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深谷市のホフマン輪窯と専用鉄道跡 ~専用鉄道跡 (後半)~
はじめに
日本煉瓦製造の専用鉄道跡、あかね通りとなった遊歩道。 紹介する地点の後半は以下地図の北側。 福川から工場跡の敷地に至る郊外です。 この区間は見晴らしがよく、市街地よりも気分よく歩けます。 紹介する地点は、福川鉄橋、国道17号線下のトンネル、鎌倉街道との交差点、備前渠鉄橋の4地点です。
【 地図 】
福川鉄橋
あかね通りが福川を渡った先、横に接している公園のブリッジパーク。 ここには専用鉄道を福川に渡していた鉄橋が保存されています。 明治28年 (1895) の建設。 イギリス人技師ポーナルの設計による、プレート・ガーダー (鋼板桁) 橋では、 現存するもので国内最古とされる貴重なもの。 橋の上には実際のレールも置かれていて、とても雰囲気があります。 そして駐車場もあるのでアクセスしやすい。
東側から全体像、左が福川に架かるプレート・ガーダー橋の部分
レールには製造会社、発注会社、製造年を示す刻印
福川に架かったプレート・ガーダー橋の部分
遊歩道上の西側から、ボックス・ガーダー部分
あかね通りとなった後、新たな橋は「あかね橋」と呼ばれる
現地解説板、当時の様子が分かる写真
現地解説板、その2
ここから東に諏訪神社の社叢が見える、御神木はケヤキ [4]
国道17号線トンネル
福川鉄橋から先、あかね通りが国道17号線を抜けるトンネル。 ここには農業用水路も通っています。専用鉄道があったころには、 その水路に架かる長さ3mほどの鉄橋があったそうです (福川鉄橋の解説板に記述)。 トンネルには、楽しそうな宇宙飛行士たちの絵が描かれている。 未来への躍進の気持ちを込めて、地元中学校の生徒さんたちが描いたそうです。 暗いトンネルがじつに明るい雰囲気となる。
鎌倉街道
国道17号線のトンネルからすぐ先、あかね通りが市道を横切る地点。 農道のような細い道も斜めに交差しています。 それが現地解説板によれば、鎌倉街道の一つであるらしい。 この辺りでは、南西の瑠璃光寺の横から、当地点を経て北東の泉光寺までが、路線の一部だという。 あかね通りと交差するところは、村と村との境界だっため、農道として残ったそうです。 深谷ネギの畑に古道あり。
備前渠鉄橋
あかね通りの終点、農業用水路の備前渠に架かる鉄橋。 その先は日本煉瓦製造の工場敷地内でした。 この鉄橋は、イギリス人技師ポーナルの設計によるプレート・ガーダー橋。 同型の福川と唐沢川の鉄橋よりも長く、国の重要文化財に指定。 煉瓦造りの橋台も含めて貫禄ある姿です。
備前渠鉄橋、右岸側から
備前渠鉄橋から先は、あかね通りの終点だ、左奥に赤城山が見える
専用鉄道が工場敷地へ入っていく辺りに小さな社、当時から祀られていた?
備前渠鉄橋の解説板
備前渠用水路の解説板
あかね通りの終点付近にある解説板、当時の工場の風景が分かる写真
ここは備前渠鉄橋の手前、細い市道と交差し、近くに鉄塔がある地点を北側から
写真08の地点にはこの解説板がある、煉瓦アーチ橋の写真は撮り忘れた!
関連情報
[1] 深谷市ホームページ :旧日本煉瓦製造のホフマン窯を含む施設、専用線跡など詳細を参考
[2] 今昔マップ :埼玉大学教育学部教授、谷謙二氏の新旧の地図を比較閲覧できる
[3] 岩舟石運搬線 :栃木県栃木市、岩船山から渡良瀬遊水地へ繋いだ鉄道の痕跡を巡る!
[4] 上敷免諏訪神社のケヤキ:深谷市、この専用鉄道の沿線にある神社
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