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雲立のクス(浜松八幡宮)と浜松城公園
巨木の写真
巨木の基本情報
巨木の名前 | 雲立のクス [2] |
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樹種 | クスノキ(楠) | |||
幹周 | 13.0m [2][3] | |||
樹高 | 15.0m [2][3][4] | |||
推定樹齢 | 1000年以上 [2][4] | |||
特徴 | 大空洞と南北に広がる樹形 | |||
保護指定 | 浜松市指定天然記念物 | |||
所在地 | 静岡県浜松市中区八幡町2 | |||
所在施設 | 浜松八幡宮 | |||
撮影日・状態 | 2019.02.26 : 南北に裂けていてワイヤーと支柱による補助、南側の幹の方が樹勢が良い | |||
アクセス | ||||
車 | 東名高速・浜松ICから約8km | |||
電車 | JR浜松駅から2km以内 | |||
参考情報 | ■現地解説板 [1] 浜松八幡宮由緒 :内容は上記の写真11と12を参照 [2] 雲立のクス :内容は上記の写真13を参照 ■外部ウェブサイト [3] 巨樹巨木林データベース:2000年度の調査記録 [4] 浜松八幡宮ホームページ:大クスについての詳細な紹介あり [5] 浜松城公園 :城の歴史や園内設備の詳細な情報あり ■少遠景の記録 [6] 北浜の大カヤノキ :浜松市(浜北区)にある遠江最大のカヤ |
巨木と雑記.浜松八幡宮
浜松八幡宮は浜松市の市街中心部に鎮座する古社。 社伝によれば仁徳天皇の御代(4世紀末~5世紀初)、海運安泰のため玉依比売命を勧請。 平安時代には許部神社に比定される式内社であり、浜松の鎮守として古くから信仰を集めていました。 浜松という地名の由縁でもあります。 天慶元年(938)に神託があり、 白狐が翁の姿となり「浜の松」を当地に植えたという(宮司の夢枕?)。 そして元の鎮座地(海沿いの南区小沢渡町)から遷座。 この故事から浜松と呼ばれるようになったそうです。 永承6年(1051)には八幡太郎こと源義家により石清水八幡が勧請。 武神としても信仰され、中世には徳川家から厚く崇敬され栄えていきました。 [1][4]
巨木と雑記.雲立のクス
雲立のクスは、大きな空洞を抱え南北にほぼ裂けている姿。 主幹が健全な最盛期は、駿河と遠江で最大のクスノキであったのかも。 大きな損傷を抱えていても、南北に伸びた幹は青々と茂り、大きな樹冠を広げている。 悠久の時を刻み、今も懸命に生き続ける荘厳な立姿。 神宿る祠のような神々しさも感じられる素晴らしい老巨樹でした。 伝承について [1][2][4]。 浜松城の鬼門鎮守の氏神であり、徳川家康も度々参拝していたという浜松八幡宮。 大クスにも家康に纏わる伝承が残されています。 元亀3年(1572)、武田信玄との三方原合戦に敗れた家康は、 敗走の途中でこの大クスの洞に潜んだと云われます。 その際に瑞雲が立ち昇り、これを見て家康は勇躍。 武田軍を防いで再起を果たしたということから、雲立楠と呼ばれるようになったそうです。 現在の立姿からも不屈の精神が感じられる御神木。
巨木と雑記.浜松城公園
浜松市街地の代表的な史跡にして観光地といえば、浜松城公園でしょう。 近くの浜松八幡宮と併せて訪れました。 浜松城は元亀元年(1570)に徳川家康が築城。 約17年間、遠江と駿河支配の拠点となった居城。 家康が地盤を固め、着々と勢力を拡大していった壮年期を過ごした城であり、 別名・出世城とも呼ばれています。 現在は城の遺構を元に石垣の城郭や天守を復元。 かつての広大な曲輪跡は、美しい庭園や運動場として整備。 市民の憩いの場となっています。[5]
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