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鶴嶺八幡宮の大イチョウ
巨木の写真
巨木の詳細
巨木の名前 | 鶴嶺八幡宮の大イチョウ[1] |
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樹種 | イチョウ(公孫樹) | |||
幹周 | 9m[1] 9.19m[5] | |||
樹高 | 29m[1・5] | |||
推定樹齢 | 950年[4] | |||
特徴 | 背が高く太い幹は複数の側幹から成る | |||
保護指定 | 神奈川県指定天然記念物 | |||
所在地 | 神奈川県茅ヶ崎市浜之郷 | |||
所在施設 | 鶴嶺八幡宮 | |||
撮影日・状態 | 2017.08.03 : 記録の数値の通り背が高い.葉を大いに繁茂させた巨大な樹冠.樹勢が良い. | |||
アクセス | ||||
車 | ■寒川南IC(圏央道) 距離:約3km 経由:県道44-市道(田端南・右折)-市道(辻西・左折)-市道(参道横の道・左折) | |||
電車 | ■茅ヶ崎(JR相模線・湘南新宿線・東海道本線) 距離:約2km 経由:路線バスの利用も可能(以下) | |||
バス | ■鶴嶺小学校前(えぼし号・神奈川中央交通) 経由:茅ヶ崎駅北から以下の4路線の何れかを利用 路線:コ16・温水プール行、茅45・小谷行、茅48・古川行、茅52・西一之宮行 | |||
参考情報 | ■文献 [1]現地解説板・大イチョウ :幹周・樹高や樹形、伝承などの解説 [2]現地解説板・神社の由緒 :祭神、平安末期の創立から現在に至る歴史などの解説 [3]現地解説板・槇 :枯死後に幹の一部が保存、樹齢や由緒が解説 ■ウェブサイト [5]鶴嶺八幡宮・公式サイト :神社の由緒、境内の様子、アクセスなど参照 [6]巨樹巨木林データベース :2000年度、都市部公園みどり課の記録 [7]厚木市・日吉神社(地図) :境内に立つイチョウはGoogle Street Viewで確認できる |
巨木と雑記
茅ヶ崎市は神奈川で相模湾岸の中央部、湘南海岸に面した地域。 訪れたのは真夏の8月上旬。 「サザンビーチちがさき」などの海水浴場や、多くのサーフスポットがある海岸では、 多くの人々が夏の海を満喫していたことでしょう。 そんな海と太陽が輝く茅ヶ崎市で、私が目指す場所は巨木の在り処、鶴嶺八幡宮。 其処は茅ヶ崎の総社、鎌倉の鶴岡八幡宮より前に源氏によって建てられた八幡神の古社[2・5]。 境内に立つ御神木は、県内最大とみられるイチョウの巨木なのです。 神奈川県のイチョウで巨樹巨木林データベース[6]に登録済みのものでは、 鶴嶺八幡宮の大イチョウが実態では最大。 厚木市の日吉神社(下荻野)にあるイチョウは、幹周14.32mとして記録(調査年2000)されていますが、 これは誤記の様子。境内に立つイチョウの幹周は、実際には4~5mほどと見られます[7]。 拝殿の向かって右手前に立つ大イチョウ。 背は高く、爆発的に繁茂させた葉で巨体を覆い、樹勢は旺盛な様子です。 現地解説板[1]にある通り、幹は複数の側幹が癒着・集合した姿のもの。 幹は根本より数mほど上の方が太く、また側幹は1本のように密に収束。このため大いに重量感と迫力ある巨木です。 根本には、厄除けの儀式の石(かわらけ投げの石割石)が配置。 素晴らしい威容の大イチョウに、古くから人々は神秘を実感してきたのでしょう。 鶴嶺八幡宮は源氏が関東へ進出する際、最初に創建したとされる氏神社で、 創建は2代目の源頼義によるもの。 頼義は長元3年(1030)に平忠常の乱を平定する際、 石清水八幡宮を勧請して戦勝祈願し、懐島郷(現地)に当社を創建。 その後、頼義は康平6年(1063)に鎌倉由比郷へ遷座。 更に、治承4年(1180)に源頼朝によって鎌倉小林郷へ遷座され、後の鶴岡八幡宮となりました。 旧社となった懐島郷の当社は、本社八幡宮と呼ばれ、 その後も歴代源家や徳川家から信仰が続き手厚く保護。 慶安2年(1649)には徳川家光より朱印地が寄進。 その記念として、別当常光院の住職・朝恵上人が、 東海道(現在は国道1号線)の南大門から約764m続く参道に松を植樹。 この参道の遺構は現在も残されています。[2・5] 境内には大イチョウの他に、拝殿の横(向かって右側)にも御神木が1本。 既に枯死してしまった槇ですが、幹の一部が残されています。 槇は源頼義による手植えで、大イチョウは嫡子である義家(通称・八幡太郎)の手植えと伝えられるそうです。[1・3] 源氏に所縁が深く、鶴岡八幡宮の前身となった古社にして、御神木は神奈川で最大のイチョウ。 鎌倉に詣でる機会があったなら、必ず訪れたいと考えていた神社でした。
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