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渡良瀬遊水地の周辺観光 ~古河市編~(2014/10) (01)神社
(写真・雀神社)
渡良瀬遊水地の東 古河市の観光
渡良瀬遊水地の周辺には、多くの興味深い観光資源があると思いますが、 その中から遊水地の東側に隣接する古河市街の中からいくつかを紹介いたします。 紹介するのは以下の9箇所です。本ページでは野木神社と雀神社を、 次ページ( 2ページ目 )では、残りの博物館や美術館や休憩・買物のお店を紹介いたします。 なお、神社の紹介要素が多めで他は少なめです…。
【 地図 渡良瀬遊水地の周辺観光 茨城県古河市の側 】
■ 神社 :野木神社、雀神社
■ 博物館&美術館 :古河歴史博物館、鷹見泉石記念館、奥原晴湖画室
古河文学館、篆刻美術館、古河街角美術館
■ 食事&買物 :坂長
野木神社
野木神社は渡良瀬遊水地から近い場所
(第1調節池・地点E04・野渡橋)
にありますが、茨城県の古河市でなく、栃木県の野木町(下都賀郡)の中にあります。
社殿は立派な拝殿と本殿から成り、境内には巨木が多く、特に境内右側の御神木の大イチョウと大ケヤキが素晴らしいです。
境内左側の社殿前には神楽殿があり祭礼では神楽が奉納されます。また神楽殿の左側には二輪草の群生地があります。
聖域として保たれた境内の鎮守の森はフクロウの貴重な営巣地でもあります。
以下、野木神社の由緒沿革をまとめます。
創立は仁徳天皇の時代(約300年頃)まで遡り、奈良別王がこの下野国(しもつけのくに)に赴任の折に、
菟道稚郎子命(うじのわきいらつこ、応神天皇の皇太子、当社の主祭神)の遺骨を奉じ、
この地に祀ったのが始めとされます。
平安時代になると、延暦年間(約800年頃)に坂上田村麻呂が蝦夷平定からの帰途に、
鎮撫の功を奏した報賽として現在の地に社殿を作り遷座したと伝えられます。
また、その際に植樹されたのが境内の右にある御神木の大イチョウと伝えられます。
室町幕府の成立時期(約1338年頃)の動乱?に幕府の社領だったこの地が巻き込まれ、
社殿が破壊されたようですが、長禄3年(約1459年頃)に神官の海老沼常基により再興されたそうです。
常基は社殿に多くの木々を植えたと云われ、今も境内に残るケヤキの大木は、
彼が植えたものかもしれません。
文化3年(約1806年)に火災により社殿を焼失し、古河城主の土井利厚により再建されます。
明治時代には陸軍大将の乃木希典が当社を厚く崇敬し、奉納されたものが御神宝として残されています。
以下、野木神社の写真の一覧(12枚)です。写真を選択すると拡大したものを閲覧できます。
参道は小学校前を通り県道261まで続く.大きなケヤキの並木が立つ
左に手水舎、右に駐車場.境内左にあるケヤキの巨木が目立つ
立派な造りの拝殿.拝殿前は整然とし、周囲に巨木が多く神聖な雰囲気である
推定1200年の巨木。子育ての御利益があるとされ、乳房の模型が奉納される
風格ある巨木。他の写真はこちら 「巨木・野木神社の大イチョウ」
推定樹齢650年で背が高く端正な形だ. 境内にあるケヤキの中で最大のもの
社務所前にある.「一疋の はね馬もなし 河千鳥」
大イチョウの前.拝殿と社務所は渡廊下で繋がる.たくさんの奉納絵馬が壁に
拝殿前に展示された写真.境内の巨木の上部に巣があるそうだ.可愛い…
拝殿の奥の重厚な本殿.鉄骨の屋根で保護されている
拝殿前にある.祭礼で神楽が奉納される.周囲にあるケヤキも巨大である
神楽殿の横を降りた池の周囲が群生地.花咲く3~4月に再来したい
雀神社
雀神社は古河市の西北にあり、境内が渡良瀬川の河川敷(堤防とゴルフ場、ほぼ渡良瀬遊水地)と隣接しています。
(最寄の渡良瀬遊水地の撮影地点は、
第1調節池・地点F07
)
先に紹介した野木神社と同様に、社殿は立派な拝殿と本殿から成り、境内にはケヤキの巨木が多く残されています。
境内に残る巨木の中で最大のものは、境内入口に道路に面する夫婦欅とよばれる2本の合体木の大ケヤキです。
なお、私が雀神社で特に気に入っているのが拝殿前の面白い顔をした狛犬です。
以下、神社の由来沿革についてまとめます。
雀神社の祭神は、
大己貴命(おはなもちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)の三神で、
創立の明確な時期は分かっていないそうです。
伝承によれば、貞観年間(859~876)に出雲大社から勧請したものだとされています。
康正元年(1455)に足利成氏が古河公方となってから、
代々の公方や、徳川将軍家、並びに累代古河藩主からの崇敬が厚く、
社殿の造営修理などは累代の藩主が行い、
現在の社殿は慶長十年(1605)に松平丹波守康長の造営されたものです。
五穀豊穣、家内安全が祈願され、夏の祭礼には「ささら獅子舞」が奉納されます。
珍しい社名については、鎮(しずめ)が転化して雀となったという説があります。
以下、雀神社の写真の一覧(19枚)です。写真を選択すると拡大したものを閲覧できます。
鳥居前の両脇にはケヤキの巨木が並び立つ
2本の合体木で夫婦欅と呼ばれ幹周8.8m、根周18mの古河市最大のケヤキ
左側よりスリムだが元気のある大ケヤキ.幹周は5mほどだろうか.
右が駐車場.右へ曲がらず直進すると渡良瀬遊水地の地点 「F07」 へ出る
入口から進んで右へ曲がると手水舎と第2の鳥居の奥に社殿
鳥居前の右側の狛犬.子連れのようだ
中央が拝殿、左が神楽殿、右が社務所.渡廊下で繋がっている
立派な社殿である.巨木が多く野木神社と雰囲気が近い.神聖な空気を感じる
当社のマスコット、右駒犬.誇らしげな顔
当社のマスコット、左狛犬.ちょっと愉快げな顔
正面から.「どやぁ」と「うふふ」.雀神社の記憶はこの顔でいっぱいになる
境内の左に神輿殿が2つある.後は堤防とゴルフ場.
神輿殿の一方.格子戸から安置されている豪華な神輿が見える
社殿の横から見た本殿.大きな屋根で守られている.後はケヤキの巨木が多い
境内の奥、社殿の後は広くケヤキの巨木が散立している
境内奥にある立派な戦没者の慰霊碑。中央の塔に「殉國之霊」と刻まれる
境内奥で一番大きなケヤキ.樹高33m、幹周4m
境内の自販機には茨城や千葉に多い?マックスコーヒーを発見
渡良瀬カントリークラブのクラブハウスと隣接.渡良瀬遊水地の地点 「F07」
1ページ目、2つの神社の紹介についてはこれで終わりです。 次の2ページ目からは古河市街の観光地の紹介です。 >>2ページ目 古河市街へ
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