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    有馬のはるにれ

    巨木の写真

    撮影日(2017.08.03) 【01】国内最大かもしれないハルニレの巨木は海老名市に立つ! 有馬のはるにれ01
    【02】東側 有馬のはるにれ02
    【03】東側 有馬のはるにれ03
    【04】東側 有馬のはるにれ04
    【05】東側 有馬のはるにれ05
    【06】北側 有馬のはるにれ06
    【07】南側 有馬のはるにれ07
    【08】西側 有馬のはるにれ08
    【09】解説板 有馬のはるにれ09

    巨木の詳細

    巨木の名前 有馬のはるにれ[1]
    樹種 ハルニレ(春楡)
    幹周 8.6m[1] 7.5m[3]
    樹高 15m[1] 20m[3]
    推定樹齢 350年以上[1]
    特徴 小人か妖精が洞に住んでいそうな?
    保護指定 神奈川県指定天然記念物
    所在地 神奈川県海老名市本郷
    所在施設 市有地?
    撮影日・状態 2017.08.03 : 幹に大空洞がある割には大きく茂る樹冠.これは樹勢回復治療の成果か.
    アクセス
    ■圏央道・海老名IC:距離約4.3km
    ■東名高速・厚木IC:距離約6.5km
    電車 ■相模線・社家駅 :距離約3km
    参考情報 ■現地資料
    [1]解説板・有馬のはるにれ  :道路沿いの根元近くに設置されたもの
    [2]石碑・驢庵半井瑞壽館址之碑:半井氏の由緒や4代目驢庵の瑞壽などについて(写真なし)
    ■ウェブサイト
    [3]巨樹巨木林データベース  :2000年度の調査記録
    [4]海老名市(公式)     :市営サイトにハルニレの詳細な情報あり
    [5]タウンニュース(公式)  :神奈川と東京多摩地区の地誌、有馬のはるにれ(2015年1月30日号)
    [6]コトバンク・半井明親   :初代の驢庵について、関連情報に二代目驢庵(瑞索)もあり
    [7]ウィキペディア・有馬村  :この地は昔は有馬村の一部、ハルニレの名前の由来か

    巨木と雑記1.幹周が国内最大のハルニレ

     国内の関東以北に多く分布するハルニレ。特に北海道に巨木大木が多いようです。 巨樹巨木林データベース[3]によると、幹周5m以上のハルニレは40本以上あり、その半数以上が北海道に分布。 最大のものは青森県の奥入瀬渓流にある「板根ハルニレ」で、幹周7.55m、樹高40m。 有馬のハルニレは幹周7.5mは僅差で2位となりますが、先方は幹から突き出る板根が発達しているようなので、 実質的な幹周第一位は有馬のハルニレかもしれません。

    巨木と雑記2.有馬のハルニレの感想

     このハルニレの姿は、幹の質感はクスノキを少し白っぽくしたようなもの。 葉の形と全体の樹冠はケヤキに近い姿(ケヤキはニレ科ケヤキ属)。 幹の根元付近や、柔らかくしなる下枝の一部は、クスノキに近い姿と映る…。 東北や北海道の寒冷地に自生するものとは、少し変わっている姿なのかも?

     どっしりと根本が大きく膨れた貫禄ある立姿のハルニレ。 その幹には根本から樹上まで空洞が貫通。 大きな損傷を抱える巨木ですが、その割には樹勢が良い様子。 枝葉の繁茂させた樹冠は大きく、洞を覆う樹皮の色つやも悪くない。 樹勢が良くないと聞いていたので、このハルニレの元気そうな姿はとても感激しました。 このハルニレが元気を取り戻したのは、海老名市による保護措置の賜物。 樹木医による診断、土壌改良、内部の補修、選定などが継続的に行われているそうです [4] [5]。

     ハルニレの洞の開口部は、竹を並べた建仁寺垣のような蓋で保護。 金属製の蓋などに比べてとても風流な感じ。 この竹製の蓋は、穏やかな風貌の巨樹と相まって幻想的な雰囲気を演出。 小人や妖精が大勢暮らす大樹のように見えてくる。 この際、ハルニレに負担のかからない程度に、小さな住人の装飾(窓枠・扉・表札・ポスト・煙突など)を凝らせば、 観光地にもなるのでは?と考えてしまいました。

    巨木と雑記3.ロアンのハルニレ

     ハルニレの歴史について。驢庵は植えたとされる人です。 以下、現地の石碑 [2] とコトバンク [6] より。 半井氏は戦国時代から続く医師の一族で、朝廷や戦国大名から重用。 半井明親は功績により、宮廷に乗馬(驢馬)での参内を許され、驢庵の號を賜る。 子孫も驢庵を襲名し、四代目驢庵が半井成近で法名は瑞壽。 瑞壽は寛永元年(1624)に関東へ下り、徳川家光から典医として重用。 相模国高座郡恩馬本郷村に領地を賜り、館を建てたというのが、このハルニレの立つ場所。

     次に以下、海老名市のサイト [4] とタウンニュースの記事 [5] より。 四代目驢庵の半井瑞壽は、後に朝鮮に渡り(留学?)、持ち帰ったハルニレの苗を館に植樹。 現在残るのは、門の両側に植樹されたうちの1本。 当時この樹木は珍しく、名前を知る人が居なかったので「なんじゃもんじゃ」と呼ばれた。

     そういえば、ハルニレの「有馬」は何なのでしょうか。 それは明治22年から昭和30年まで、この地が有馬村の村域であったことに由来していそう [7]。 現在も地名が残る、元の本郷村の名が付けられなかったのが少し不思議。 以上、驢庵さんのハルニレでした。