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飛龍之榧 (保木野龍清寺のカヤ)
巨木の写真
巨木の詳細
| 巨木の名前 | 飛龍之榧 [2]、保木野龍清寺のカヤ [6] |
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|---|---|---|---|---|
| 樹種 | カヤ (榧) | |||
| 幹周 | 4.00m [6], 3.50m [7] | |||
| 樹高 | 不明 | |||
| 推定樹齢 | 300年以上 [2] | |||
| 特徴 | 大きく南へ傾いた主幹 | |||
| 保護指定 | 本庄市指定天然記念物 | |||
| 所在地 | 埼玉県本庄市児玉町保木野 | |||
| 所在施設 | 龍清寺 (不動院東方山) | |||
| 撮影日・状態 | 2025.09.16 : 前回より樹冠の密度が増した、特に下枝が伸びている、ズズメバチ注意の貼紙あり 2017.03.24 : 樹勢は良い様子、見事な傾き具合で主幹は折損していない | |||
| アクセス | ||||
| 車 | 関越道・本庄児玉ICから約6m | |||
| 電車 | JR八高線・児玉駅から約3㎞ | |||
| 参考情報 | ■現地資料 [1] 本堂屋根改築記念 :石碑、内容は下記雑記の写真01を参照 [2] 飛龍之榧 :解説板、内容は下記雑記の写真02を参照 [3] 塙保己一公園 :解説板、内容は下記雑記の写真03を参照 [4] 塙保己一の墓碑 :石碑、内容は下記雑記の写真04を参照 [5] 塙保己一の旧家 :解説板、内容は下記雑記の写真05を参照 ■外部ウェブサイト [6] 本庄市ホームページ :塙保己一の情報など参考 [7] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の記録) ■少遠景の記録 [8] 城山稲荷神社のケヤキ :本庄市街地、本庄城跡に残る大ケヤキ、市内最大の巨木 [9] 宝輪寺のカヤ :本庄市の北部、飛龍之榧とは違い真っ直ぐな立姿 | |||
巨木と雑記.龍清寺と飛龍之榧
本庄市の西部に位置する旧児玉町の保木野。 当地は塙保己一 (後述) の生家があり、その北側に接して龍清寺 [1] [2] があります。 創建は慶長年間 (1596-1615) とされる真言宗豊山派の古刹であり、児玉三十三霊場二十七番札所。 江戸時代の正徳年間 (1711-1716)、袋算和尚により中興され、カヤもこの時に植えられた。 現在の本堂は、文政13年 (1830) に再建されたものが元であるそうです。
飛龍之榧 [2] について。このカヤは中興の祖、袋算和尚の手植えとされます。 和尚は上野国新田郡笠懸 (現群馬県みどり市域) にある不動寺の修行僧でした。 あるとき、師僧から修行の旅に出るように諭され、そして辿り着いたのが、 この保木野の地にあった不動堂。 和尚は荒れていた不動堂の復興と修行に励むこと幾星霜。 師僧から形見として渡されたカヤの実は、いつしか大木へ成長。 和尚はかつて、眠っているとき龍神に乗って飛ぶ夢を、何度も見たことを思い出し、 飛龍之榧と名付けたと云われます。 このカヤの特徴は、大きく南へ傾いた主幹。 根元から頭頂部まで、滑らかな線を描いて湾曲しています。 長らく上州名物の強風「空っ風」に揉まれた結果か。 今まさに、天へ昇らんと巨体を剃らし、大きく翼を広げる飛龍のような立姿。 関東地方でも稀な姿の見事なカヤです。
巨木と雑記.塙保己一の生地
龍清寺の建つ本庄市保木野は、埼玉を代表する近世の偉人の一人、塙保己一 [3] [5] [7] の出生地。 誕生は延享3年 (1746)。幼少時に盲目となるも、学問を研鑽し、江戸にて国学者として大成。 寛政5年 (1793)、幕府公認の学問所である和学講談所を創立。 安永8年 (1779)、膨大な数の歴史書と文学書をまとめた一大叢書、群書類従を刊行。 文政4年 (1821)、盲人の最高位の官職・検校を統括する総検校に就任。 後の学者の育成や、学問の研究に多大な貢献を成した人物です。 塙保己一の墓碑 [4] と旧家があるのは、龍清寺のすぐ近く。 墓碑は子孫(萩野家)の方が、明治19年に四谷の安楽寺の墓所から、土を持ち帰って慰霊したのが始まりだそう。 墓碑は近年に、綺麗に整備された塙保己一公園の奥に移されました。 ちなみに、明治30年に安楽寺は廃寺となり、元の墓所は新宿の愛染院へ移され現存しています。
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