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予定変更で伝説の大岩へ ~神猿人形が欲しかった~ (2016/01)
(写真:萩日吉神社の神猿)
1.はじめに
埼玉県の「ときがわ町」は県内でも巨木が多い緑豊かな町。
私のお気に入りの巨木が複数あり、南に接する越生町には県最大の巨木「上谷の大クス」がある魅力的な地域です。
今回の訪問の目的は巨木巡りではなく、萩日吉神社の1月の例大祭で入手できる「神猿」の人形。
しかし、萩日吉神社へ到着した頃には、既に神猿人形は売り切れ! 入手することはできませんでした…。
その後、神猿を入手できず盛下がった気分を払拭するため、ときがわ町の名勝地を訪れることに。
町のハイキングコースになっている弓立山の頂上付近と、雷電山の山裾には、それぞれ男鹿岩と女鹿岩という
龍伝説のある大岩があり、それらを巡ってみることにしました。
弓立山の頂上での気持ちの良い展望に、迫力の2つの大岩に触れ、すっかり気分は高揚。
特に女鹿岩は巨大で神秘的な雰囲気があり素晴らしかった。
こうして、ときがわ町で新たなお気に入りの場所が増えたのです。
ハイキング、サイクリング、巨木巡りなどで、ときがわ町へご訪問の際、本旅日記がご参考になれば幸いです。
【 移動範囲の地図 】
2.萩日吉神社と神猿人形
ときがわ町への訪問の目的であった萩日吉神社。
訪問日の1月の第3日曜日に行われる例大祭では、本殿で「神猿(納め猿)」人形が有償で求められます。
神猿は祭神の山王権現の使いである猿を模した雌雄のつがいの人形で、境内に自生する白楊(ドロノキ)を宮司様が彫って作られたもの。
厄除けや病の治癒のご利益があるとされる縁起ものです。
私はAM10時頃に神社へ到着したのですが、既に神猿は売り切れでした…。
来年はもっと早く到着して必ず手に入れようと思います。以下は萩日吉神社の由緒ですのでご参考ください。
【 萩日吉神社の由緒 】
「平の山王様」「萩の山王様」と親しまれる萩日吉神社は、
社伝によると欽明天皇6年(544)に蘇我稲目(そがのいなめ)により創建されたと伝えらる。
当初は、萩明神と称されたが、平安時代初期に慈光寺一山鎮護のため、近江国(滋賀県)比叡山麓にある
坂本の日吉大社を勧請合祀して、萩日吉山王宮に改称したと云われる。
源頼朝は文治5年(1189)6月、奥州の藤原泰衡の追討に際し、慈光寺に戦勝祈願し、
その宿願成就の後、慈光寺へ田畑1200町歩を寄進し、同時に当社へも御台北条政子の名により田畑1町7畝が寄進された。
以後社殿の増援が行われて別格の社となり、元禄10年(1697)以降は牧野家の崇敬が厚く、
「風土記稿」には「山王社 村の鎮守なり」と記されている。
明治元年(1868)の神仏分離令により、現在の神社名「萩日吉神社」となった。
境内の社殿を包む社叢は、平成3年3月に県指定の天然記念物に指定された。
神社入口には御神木の児持杉もあり、この杉に祈願すれば子どもが授かるといわれ、近郷近在の人々より
厚く信仰されている。
当社の使いである猿にちなみ、戦前まで流鏑馬祭りの日に「納め猿」という木彫りの猿像を
神社の参道で売ってたが、この納め猿とともに渡す縫い針も病気の治癒に効能ありと
云われた。1月の例大祭は第3日曜日で、3年に一度に流鏑馬祭りが行われている。
3.弓立山の男鹿岩
弓立山はときがわ町の中央部に位置する標高約427mの低山です。ときがわ町のハイキングコースの一つであり、
東の山裾にある登山口(幼稚園の近く)から山道を約40分ほど登れば山頂へ至れます。
南側からは山頂近くまで道路があるので、車で気軽に登頂することも可能です。
山頂付近にはパラグライダー場がありましたが、2013年5月5日に発生した山火事で、周辺の山林とともに焼失してしまいました。
現在の山頂では、焼けた木々は伐採されて広くなり、山火事の生々しい跡は、黒く焦げた山標に見ることができます。
今回は私は車を使って南側から訪れました。道路を封鎖するゲート手前にある山道を勧めば、山頂までは約5分と近い距離です。
山頂では東側の展望が開けていて、見晴らしはよく、周囲を見渡すことができます。
男鹿岩(おがいわ)は山頂から約5分ほど山道を北へ下った小尾根にあります。北側から簡単に岩の上に登れますが、
東と南に高く切れ落ちているので、登る場合は足元に注意。
男鹿岩と女鹿岩(めがいわ)の伝説について。
昔、弓立山の男鹿岩に雄の龍(大蛇)が住み、そこから都幾川の対岸にある女鹿岩に雌の龍が住んでいた。
やがて恋に落ちた雌雄の龍は、毎年7月7日の晩に、都幾川で逢瀬を結ぶのであった。村人はこれを見ると災いを被ると信じ、
この日は仕事を休んで都幾川に近寄ることを避けた。ある年の夏、大地が割れるような日照りが続くと、
雌の龍は姿を消してしまった。それを悲しんだ雄の龍は大粒の涙を流し(雨になった?)、姿を消してしまった。という伝説です。
七夕の逢瀬とは、織姫と牽牛のような話ですね。
(以降、写真が多くなるので、一覧で表示&ビュワーで拡大表示&閲覧するようにしています)
山頂手前まで続く道路にゲート.普段は通行止めだろう
ゲートの手前に弓立山の山頂へ続く山道の入口がある
山道を進むと開けた場所に出て左.奥がパラグライダー場跡
山頂.周辺の山林は2013年5月5日の山火事で焼失.山標も焦げた
東方面の見晴らしがよい
山頂から北方向へ下っていく
やがて男鹿岩が見えてくる.尾根の西側(矢印)から近づく
到着.何だか昂ぶってきたので上にて自撮り
岩の上から見た山頂方面
北側の斜面下から.大きい.上に乗る場合は注意を!
4.神秘的な女鹿岩
都幾川の北側の山間部、雷電山の南の山裾に女鹿岩が埋もれている。
雷電山の周囲のハイキングコースの一部でもあるようですが、踏み跡は薄い感じ。
女鹿岩の近くの北側まで林道が通っているので、車で近づくことができます。
林道に面した墓地が女鹿岩へ通じる入口。そこから少し下れば女鹿岩の背後の上部へでます。
上部の少し手前から、西へ巻いて下るのが安全なルートです。
林道から10分もあれば女鹿岩の正面まで下っていくことができるでしょう。
女鹿岩は急斜面に突き出た高さ10m近い巨岩の塊です。男鹿岩と基部からの高さはと同等のようですが、
総量は遥かに超えた大きさに圧倒されます。西側の岩壁のくぼみには祭壇のようなもの。全体的に神秘的な雰囲気の場所です。
岩の中央に縦に大きなクラックがあり、登れそうな感じ(ロープによる確保があればの話)。
ここはクライミングの練習場として使う人も居るそうで、所々に打たれたハーケンがありました。
(以降、写真が多くなるので、一覧で表示&ビュワーで拡大表示&閲覧するようにしています)
林道がカーブしているところには…
林道に面した墓地の奥から女鹿岩へ接近していく
墓地の奥を進むと岩の上部へ出る.ハーケンが刺さってた
西側へ木々の中を巻いて下るのが安全である
岩の西側に組まれた祭壇のようなものがあった
ちょっと落石や倒木が心配な場所だ
背後の上部から西へ巻き下って正面へと出た
上の四角い岩の奥が、写真03で見た位置だろう
高さは10m近い.高さも総量も男鹿岩よりずっと大きい
深いクラックを利用すれば登れそう.その度胸はないけど
5.おわりに
以上、男鹿岩と女鹿岩の紹介でした。2つの迫力の大岩に興奮し、神猿を入手できなかった失意は見事に一掃。
特に女鹿岩の形と神秘的な雰囲気が素晴らしく、再び訪れたいお気に入りの場所となりました。
ときがわ町へ訪れる際にお勧めしたい名勝地の一つです。
しかし、道標などなく、踏み跡は薄く、上部から西側に巻き下らないと接近は危険ですので、
一般的な登山道のようなルートとは異なりますので、用心してください。
2つの大岩を訪れた後は、町で評判のラーメン店「玉川大盛軒」へ。
独特の太麺は、水を使わず卵やバターなどで練り上げたもの。
味や風味が付いており、表面は硬いが途中でブチッと切れる歯応え。
ツルツルと啜って食べるのでなく、掴んで口へ運ぶ感じ。
スープは塩気や油気は強めでない。チャーシューやメンマは好みで、大盛でなくとも麺の量は多め。
人によって好みは分かれるでしょうが、私は個性的な麺が大いに気に入ったので、今後とも訪れる店となりました。お試しあれ!
■巨木・児持スギ :萩日吉神社の御神木
■巨木・上谷の大クス :越生町(ときがわ町の隣町)の埼玉県最大の巨木
■旅日記・ときがわの巨木巡り:ときがわ町の巨木6本(全3ページ)
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