• TOP
  • 巨木
  • 登山
  • 渡良瀬
  • 旅日記
  • 更新履歴
  • PR
  • 巨木TOP / 埼玉 / 飛龍之榧 (保木野龍清寺のカヤ)

    飛龍之榧 (保木野龍清寺のカヤ)

    巨木の写真

    撮影日:2025.09.16 【01】根本に石仏が安置されている 飛龍之榧-01
    【02】 飛龍之榧-02
    【03】 飛龍之榧-03
    【04】 飛龍之榧-04
    【05】 飛龍之榧-05
    【06】 飛龍之榧-06
    【07】 飛龍之榧-07
    【08】 飛龍之榧-08
    【09】 飛龍之榧-09
    撮影日 (2017.03.24) 【01】飛龍のように傾いた主幹を支える根本は岩のようだ 飛龍之榧01
    【02】 飛龍之榧02
    【03】 飛龍之榧03
    【04】 飛龍之榧04
    【05】 飛龍之榧05
    【06】 飛龍之榧06
    【07】 飛龍之榧07
    【08】 飛龍之榧08
    【09】 飛龍之榧09
    【10】 飛龍之榧10
    【11】 飛龍之榧11
    【12】 飛龍之榧12
    【13】 飛龍之榧13

    巨木の詳細

    巨木の名前 飛龍之榧 [2]、保木野龍清寺のカヤ [6]
    樹種 カヤ (榧)
    幹周 4.00m [6], 3.50m [7]
    樹高 不明
    推定樹齢 300年以上 [2]
    特徴 大きく南へ傾いた主幹
    保護指定 本庄市指定天然記念物
    所在地 埼玉県本庄市児玉町保木野
    所在施設 龍清寺 (不動院東方山)
    撮影日・状態 2025.09.16 : 前回より樹冠の密度が増した、特に下枝が伸びている、ズズメバチ注意の貼紙あり
    2017.03.24 : 樹勢は良い様子、見事な傾き具合で主幹は折損していない
    アクセス
    関越道・本庄児玉ICから約6m
    電車 JR八高線・児玉駅から約3㎞
    参考情報 ■現地資料
     [1] 本堂屋根改築記念   :石碑、内容は下記雑記の写真01を参照
     [2] 飛龍之榧       :解説板、内容は下記雑記の写真02を参照
     [3] 塙保己一公園     :解説板、内容は下記雑記の写真03を参照
     [4] 塙保己一の墓碑    :石碑、内容は下記雑記の写真04を参照
     [5] 塙保己一の旧家    :解説板、内容は下記雑記の写真05を参照
    ■外部ウェブサイト
     [6] 本庄市ホームページ  :塙保己一の情報など参考
     [7] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2000年度の記録)
    ■少遠景の記録
     [8] 城山稲荷神社のケヤキ :本庄市街地、本庄城跡に残る大ケヤキ、市内最大の巨木
     [9] 宝輪寺のカヤ     :本庄市の北部、飛龍之榧とは違い真っ直ぐな立姿

    巨木と雑記.龍清寺と飛龍之榧

     本庄市の西部に位置する旧児玉町の保木野。 当地は塙保己一 (後述) の生家があり、その北側に接して龍清寺 [1] [2] があります。 創建は慶長年間 (1596-1615) とされる真言宗豊山派の古刹であり、児玉三十三霊場二十七番札所。 江戸時代の正徳年間 (1711-1716)、袋算和尚により中興され、カヤもこの時に植えられた。 現在の本堂は、文政13年 (1830) に再建されたものが元であるそうです。

    cm-龍清寺-01 【01】本堂屋根改築記念碑。昭和後期に真淨和尚が荒れていた寺を再興。 改築工事の最中に和尚は遷化するが、工事は完了し伽藍は荘厳された。 このことが詳しく刻まれた碑文を読み胸が熱くなった。
    cm-飛龍之榧-02 【02】飛龍之榧の解説板。

     飛龍之榧 [2] について。このカヤは中興の祖、袋算和尚の手植えとされます。 和尚は上野国新田郡笠懸 (現群馬県みどり市域) にある不動寺の修行僧でした。 あるとき、師僧から修行の旅に出るように諭され、そして辿り着いたのが、 この保木野の地にあった不動堂。 和尚は荒れていた不動堂の復興と修行に励むこと幾星霜。 師僧から形見として渡されたカヤの実は、いつしか大木へ成長。 和尚はかつて、眠っているとき龍神に乗って飛ぶ夢を、何度も見たことを思い出し、 飛龍之榧と名付けたと云われます。

     このカヤの特徴は、大きく南へ傾いた主幹。 根元から頭頂部まで、滑らかな線を描いて湾曲しています。 長らく上州名物の強風「空っ風」に揉まれた結果か。 今まさに、天へ昇らんと巨体を剃らし、大きく翼を広げる飛龍のような立姿。 関東地方でも稀な姿の見事なカヤです。

    巨木と雑記.塙保己一の生地

     龍清寺の建つ本庄市保木野は、埼玉を代表する近世の偉人の一人、塙保己一 [3] [5] [7] の出生地。 誕生は延享3年 (1746)。幼少時に盲目となるも、学問を研鑽し、江戸にて国学者として大成。 寛政5年 (1793)、幕府公認の学問所である和学講談所を創立。 安永8年 (1779)、膨大な数の歴史書と文学書をまとめた一大叢書、群書類従を刊行。 文政4年 (1821)、盲人の最高位の官職・検校を統括する総検校に就任。 後の学者の育成や、学問の研究に多大な貢献を成した人物です。

     塙保己一の墓碑 [4] と旧家があるのは、龍清寺のすぐ近く。 墓碑は子孫(萩野家)の方が、明治19年に四谷の安楽寺の墓所から、土を持ち帰って慰霊したのが始まりだそう。 墓碑は近年に、綺麗に整備された塙保己一公園の奥に移されました。 ちなみに、明治30年に安楽寺は廃寺となり、元の墓所は新宿の愛染院へ移され現存しています。

    cm-塙保己一公園-03 【03】龍清寺のすぐ南側にある塙保己一公園の解説板。
    【04】 cm-塙保己一公園-04
    【05】 cm-塙保己一公園-05
    【06】 cm-塙保己一旧宅-06
    【07】 cm-塙保己一旧宅-07