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羽梨山神社のスギ
巨木の写真
巨木の基本情報
| 巨木の名前 | 羽梨山神社のスギ [1][4] |
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|---|---|---|---|---|
| 樹種 | スギ (杉) | |||
| 幹周 | 8.00m [1][5], 7.58m[4], 7.93m (実測) | |||
| 樹高 | 40.0m [1], 39.2m [4], 20.0m [5] | |||
| 推定樹齢 | 500年 [1] | |||
| 特徴 | 地上5m付近から双幹となり立ち昇る | |||
| 保護指定 | 笠間市指定天然記念物 | |||
| 所在地 | 茨城県笠間市上郷 (広域・岩間) | |||
| 所在施設 | 羽梨山神社 | |||
| 撮影日・状態 | 2025.11.11 : 樹勢良好、根本は盛土や落葉の堆積がある印象、本来の幹周はもっと太くなる? | |||
| アクセス | ||||
| 車 | 常磐道・岩間ICから約10km、北関東道・友部ICから約8km | |||
| 電車 | JR常磐線・岩間駅から約4km | |||
| 参考情報 | ■現地資料 [1] 羽梨山神社のスギ :解説板、内容は下記雑記の写真03を参照 [2] 羽梨山神社の由緒 :石碑、内容は下記雑記の写真04を参照 [3] 旧跡地碑建立記念 :石碑、内容は下記雑記の写真05を参照 ■外部ウェブサイト [4] 笠間市ホームページ :当巨木の情報あり [5] 巨樹巨木林データベース:当巨木の登録あり (2008年度の調査記録) ■少遠景の記録 [6] 山根池のムクノキ :笠間市の泉 (広域・岩間)、山裾の大きな溜池の畔に佇むムクノキ [7] 大井神社の親子杉 :笠間市の大渕、式内社とされる古社、夫婦椹と雷神杉も紹介 | |||
巨木と雑記
筑波山から北東へ離れて連なる難台山 (標高553m)。 東山麓には田畑や果樹園が広がる裾野が広がり、その奥に羽梨山神社が鎮座しています。 延喜式内社とされる古社であり、当地の郷社とされてきた鎮守 (由緒の詳細は後述)。 社殿背後にそびえ立つ御神木は、スギの巨木が多い筑波山の周辺地域でも、 最大級となるスギです。 地上5m付近から双幹となり、上層で広がる樹冠は神々しく、端正で美しい立姿。 根本は重量感に優れ、予想した幹周は9mに達しそうな印象でした。 根本の地表は、土盛りや落葉などの堆積で上がっている様子。 本来の幹周はもう少し太そうです。
式内社である羽梨山神社の由緒について [2] [3] 。社伝によると神代の昔、当地の磐麻 (岩間) には、磐筒男と磐筒女の二神が在あった。 二神は東征に向かう途中の日本武尊を助けたことから、 尊より羽梨山の尊称を戴き、朝日丘に奉斎されたとのこと。 羽梨山とは難台山の旧称。 そして羽梨山神社の元の鎮座地が、 西側のゴルフ場 (石岡ウエストカントリークラブ) であることから、 そこが朝日丘であったのかもしれません。 後に現在の祭神である木花咲耶姫命を勧請。 羽梨山は花白山と称され、春は山桜の花に覆われて美しいので、 相応しい神を勧請したと伝わるそうです。 由緒の続き。 延暦22年 (803)、坂上田村麻呂より陸奥征討の奉斎として、社殿を寄進する。 鎌倉時代、茨城郡宍戸を拠点とした宍戸家政により、社殿の寄進を受け、 また宍戸33郷の鎮守とされる。 天文11年 (1542)、兵火により社殿は焼失し、朝日丘より8町ほど離れた現社地に遷る。 延享 4年 (1747)、現社殿を再建。 明治 6年 (1873)、郷社に列せられ、現在に至ります。
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