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石井神社のケヤキ
巨木の写真
巨木の基本情報
| 巨木の名前 | 石井神社のケヤキ (仮) |
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|---|---|---|---|---|
| 幹周 | ケヤキ-A:6.50m [3] ケヤキ-B:4.40m [3], 6.05m (実測) | |||
| 樹高 | ケヤキ-A:30.0m [3] ケヤキ-B:30.0m [3] | |||
| 推定樹齢 | 300年以上 [3] | |||
| 保護指定 | 不明 | |||
| 所在地 | 茨城県笠間市石井 | |||
| 所在施設 | 石井神社 | |||
| 撮影日・状態 | 2025.11.11 : B木は目立つ損傷なく樹勢良し、幹周は少し根上がり部分も含むが予想より太かった | |||
| アクセス | ||||
| 車 | 北関東道・友部ICから約8km、笠間西ICから約10km | |||
| 電車 | JR水戸線・笠間駅から約2km | |||
| バス | 石井神社前、茨城交通の路線 (笠間駅前~桃山) | |||
| 参考情報 | ■現地資料 [1] 石井神社の由緒 :写真無し、GooglMapの投稿画像などを参照 [2] 御神木と御神像 :内容は下記雑記の写真03を参照 ■外部ウェブサイト [3] 茨城県神社庁 :石神社の紹介あり [4] 巨樹巨木林データベース :当巨木の登録あり (2000年度の調査記録) ■少遠景の記録 [5] 大井神社の親子杉 :笠間市の大渕、式内社とされる古社、夫婦椹と雷神杉も紹介 [6] 稲田禅房のお葉付イチョウ:笠間市の稲田、親鸞聖人のお手植えと伝る国内最大級のお葉付イチョウ [7] 稲田小学校跡のケヤキ :笠間市の稲田、小学校跡の門前に根差す2本 | |||
巨木と雑記
大勢の参拝客で賑わう笠間稲荷神社から西、 国道355号線に面した石井神社。 比べてこちらは静かな佇まいですが、 平安時代の初期頃までには創建されていたという古社 (由緒の詳細は後述)。 そして、社殿の傍らにそびえ立つ、2本の御神木のケヤキ (AB) が目を引きます。 社殿の左手前のケヤキ-A木。 第一の御神木とされているようで、根本の空洞には神像が安置されています。 社殿背後のケヤキ-B木は樹勢良好。大きな樹冠で社殿を美しく彩っている。 広範囲に隆起した根元によって、幹周は予想より太く逞しいものでした。 笠間稲荷がお目当ての人、こちらへの参拝もお勧めします。
石井神社の由緒 [1][3] について。創建の詳しい由緒は不詳ながら、 平安初期の大同2年 (807) に、社殿を再建したという記録があるそうです。 現在の本殿は拝殿に掲げられた絵馬から、 天明8年 (1788) の再建であることが分かっています。 祭神は機織りの神様としても広く信仰されている建葉槌命。 石井神社では、武運や健脚の神様としても信仰されています。 社伝によると神代の昔、天照大神による蘆原中国の平定 (国譲り) のとき。 この地方を支配していた天甕星 (香々背男命) は服従せず、巨石となり抵抗。 そこで建葉槌命は、討伐に派遣された武甕槌神と経津主神より命を受け、 大甕の山で巨石を蹴り飛ばして天甕星を退治した。 巨石は三方向に割れ飛び、そのひとつが石井の地に落ちる。 そして天甕星の祟りを鎮めるべく建葉槌命を祀ったのが、 石井神社の創祀とされるそうです。 なお、社伝の建葉槌命が天甕星を討伐した地は、日立市の大甕神社 (地図リンク) 。割れ飛んだ巨石が落ちた他の二つの場所は、 東海村の石神社 (地図リンク) と、城里町の風隼神社 (地図リンク) であると伝わるそうです。
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