部は火を焚いたように黒ずんでいました。 この岩峰は山岳修験道の護摩壇があったとされる場所。内部で祈祷などが行われたのかもしれません。[7]

     山頂へ向かって尾根上を登って行くと、途中で御嶽城の遺構らしき、堀切の跡がありました。 最後に短い急坂を登れば山頂(本丸跡で目立つ遺構なし)。尾根上の分岐から約10分。 山頂は木々に包まれ、展望はさほどありません。 御嶽城は文明20年(1480)頃に、阿保氏(金鑚神社に多宝塔を寄進)に築城。 後に要衝に位置していたため、武田氏と後北条氏の争奪戦に巻き込まれ落城、武田氏の家臣である長井氏の居城となったそうです。[10]