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公津の大スギ
巨木の写真
撮影日:2015.02.13 | |||
巨木の周辺(麻賀多神社) | |||
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巨木の詳細
巨木の名前 | 公津の大スギ | 幹周/樹高 | 9m / 40m | |
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樹種 | スギ(杉) | 保護指定 | 千葉県指定天然記念物 | |
推定樹齢 | 1300年 | 撮影日/天候 | 2015.02.13 / (晴) | |
所在地 | 千葉県成田市台方(麻賀多神社の境内、本殿の北側) | |||
アクセス | ||||
車 | 東関東自動車道・富里IC:約6.5km | |||
電車 |
公津の杜駅(京成本線) 駅から成田市コミュニティバス「北須賀ルート」に乗車し「麻賀多神社」で下車 |
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備考 |
神社前沿いの駐車場・第1駐車場に車を止める場合は少し注意を。 若干縦に狭く道路は以外と交通量が多い。 |
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近辺の観光 | 成田市観光協会「FEEL成田」 | |||
近辺の巨木 | (探索中) |
巨木の地図
巨木と雑記
麻賀多神社は成田市の印旛沼の東方約1kmに位置する標高30mの台地上にあります。
印旛郡に含まれていた周辺市町に18社ある麻賀多十八社の惣社で、
船形区の手黒(奥の宮)と、ここ台方区の稷山の2社あります。
平安時代に編纂された延喜式(※1)の神名帳に記載された由緒ある神社です。
御祭神は、船方社は稚日霊神(※2)、台方社は稚産霊神(※3)です。
創建は、応神天皇20年(289)に印旛国造であった伊都許利命(※4)が成田市船形に稚日霊神と稚産霊神を
を祀った社殿を造営したのが始まりだそうです。
その後、推古天皇16年(608)に伊都許利命の8世の子孫・広鋤手黒彦命が、
現在の台方社に稚日霊神を遷座し、船形の社殿が奥宮となりました。
台方社から北方1kmにある船形社には、伊都許利命のものとされる墳墓があります。
麻賀多神社の境内は木々が茂りスギやスダジイの大木が多いです。聖域として古来から守られてきた土地なのでしょう。
御神木の公津の大スギは、境内の北側に立っています。
大スギの根元は鉄作と、大杉成就橋という木道で覆われ保護されています。
樹高は40mと素晴らしく高く、幹周は9mと目の前を覆う太さです。
見上げると、境内の森から突き出した梢は遥か高くに光を浴びて輝いて見えます。まさに神が宿る御柱といった観です。
【 補足 】
※1)延喜式
平安時代中期に編纂された格式(律令を補完する法令集)で、三代格式の一つ。
祭祀を司る神祇官の法令、司法・行政・立法を司る太政官の法令が主な内容。
延喜5年(905)に編纂され始め延長5年(927)に完成した。
神名帳という神社の一覧表がある。
※2)稚日霊神(ワカヒルメノカミ)
別称は稚日霊命・稚日女尊(ワカヒルメノミコト)?
日本書紀では、高天原で神衣を織っていた所をスサノオに驚かされて事故死している
これに衝撃を受けた天照大神は天岩戸に引き籠もってしまう
天照大神の御子神や妹神だという諸説(または幼名)があるらしい
※3)稚産霊神(ワカムスビノカミ)
古事記では和久産巣日神、日本書紀では稚産霊と記される
日本書紀では火の神・迦具土神(カグヅチ)と土の神・埴山姫(ハニヤマヒメ)の子
五穀豊穣、養蚕の神として信仰されている
※4)伊都許利命(イツコリノミコト)
神武天皇の皇子神八井耳命八世の孫。大和朝廷における印旛郡一帯の地方長官
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