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足利の史跡巡り ~足利学校と鑁阿寺~ (2015/11)
(写真:足利学校の敷地と校舎)
1.はじめに
今回の旅日記は、栃木県足利市内の観光で、市内を代表する名所の文化財である「足利学校」と「鑁阿寺」の2箇所を巡ります。
どちらも、鎌倉時代の以前から続く歴史ある史跡で、敷地内には多くの見事な、現存または復元された古建築が並びます。
足利市は栃木県の南西部に位置し、日光・足尾の山地を水源とする渡良瀬川の中流域に発達した街です。
室町幕府を開いた足利氏(初代足利将軍が八代目の足利尊氏)の発祥地として栄えました。
足利学校と鑁阿寺は、近年から注目を集ている場所でもあります。
足利学校は2015年4月24日に「日本遺産」に認定され、鑁阿寺は本堂が2013年8月に国宝に認定された為です。
では、栃木県内でも固有で貴重な歴史と史跡を巡っていきましょう!
2.足利学校
足利学校は市内の中心部に位置しています。足利駅や次に向う鑁阿寺からも近いです。
足利学校は、一部を堀と土塁に囲まれた敷地内に、江戸時代の中期から現存する古建物や、
再現された立派な校舎や美しい庭園が広がっています。出入り口は南側の入徳門で、
入ってすぐ右側の建物が事務所で受付になっています。
参観料は、一般¥420、高校生¥120、中学生以下¥無料です。足利学校の歴史と地図は以下を参照下さい。
【 足利学校の歴史 】
足利学校は日本最古の学校史跡で、室町時代から既に存在し、
戦国時代の末期には学生数は三千人と栄えました。
宣教師のフランシスコザビエルは足利学校の事を
「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と記録しています。
学問は儒学を中心に医学や兵学も教え、江戸時代の中期まで栄え、
足利や徳川など歴代の将軍や権力者に庇護され存続しました。
明治維新後には廃校となってしまいますが、地元有志たちの活動により守られ、
現在は足利市に管理され貴重な史跡が今に伝えられています。
創建の時代は、はっきりしておらず、
平安時代、奈良時代、鎌倉時代とも云われています。
明確な記録が残されているのは、関東管領の上杉憲実が
室町時代の永享年間(1439年頃)に再興して以降です。
創建の一説には、元々は奈良時代の国学(官人育成の地方教育機関)が元で、
平安時代の初期(8世紀中頃)に公家・小野篁が創建し、
鎌倉時代の初期(12世紀末)に足利義兼が再興、または創建というものがあります
(足利義兼は足利氏の二代目で鑁阿寺を創建)。
【 足利学校の地図 】
(以降、写真が多くなるので、一覧で表示&ビュワーで拡大表示&閲覧するようにしています)
近くの横断歩道の上から見た観.中央が復元された江戸中期頃の校舎
東側と南北の一部は堀と土塁で囲まれている
足利学校への敷地への入口.入って右側に受付がある
足利学校での学問は儒学が中心だった.儒学の祖の孔子の像や聖廟がある
学校門の手前にある稲荷神社
稲荷神社の側にはケヤキの大木が立っている
寛文八年(1668)に創建の足利学校のシンボルの門
旧遺跡図書館.足利学校が明治に廃校となった後に書物が保管された
儒学の祖である孔子を祀った聖廟の門(きょうだんもん)
寛文八年(1668)に創建の足利学校のシンボル.孔子が祀られている
聖廟の奥には孔子の坐像.足利学校は関東における儒学の府だったのだ
江戸中期頃の復元された校舎.庫裡・書院・方丈の構成.中央に玄関がある
東側の建物が方丈.広い座敷、講堂、教室のようなもの
敷地の南東端にある.学生の宿舎.周辺の民家に寄宿することもあった
内部には庫裡の土間から入る.書院には立ち入れない
庫裡の土間の天井は、太い梁の木組みが見える
庫裡の展示物.学校門と杏壇門の初期の額
玄関の東側の部屋には孔子と高弟たちの像が安置されている
庫裡の部屋は書籍や学校に縁のものが展示されている
校長である庠主(しょうしゅ)の書斎.ここで個人指導もした
縁側から見た北庭園.奥に孔子廟が見える
4間の43畳.当日は児童たちが論語の一部を朗読していた.教室が再現!
敷地の北西にある.八基までの銘が判読されている
3.食事と買物など
私が足利学校と鑁阿寺を訪れる際に、よく立ち寄る場所を紹介します。 観光駐車場と併設されている太平記館は道の駅のような感じで、観光情報の案内と、地元物産品の販売をしています。 お勧めはお菓子の「古印最中」。食事は、鑁阿寺の正面に続く門前町的な通りに、食事処が数店並んでいます。 そのお店のひとつ「なか川」。「にしん蕎麦」や、そのセットメニューが好きです。 ここは、足利市生まれの詩人であり書道家の「相田みつお」先生の馴染みのお店でした。
4.鑁阿寺
足利学校を参観した次は鑁阿寺の拝観です。鑁阿寺の正面に続く門前町の通りには、
和食や軽食の食事処や、民芸品のお店が並んでいるので、ここで買物や食事を済ませる事ができます。
雰囲気の良い通りを進んでいくと、立派な屋根つきの橋と楼門が並んだ鑁阿寺の参道の正面へ辿りつきます。
鑁阿寺の歴史と地図については以下を参照下さい。また、境内に立つ巨木の大イチョウは、
巨木巡りで紹介していますので、こちらもご覧ください
(巨木巡り・栃木県の巨木「
鑁阿寺の大イチョウ
」)。
【 鑁阿寺の歴史 】
鑁阿寺の周囲は堀と土塁で囲まれています。
まるで城館の様相。ここ足利市は、室町幕府を開いた足利氏の発祥の地であり、
鑁阿寺は居館跡に残る氏寺なのです。
鑁阿寺の創建は足利氏の祖たる源義康が屋敷内に大日如来を祀るお堂を建てたのが
始まりと云われます。その後、建久7年(1196)、義康の子の足利義兼が
正室の時子が死去すると剃髪し、寺号を改め鑁阿寺を創建しました。
その後、足利氏八代目の足利尊氏が延元元年(1336年)に室町幕府を
創設するに至るなど、足利氏と鑁阿寺も繁栄します。
しかし、室町時代から戦国時代の長い戦乱で室町幕府が滅び、
この地(足利荘)の統治者も変わる中、鑁阿寺も一部が焼失しますが、
関東に入府した徳川家康により天正19年(1591)に再興されました。
今でも戦乱による焼失を免れた山門や本堂を始めとする古建築などの文化財が多く残り、
現在では市民から大日様と尊ばれ、厄除・開運の祈願寺として多くの参拝者を集めます。
【 鑁阿寺の地図 】
(以降、写真が多くなるので、一覧で表示&ビュワーで拡大表示&閲覧するようにしています)
珍しい屋根つきの橋と立派な永禄7年(1564)に再建の楼門
楼門から本堂へ続く参道
12世紀末の鎌倉時代に創建された足利氏の氏寺。国宝だ
質実剛健な威厳ある造り。本尊は大日如来
建久7年(1192)に創建、鎌倉時代後期に再建された極めて古い鐘楼
文禄元年(1592)に再建。かつては本堂と廊下で繋がっていた
本堂と同じく、足利氏2代目の義兼の創建.応永14年(1407)に再建
元禄5年(1692)に再建.木造の多宝塔では日本最大級である
栃木県最大級の大イチョウ.他の写真は「 鑁阿寺の大イチョウ 」参照
境内の北側には主な堂字が4つある
足利大権現と称し、俗に赤御堂.鎌倉時代の創建で江戸期に再建
本殿に源氏の祖、拝殿に足利十五代将軍像を祀る.足利義国・義康の墓あり
室町幕府を開き足利将軍の初代となった足利尊氏を祀る.室町期の創建
宝庫、大黒堂とも称す.寺の宝物の収蔵や大黒天が祀られた
時姫堂とも称す.本尊は蛭子女尊.安産の信仰が篤い
5.おわりに
以上、足利市の史跡巡り、足利学校と鑁阿寺でした。
足利将軍の発祥地として(鑁阿寺は足利氏の居館跡)、儒学を中心とした学問の中心地として、
後世に大きな影響を与えてきた場所なのです。
歴史ある建物と町並みを眺め、美味しい物を食べて、お土産を買って、…と久しぶりに「観光」した気分です。
次に足利市に訪れる際は、織姫神社から行道山(標高441m)を登り、山頂にある古刹(浄因寺)の拝観と、
尾根から歴史ある街の展望を楽しみたいと思っています。
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