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    能満寺のソテツ

    巨木の写真

    能満寺のソテツ(2018.02.24) 【01】ヤマタノオロチを連想させる迫力の樹形.鱗状の樹皮と多数の支幹(頭). 能満寺のソテツ01
    【02】 能満寺のソテツ02
    【03】 能満寺のソテツ03
    【04】 能満寺のソテツ04
    【05】 能満寺のソテツ05
    【06】 能満寺のソテツ06
    【07】 能満寺のソテツ07
    【08】 能満寺のソテツ08
    【09】 能満寺のソテツ09
    能満寺山公園(2018.02.24) 【01】能満寺山に再現された小山城の天守閣.内部は資料館と展望台! 能満寺山公園01
    【02】 能満寺山公園02
    【03】 能満寺山公園03
    【04】 能満寺山公園04
    【05】 能満寺山公園05
    【06】 能満寺山公園06
    【07】 能満寺山公園07
    【08】 能満寺山公園08
    【09】 能満寺山公園09
    【10】 能満寺山公園10
    【11】 能満寺山公園11
    【12】 能満寺山公園12
    【13】 能満寺山公園13

    巨木の詳細情報

    巨木の名前 能満寺のソテツ[1]
    樹種 ソテウ(蘇鉄)
    幹周 5m[1] 5.6[3]
    樹高 6m[1] 6.8[3]
    推定樹齢 1000年[1]
    特徴 ソテツが群生した大きな塊のよう
    保護指定 国指定天然記念物
    所在地 静岡県榛原郡吉田町片岡
    所在施設 能満寺
    撮影日・状態 2018.02.24 : 溶岩の塊のような根元から多数の支幹が伸びている.樹勢は良さそう.
    アクセス
    ■吉田IC(東名高速)
      距離:約2.4km
      経由:県道34号-町道-(駐車場)
    電車 ■藤枝駅(JR東海道本線)
      距離:約10km
      経由;下記の路線バスかタクシーを利用
    ■島田駅(JR東海道本線)
      距離:約10.5km
      経由;下記の路線バスかタクシーを利用
    バス ■片岡北・吉田特別支援学校(静鉄バス)
      藤枝相良線:乗車は藤枝駅南口、約25分
      島田静波線:乗車は島田駅北口(行先・静波海岸入口)、約30分
    参考情報 ■現地解説板
    [1]能満寺のソテツ    :境内の大ソテツから少し南に離れた場所にある解説板
    ■図書資料
    [2]戦国小山城      :小山城を紹介する資料、小山城展望台の受付で貰った
    ■Web
    [3]巨樹巨木林データベース:幹周と樹高を引用(調査年1988)
    [4]吉田町(公式サイト) :町営の公式サイト、能満寺の蘇鉄や小山城の情報も詳しく紹介している

    巨木と雑記1.吉田町の能満寺山公園

     吉田町があるのは静岡県の中央部。駿河湾へ注ぐ大井川の河口の右岸に面した地域。 町の特産品は駿河湾のシラス、養殖のウナギなど。 そしてシンボルは、能満寺山の小山城。 麓の能満寺には、国指定天然記念物のソテツの巨樹。 私の父の故郷とも近く、静岡で巨木巡りをする際は、是非とも訪れたい場所の1つでした。[4]

     小山城跡は能満寺山公園として整備され、城郭や堀の遺構が復元。 三ノ丸の物見台があった所には、小山城展望台(モデルは愛知県の犬山城)が建てられました。 展望台の施設は資料館も兼ねており、1~2階の展示品は武具が多く特に興味深い。 3~4階は吹き抜けで、5階の天守が展望台。 天気が良ければ、南アルプスの山々や富士山、駿河湾の奥に伊豆半島も見えるでしょう。[2・4]

    能満寺山公園01 小山城展望台の受付にて貰った資料にある能満寺山公園の地図。 能満寺で大ソテツを見たあとは、展望台と豊富な展示資料のある小山城へ。

    巨木と雑記2.小山城の歴史

     はじまりは、戦国大名の今川氏が築いた砦ともいわれます。 永禄12年(1569)、武田信玄は駿河から大井川を渡り、 徳川家康の勢力下である遠江へ侵攻し、山崎(能満寺山)の砦を入手。 砦は元亀元年(1570)に徳川方の手に戻るが、元亀2~3年に武田方は大軍を再発。 三方ヶ原の合戦に勝利し、遠江から三河まで徳川方へ侵攻。 この期間、再び武田方のものとなった山崎の砦は、拡充され小山城と命名。 以後、武田方の遠江・三河の攻略を支える拠点の1つとなりました。[2・4]

     武田信玄の亡き後、天正3年(1575)の長篠の合戦により、武田方の勢力は縮小。 小山城は徳川方による数度にわたる攻撃に耐えますが、 天正10年(1582)、織田信長の連合軍による天目山の合戦により、武田当主の勝頼は自害。 同年に小山城は落城しました。 武田方と徳川方による約13年間の攻防の歴史を経た、堅固な遠江の名城でした。[2・4]

    能満寺山公園02 本丸手前の堀から眺める小山城展望台。 展望台が立っている場所は本丸跡ではなく、三ノ丸の物見台跡であるそうだ。 桜の木が多く、春は特に見栄えが良さそうであった。

    巨木と雑記3.能満寺の歴史

     能満寺の創建は弘長2年(1262)。 建長寺を開山した蘭渓道隆の孫弟子、定門により開山されたという臨済宗の古刹。 後に元寇の役が起こると、国家鎮護を祈祷して、勅願寺に列せられる。 戦国時代は小山城が要所となり、武田氏や徳川氏から庇護を受けたようです。[4]

     徳川氏から庇護を受けていたことを示す伝承にはこんなものが。 それは能満寺の「泣くソテツ」。 徳川家康が領地の巡視の際、能満寺にて大ソテツの姿に感嘆。 家康は大ソテツが欲しくなり、駿府城へ移植させてしまう。 数日後、家康は夜に庭から聞こえてくる「いのー、いのー」という泣き声?に気付く。 調べると声の主は大ソテツで、意味は「帰りたい(去のう)」というものであった。 これを哀れに思った家康は、大ソテツを能満寺へ戻すのであった。というお話。[2・4]

    能満寺山公園03 小山城展望台の1階にある武田氏により拡充された小山城の復元模型。元亀~天正の頃だろうか。 この時代、能満寺は本丸へ至る細い虎口を護る馬出のような感じ?。すぐ近くは川(湯日川?)。

    巨木と雑記4.能満寺のソテツ

     関東北部で暮らす私にとって、蘇鉄は見慣れない南国の植物であり、はじめて目にする樹種の巨木。 大いに高まった期待を裏切らない、素晴らしい立姿の大ソテツでした。 第一印象は巨木というか、一箇所にまとまって群生した巨大な植物、という感じ。 支幹の数が多く、その先端は皆が同じ形をしているのが原因でしょう。 樹冠は円形に輪生した葉の傘の集まり。

     独特の迫力と凄みのある大ソテツ。 多数の支幹は左右に曲がりくねり、真っ直ぐ伸びたものは僅か。 樹皮の細かな凹凸は葉が抜けた跡で、鱗のような形。 まるで蠢く大蛇の群れ。 そこで連想したのがヤマタノオロチ。 複数の頭を持つ大蛇の怪物は、大ソテツの姿を現すのにピッタリ。 溶岩の塊のような逞しい根元は、大蛇の腹とも見える。 この新鮮に映る素晴らしい南国の巨樹に、目が釘付けとなりました。

     伝承では大ソテツは、陰陽師の安部清明が長徳元年(995)に植えたとされます。 安部春明は諸国歴訪の旅で当地に訪れた際、大井川を流れたきた大蛇の亡骸を発見。 春明は大蛇を葬り、その上に中国から持ち帰ったソテツを植えたのだとか。 大ソテツには大蛇の霊が宿っている?。[2・4]

    能満寺山公園04 ヤマタノオロチを連想される大ソテツの姿。 根元から分散した株立ちの姿を予想していたが、根元は溶岩の塊のように大きくて驚いた。 大蛇が根元に葬られたという伝説が付くのも頷ける姿だ。