旅日記TOP / 岩舟石運搬線 ~渡良瀬遊水地へ繋いだ鉄道~ (TOP)
岩舟石運搬線 ~渡良瀬遊水地へ繋いだ鉄道~ (2024.11)
(写真:岩舟石の資料館より)
岩舟石運搬線とは
岩舟石運搬線を知ることになったのは、渡良瀬遊水地に接した施設、ハートランド城の展示資料です。 大正~昭和初期までの、渡良瀬川の改修と遊水地造成の過程が分かる、様々な古地図が展示。 それら地図の中に、岩船山から現在の第3調節池の北西側へと延びる、鉄道が描かれたものがありました。 内務省によって運営された、岩船山から岩舟石を運ぶ軽便鉄道。 大正5年 (1916) から昭和4年 (1929) まで稼働し、渡良瀬川の治水に大いに貢献しました。 なお軽便鉄道 [3] とは、普通の鉄道よりも低規格で線路や車両が小規模なもの。 岩舟石運搬線は、距離が短い一時的な工事用なので適していたのです。 実際、当時稼働していた蒸気機関車とよく似た静態保存機 (後述) は、力強くも可愛らしい印象でした。 【 補足 】 ・内務省専用「岩舟石運搬線」:名前は以下写真01-02-03、大正11年 (1922) 渡良瀬川改修竣工図 ・岩船と岩舟との違い :山の名前は岩船、所在地と石の名前では岩舟
以下の地図は、内務省専用岩舟石運搬線 (以降・軽便鉄道) と、 民間による岩舟人車鉄道 (以降・人車鉄道) の位置を示したもの。 岩船山の麓にある施設、岩舟石の資料館 (後述) の展示資料を参考として作りました。 人車鉄道 [4] は貨車を人力で押していたもの。 当地では岩船山から渡良瀬川まで岩舟石を運ぶものがあり、 明治33年 (1900) から大正5年 (1916) まで操業していました。 軽便鉄道と同じ岩舟石の運搬線であり、歩道となった鉄道跡、大きな盛土などの遺構もあるので、 併せて紹介します (後述)。
【 地図・岩舟石運搬線の跡 】
岩船山から鉄道の痕跡をめぐる
岩船山から軽便鉄道と人車鉄道の痕跡をめぐる小さな旅を、 以下6ページに分けてご紹介します。 まずは岩船山と高勝寺、岩舟石の資料館から。 蒸気機関車は場所が変わって栃木県の壬生町より。 ハートランド城は次いで、遊水地の他の古地図が見たいかたはぜひ。
岩舟石を運搬した軽便鉄道と人車鉄道の起点となる岩船山。 巨大な採石跡の岩壁、当山に奈良時代より開かれた霊場、日本三大地蔵尊の高勝寺を紹介。
岩船山の麓にある岩舟石造りのお洒落な施設。もとは石材店の事務所。 主に展示資料のうち、軽便鉄道と人車鉄道の資料を紹介。 隣の建物の屋根には何かが…?
岩船山から渡瀬遊水地の第3調節池へ。 過去にあった盛土跡、現在も残る盛土跡、 神社横の集積場跡、そして東武日光線と重なるトンネルなど。
岩船山から渡良瀬川の高取河岸へ。 岩船山の歩道の一部が廃線跡にもなっている。 目を引くのは水田の中に今も残る盛土跡。
この軽便鉄道で使われた蒸気機関車の特定は成らず。 代わりに同等の大きさとみえる別の静態保存機を紹介 (画像は遊水地と静態保存機の合成画像)。
施設内に渡良瀬遊水地の様々な古地図が展示されている。 谷中湖と遊水地が現在の形になったこと、三県境ができたことが分かる地図などある。
関連情報
[1] 岩船山高勝寺ホームページ:由緒歴史、境内の堂塔と霊場について参照
[2] 栃木市ホームページ :岩舟石の資料館、ハートランド城の情報を参照
[3] ウィキペディア・軽便鉄道:他の軽便鉄道や車両も分かる
[4] ウィキペディア・人車鉄道:岩舟人車鉄道の情報もある
[5] 大谷石の文化財めぐり :栃木県の宇都宮市で産出される大谷石の文化財 (日本遺産) を巡る
[6] 村檜神社のスギ :岩船山と同じ旧岩舟町の地区にある古社、立派な大スギが3本もある
[7] 藤岡神社のケヤキ :軽便鉄道と人車鉄道が終点となる栃木市藤岡町の地区、立派なケヤキが3本
旅日記TOP | △TOP | 前へ戻る |