巨木TOP / 神奈川 / 大雄山最乗寺の巨スギ群
大雄山最乗寺の巨スギ群
巨木の写真
巨木の詳細
巨木の名前 | 大雄山最乗寺の巨スギ群 | 幹周/樹高 | 7m / 45m(※最大の固体) | |
---|---|---|---|---|
樹種 | スギ(杉) | 保護指定 | 神奈川県指定天然記念物 | |
推定樹齢 | 500年(※最大の固体) | 撮影日/天候 | 2015.06.23 / 晴 | |
所在地 | 神奈川県南足柄市大雄町 | |||
アクセス | ||||
車 |
■ 東名高速道路・大井松田IC: 距離約8km(県道78、723を経由した場合) |
|||
電車 |
■ 大雄山駅(伊豆箱根鉄道): 伊豆箱根バスの「道了尊」行に乗車.約10分で到着. |
|||
備考 |
大雄山の山林に入るまで、幼稚園などある住宅地の細い道を通るので速度に注意。 ここは道場の禅寺、御導師たちの修行の妨げにならぬよう静かに拝観すべし。 大雄山は南西の明神岳からの尾根が続き、ここは登山口のひとつでもある。 |
|||
近辺の観光 | 大雄山最乗寺 / 南足柄市観光協会・やっほう!あしがら | |||
近辺の巨木 | (探索中) |
巨木の地図
巨木と雑記
火山である箱根山の北東部に位置する外輪山の明神ヶ岳。富士山、丹沢山地、相模湾の好展望台です。
その明神ヶ岳の更に北東山麓に山号・大雄山の最常寺はあります。
曹洞宗・了庵派の派祖である了庵慧明禅師(※1)が開山した600年(応永元年:1394)もの歴史ある霊場です。
境内の山林は約1.3k㎡(130町歩)もの広さがあり、多くの巨スギと堂塔が並ぶ
仏法修行の大伽藍です。
県道723号線を大雄山に向けて南進し、民家が無くなってくると、山麓に入ります。
写真はありませんが、赤い仁王門を過ぎると、道の両脇に立つ大スギが目立ってきます。
まるで栃木県の日光街道に並ぶ日光杉並木のようでした。
仁王門から3km先まで、車道と並走した天狗の小道があります。
大スギの並木の中をゆっくり歩け、22丁目の位置には「袈裟掛けの松」(※1-2)があります(これも後で知ったので写真無し…)。
立派なお堂の並ぶ境内へ入っても、参道やお堂の脇に、幹周5m以上はありそうな大スギが多いのに驚きます。
特に瑠璃門、結界門、三面大黒殿、奥の院への長い階段(350段以上)の側に立つ大スギが巨大なようでした。
清められ美しくも華美過ぎない厳かな境内の参道や堂塔。それらを囲む大雄山の大スギの群れ。
仏法修行の霊場の深い歴史と篤い信仰、そして強い求道心を感じました。
この最乗寺では、天狗信仰があり、お堂の瓦や壁や柱の意匠に、天狗の団扇のマークが飾られていたり、
門や参道の脇に、天狗の衛士の像が安置されています。
開山した了庵慧明禅師(※1)の弟子である道了尊(※3)が天狗に化身し、大雄山を守護していると云われるからです。
なるほど、何やら霊気を感じる境内では、大スギの上から天狗が見下ろしているのかもしれません。
道了尊を祀った御真殿の中には、両脇侍として巨大な大天狗・小天狗の像が安置され、
御真殿の脇には大きな天狗の高下駄が奉納されていて見物です。
【 補足説明 】
※1)了庵慧明
曹洞宗で最大の門流である了庵派の派祖(1337-1411)。
出身は相模大住郡糟谷荘(現・神奈川県伊勢原市)。俗姓は藤原氏で、地頭の職に在った。
初め臨済宗に学び、諸国行脚の後、丹波(兵庫県)永沢寺の通幻寂霊の弟子となり、曹洞宗に改宗。
通幻のあとを嗣いで永沢寺と、近江・総持寺、越前・龍泉寺、能登・妙高庵寺を住持し
応永元年(1394)年に故郷の相模へ戻り大雄山最乗寺を開くに至る。
開山の霊験は(※1-2)を参照。弟子の道了尊は(※3)を参照。
※1-2)開創の霊験
了庵が通幻を嗣いで後席の寺を住持した後、相模の曽我の里に竺圡庵(ちくどあん)を結んだ。
ある日、1羽の大鷲が了庵の袈裟をつかんで足柄の山中まで飛び、大松の枝に掛けた。
この霊験の啓示により、南足柄の山中に大雄山最乗寺が開山された。
この「袈裟掛けの松」の跡(枯死状態)が仁王門から続く天狗の小道の22丁目に残っている。
※3)天狗信仰と道了尊
了庵慧明の弟子。出生は不明。明覚道了、道了大薩埵、道了尊とも呼ばれる。
覚増法親王(※4)に仕え、奈良の金峰山と大峰山や熊野三山で修業し、修験道を満行した。
三井寺園城寺(滋賀県大津市にある天台宗の総本山)にて、
観学(指導的立場の高位の僧に与えられる称号)を務めていたときに、
大雄山開山には了庵のもとへ参じ、土木の業に従事し、寺の建立に大いに貢献した。
了庵が遷化すると道了は「大雄山を護り多くの人々を利済す」旨の五大誓願文を唱えて、
姿を変え、火焔を背負い、白狐に乗り、山中に身を重ねた。
以後、道了は大雄山を守護する天狗や、十一面観世音菩薩の化身とされ、厚く信仰されている。
※4)覚増法親王
後光厳天皇の皇子(1363-1390)。京都の聖護院にて出家。
後に滋賀の三井寺園城寺(天台宗)の長吏(別当・座主と同格?)を務めた。
神奈川TOP | △TOP | 前へ戻る |