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岩舟石運搬線 ~蒸気機関車~
軽便鉄道で使われた蒸気機関車
岩舟石を運んだ軽便鉄道。 実際に使われいた蒸気機関車とは、一体どんなものだったのか。 手がかりは、岩舟石の資料館の写真。 それは大正10年 (1921) の頃に、軽便鉄道の集積場を撮影したもの。 運搬中の蒸気機関車が大きく写っています。 車体は軽便鉄道用なので小さく、何だか可愛らしい印象。 またハートランド城の写真も参考になる。 大正時代の渡良瀬川の改修に使われた、蒸気機関車の写真が展示されています。 双方とも同形とみえる。
結局、この軽便鉄道の蒸気機関車について、形式や詳細は分かりませんでした。 それでも、よく似た外見と、多くの類似した特徴を併せ持つ、 別の蒸気機関車を見つけました。 しかしも静態保存機で。 以下、続きます。
関東鉄道5号蒸気機関車 (国鉄1225形)
栃木県の壬生町、東武宇都宮線「おもちゃのまち」駅前にて。 静態保存されている蒸気機関車があります。 国鉄1225形 [1] で、複数の民間路線でも使用されました。 この車両は日本車輛製造により大正10年 (1921) に製造され、 大谷石を運搬する宇都宮石材軌道で使用。 その後、東武鉄道を経て昭和14年 (1938) に鹿島参宮鉄道へ移籍。 そして常総筑波鉄道と合併して関東鉄道となった後も、 竜ヶ崎線で昭和45年 (1970) まで使用されました。 最後の車籍は、関東鉄道の5号蒸気機関車。 上述の軽便鉄道の蒸気機関車と見比べてみてください。 よく似た外観と同等の大きさ。 ボイラー両側に水タンク、運転台の後ろに石炭箱。 煙突の後ろに並ぶ円筒形の蒸気ドームと砂箱。 その後ろに圧力弁と汽笛。 などの特徴も同じ。 時代を超えて、あの軽便鉄道の車両にも出会えた気分です。
左側面、煙突の後ろに、蒸気ドーム、砂箱、2本の圧力弁が並ぶ
現役の車両とツーショット
右前方、動輪は3、運転台の下に小さな従輪、圧力弁の横に汽笛
右側面、白の関東鉄道と赤の鹿島参宮鉄道のエンブレムもある
運転台の後ろに石炭を積む石炭箱、 水と石炭を本体に積むタンク機関車
真後ろは顔みたいに見える
正面、両側の白い棒は何だろう、旗を付けたとか
渡良瀬遊水地と合成、第3調節池には、かつてこんな風景があったかも
【 地図 】
ちなみに、壬生町には他の蒸気機関車、国鉄C58形の静態保存機もあります。 汽車製造にて昭和13年 (1938) に製造した、同社で5番目の車両 (C58-5)。 両毛線にて電化する昭和43年 (1968) まで使用されていました。 先の国鉄1225形と比べて、やはりフルサイズの蒸気機関車は大きい!。 本体の後ろには石炭と水を積んだテンダー車を接続。 長い客車や貨車の列を引き連れ、幹線を長距離疾走したパワーが伝わってきます。
【 地図 】
関連情報
[1] 国鉄1225形蒸気機関車 :ウィキペディアより、当5号のことも紹介されている
[2] 国鉄C58形蒸気機関車 :ウィキペディアより、各地の動態・静態保存機の情報が豊富
[3] 雄琴神社のカヤ :壬生町、壬生城下の総鎮守とされた
[4] 壬生愛宕神社のケヤキ :壬生町、大きな愛宕塚古墳に根差す
[5] 壬生寺のイチョウ :壬生町、慈覚大師円仁の生誕地と伝わる古刹
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