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御岩山の三本杉
巨木の写真
巨木の詳細情報
巨木の名前 | 御岩山の三本杉[1] |
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樹種 | スギ(杉) | |||
幹周 | 8.8m[5] | |||
樹高 | 35m[5] | |||
推定樹齢 | 500年以上[1] | |||
特徴 | 根本が癒着した3本の合体木の観 | |||
保護指定 | 茨城県指定天然記念物 | |||
所在地 | 茨城県日立市入四間町 | |||
所在施設 | 御岩神社 | |||
撮影日・状態 | 2017.03.04 : 幹や上層の樹冠に目立つ損傷なく樹勢良し.樹高は40m以上ありそう. | |||
アクセス | ||||
車 | ■日立中央IC(常磐自動車道) 距離:約8km 経由:日立中央IC出入口から県道36号 | |||
電車 | ■日立駅(JRひたち・ときわ・常磐線) 距離:約11km 経由:タクシーや日立電鉄の路線バスを利用可 | |||
バス | ■御岩神社前(日立電鉄バス) 経由:日立駅から「東河内」行に乗車、約35分 | |||
備考 | ■駐車場 境内内に1箇所、境内外の県道沿いに3箇所(1つは臨時) ■登山道 御岩神社から賀毗禮の峰まで表参道で約30分、裏参道の下山で約25分 | |||
近辺の巨木 | (探索中・・・) | |||
参考資料 | ■現地解説板 [1]御岩山の三本杉 :三本杉の巨木名・樹齢・伝承など(三本杉の正面に設置) [2]御岩神社 :御岩神社の祭神・由緒・歴史など(参道の入口付近に設置) [3]常陸国風土記 :風土記に纏わるという御岩神社の由緒など(参道の入口付近に設置) ■ウェブサイト [4]御岩神社 :由緒・歴史・行事・境内図など [5]巨樹巨木林データベース:幹周と樹高を引用(調査年2000) [6]茨城県神社庁 :御岩山に中宮がある薩都神社の由緒 [7]茨城県北ジオパーク :日立ジオサイトから御岩山の地層について [8]茨城県立歴史館 :茨城歴史辞典より常陸佐竹氏を参考 ■図書 [9]茨城県の山 :出版・山と渓谷社 ISBN978-4-635-02307-8 |
巨木と雑記
茨城県の北部に位置する日立市は、古くから発展してきた工業都市でもあります。 発展の主軸となったのが、豊富な銅を産出した日立鉱山で、後に鉱山の財閥から日立製作所が誕生。 今は閉山した日立鉱山跡に建つ日鉱記念館から西に聳える山が御岩山。 古代より信仰されてきた霊山とされ、西麓には立派な社殿の御岩神社が鎮座。 境内は御神木を始めとした杉の巨木に囲まれ、霊山に相応しい森厳とした雰囲気。 山頂の岩峰は神が宿るとされた磐座であり奥久慈の展望地。 今でも神秘を求める大勢の参拝者が絶えない霊場です。 御岩神社は標高約492m[9]の御岩山の西山麓に鎮座。 参道は入口から御神木の三本杉と仁王門を過ぎて、東へ真っ直ぐ本殿の前まで続きます。 本殿から山頂まで続く登拝道は、表参道と裏参道の2つに分岐し、中腹の姥神の付近で合流。 その先は山頂の岩峰へ直登せず、東にある向陽台との分岐まで迂回。 そこから尾根伝いに西へ登って山頂の岩峰「賀毗禮(かびれ)の高峰」へ。 登りは途中で奥宮がある表参道がお勧めです。 御神木の三本杉は、その名が示すとおり、三本の大杉が合体したような姿。 地上3m付近から3本に分かれ、各位が真っ直ぐ伸びています。 3本とも直幹で背が高く健全で、お互いが中央に干渉せず外型に大きく枝を伸ばし、とても美しく神々しい姿。 太い根本よりも、この三本が作る樹冠を見上げた姿に感銘を受けました。 三本杉には伝説があり、三本の幹の分かれ目に天狗が棲んでいて、近在の人々や参拝者たちから恐れられたそうです[1]。 天狗様は今は不在? 私はこの大杉から凄むような威圧を感じませんが、やはり三本が重なるこの樹形には、特別な神秘を感じるものです。 【 御岩山の地層 】 御岩山を含む日立市の一部の地層は、国内でも最古級とされる約5億年前(カンブリア期)のもの。 超大陸のゴンドワナの外縁に存在していた火山島が起源とみられます。 現在の日本列島が形成されたのは、約2億年前にパンゲア大陸と合体し、約2000万年前に大陸と離れた後。 この5億年前の地層の岩が御岩山では各所で見られ、山頂に聳える岩峰もその露頭。 御岩神社は日本原初に地に鎮座する特別な霊場なのです。[7] 【 御岩神社の由緒 】 御岩神社の創建時期は不詳。山中から縄文時代の後期の祭祀遺跡が発見されていて、古代からの信仰が窺えます。 奈良時代の初期には霊場として知られていた様子で、常陸国風土記(編纂713年)に「賀毗禮の高峰」として御岩山が記述。 大同2年(807)に式内社となる薩都神社が、麓の里へ遷座(現在の常陸大宮市里野宮町)。 裏参道には中宮が残されています。[2・6] 中世は山岳信仰とともに神仏習合の霊場となり、江戸時代には水戸藩の祈願所として繁栄。 初代藩主・徳川頼房は出羽三山を勧進。 2代・光圀は大日如来を本地とする御岩山大権現と改称。 神仏習合の名残として、境内にかつて存在した仏堂(神仏分離で破壊)の本尊、大日如来像と阿弥陀如来像が斎神社に安置。 山門が随身門でなく仁王門など、各所に見ることができます。[2・4] 御岩神社の御祭神は多数。 主祭神の格は本殿で祭祀されている国常立尊、大国主命、伊邪那岐尊、伊邪那美命。 そして、奥宮の賀毗禮神宮と薩都神社で祭祀される立速日男命。 常陸国風土記には、賀毗禮の高峰に立速日男命を祀るとあり、 薩都神社の本宮とされていたことから、御岩山の本来の祭神は立速日男命なのでしょう。[2・3]
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