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軍刀利神社のカツラ
巨木の写真
巨木の詳細情報
巨木の名前 | 軍刀利神社のカツラ [2][3][4] |
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樹種 | カツラ(桂) | |||
幹周 | 10.2m [2], 9.0m [3][4] | |||
樹高 | 46m [2], 31m [3], 33m [4] | |||
推定樹齢 | 500年 [3] | |||
特徴 | 太い根本と中心にそびえる2本の幹 | |||
保護指定 | 山梨指定天然記念物 | |||
所在地 | 山梨県上野原市棡原 | |||
所在施設 | 軍刀利神社 | |||
撮影日・状態 | 2018.08.01 : 樹勢は良く中央にまとまった樹形.南北の立姿はだいぶ印象が変わる. | |||
アクセス | ||||
車 | 中央自動車道・上野原ICから約7.8km | |||
電車 | JR中央本線・上野原駅の南口から約9km | |||
バス | 富士急バスの路線、上野原駅発の井戸行きを利用、終点の井戸で下車 | |||
参考情報 | ■現地資料 [1] 軍刀利神社の由緒 :詳細は下記の神社境内の写真03を参照のこと ■書籍 [2] 神様の木に会いに行く :著者・高橋弘、発行・東京地図出版、ISBN978-4-8085-8559-4 ■公式ウェブサイト [3] 巨樹巨木林データベース:2000年度の調査記録(上野原市教育委員会社会教育係) [4] 上野原市ホームページ :軍刀利神社のカツラの情報あり [5] ウィキペディア :軍荼利明王についてのページ |
巨木と雑記.軍刀利神社の歴史
山梨県内で最大級の大カツラを求め、上野原市は棡原にある軍刀利神社に参詣しました。 以下、神社の由緒 [1] について。 永承3年(1048)の創建という1000年近い歴史を持つ古社です。 一帯の地域である棡原郷、桧原郷、佐野川郷などから総鎮守として崇敬。 戦勝をもたらす軍神として、戦国時代には武田氏や岩殿山城主の小山田氏から寄進を受けた。 元は三国山の山頂に鎮座していたが、火災に遭った正徳年間(1711~1716)に現在地へ遷座。 軍刀利神社の祭神は日本武尊。 甲斐国志には「棡原村井戸鎮守の軍荼利夜叉明王社」との記述があるそうです [1]。 山頂に鎮座していたこともあり、元は軍荼利明王 [5] を本尊とした、山岳修験の霊場だったのか。 明治期の廃仏毀釈で神道に一本化されたのでしょう。
巨木と雑記.軍刀利神社の境内(入口からカツラまで)
地図中の社務所のある位置に車を停めて歩いていきました。 本殿へ続く石段の参道が、特に霊場らしい厳粛な雰囲気がしています。 本殿の向かって右側手前にある建物は額殿。奉納されている巨大な木刀に目が引かれることでしょう。 本殿の向かって左側を過ぎて山道へ。この先は未舗装。 10分もあれば奥之院と大カツラの元へ着くでしょう。 奥之院から先には三国山へ続く登山道。約1時間20分ほどで登頂できるようです。
巨木と雑記.大カツラについて
一目見た瞬間、美しい立姿の大カツラだと感じました。 太い根本と中央にまとまった樹形。中心には背の高い2本の幹。樹勢は良好。 もっと荒々しいイメージがあったのですが、予想よりも優美な立姿に感じ入りました。 武神を祀る神社の名前に先入観が手伝っていたか。 かといって迫力が薄いわけがありません。 健全な幹周約10メートルもの巨樹。素晴らしい威容を示しています。 最初に対面する南側は、陽当たりが良く生育状態が著しい。 この大カツラの正面、顔といえるでしょう。 では背後の北側はというと、だいぶ印象が変わります。 一言でいうと背中らしい姿。 正面に比べれば迫力は劣るでしょうが、私はこの背中に強く惹かれました。 2つの太い幹の間が板根状に発達した隆起で埋まっている。 それを中心として無数のヒコバエが囲み、燃え上がっていくような立姿。 まるで明王像が宿す火焔光背。 なるほど、軍荼利明王を祀った古社の神木です。
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