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神明神社 ~社叢に包まれた500m以上の参道~ (2015/12)
(写真:神明神社の参道林)
1.神明神社の周囲 ~ 広大な社叢
神明神社のある久喜市は、埼玉県の北東部に位置し、南北を荒川と利根川に挟まれた全域がほぼ平野部(関東平野)の地域です。
山間部が占める県の西部と比べると、河川敷を除けば、土地を住宅地や工業団地や田畑が占め、大きな自然林はあまり残されていません。
その久喜市の南部にある菖蒲町に、大きな自然林が残された神明神社とその社叢があります。
神明神社の社叢は県の天然記念物で、約1.74ヘクタールもの広さがあり、南北に細長い形をしています。
入口から社殿の手前までの参道は、500m以上の長さがあり、ここも境内林で覆われています。
私は久喜市内や周辺地域が生活圏の1つですが、これほどの森が残されているとは知りませんでした。
地図で見て知って、その存在に感動し、訪れて実際に長大な社叢の中を歩いて深い緑と静謐な空気に大きな感動。
土地開発の進む平野部で、これだけの社叢が遺されて来たのは実に素晴らしい。
【 神明神社の地図 】
(以降、写真が多くなるので、一覧で表示&ビュワーで拡大表示&閲覧するようにしています)
南の道路側.奥に北へ続く社叢.交差点に庚申塔
社叢の南の道路にある庚申塔.人型が彫られている?
NO見言聞の三猿.猿は庚申の使いとされているのだ
神社の社叢への入口.本殿の手前まで500mほど続く
神社の入口前には道路を挟んで公園がある
奥の森の中に本殿や末社が鎮座している
本殿を囲む森から南へ参道を囲む社叢が続いていく
2.社叢に包まれた500mの参道
神明神社の本殿へと続く500m以上の長い参道林、その中をゆっくりと歩く。
中央に3列の石畳、両脇に並び頭上も覆う林、それが延々と続きます。
参道林には広葉樹(カシ、ケヤキ、ナラ、シイ等)も多いので、思ったほど暗くなく、優しい木漏れ日が差し込んできます。
中間地点までくれば、やっとはっきり見えてくる最奥に鎮座する社殿の輪郭。
長く静謐な参道林を歩くことで、神様との対峙が濃くなるような気がしました。
この長い参道林を往復するだけで、清々しい気分になれる。再び立ち寄りたいと思っています。
【 埼玉県指定天然記念物 神明神社の社叢(現地解説版より)】
神明神社は、古くから住民の信仰を集めてきた由緒ある社である。
特に江戸時代、徳川譜代の家臣・旗本内藤正成が
栢間村及び戸ヶ崎村・新堀村・三箇村・小林村を領有するようになってからは、
五箇村の総鎮守として、歴代の領主からも崇敬された。
社叢の面積は約1.74ヘクタールで、長さ500mを超す参道林と境内林とからなる。
自生する樹木には、
ムクノキ・ヒサカキ・シラカシ・アラカシ・ミズキ・エゴノキ・シロダモ・ヌルデ・アカメガシワ
アカシデ・イヌシデ・ガマズミ・コナラ・ケヤキ・スダジイ・アカマツ
等が見られる。この社叢は、現在はアカシデを主体とした不安定な状態を示しているが、
潜在的にはヒサカキ・サカキを主体とするシラカシ群を自然植生とみることができる。
埼玉県東部低地には、潜在自然植生をよく示す広域的な林は少なく、貴重である。
(以降、写真が多くなるので、一覧で表示&ビュワーで拡大表示&閲覧するようにしています)
ここから本殿前の鳥居まで500mほど社叢の参道が続く
入口付近にある石塔.三猿の庚申塔もあった
参道の右側にイヌシデの大木が立っている
まだ先は長い.3列の石畳が続いていく
遠くに微かに社殿らしき建物が見えるようになった
右に3本並び立つヒノキ.中間地点付近かな
これだけの参道と社叢が、よく残されたものだ
奥の社殿の造りが大分見えるようになってきた
ああ、終わってしまった….この先は本殿の鎮座する場所
3.社叢の奥に鎮座する社殿
長い参道林と比べて、社殿を囲む境内林は広く厚みがあります。
社殿は拝殿とその奥の本殿(天照大神と豊宇気毘売神を祀る2社)、社殿の向って左に神楽殿、
向って右に社務所と手水舎、境内林の西側には末社の三嶽山神社と八幡神社があります。
社殿の周囲には3本のクスノキの大木(幹周4mくらい)が立ち、拝殿の正面には
かつての御神木の根元の株があり、朽ちた根株に若木(ヒノキか?)が生えていました。
境内林の西にある三嶽山神社の近くには「笠松」というアカマツの巨木が立っていた場所があります(既に枯死)。
神楽殿の南側にある窪地には池。境内は静謐で神秘的な空気に満ちていました。
由緒ある歴史(以下補足参照)と、大きな社叢に覆われた神明神社。埼玉県の平野部に残された貴重な鎮守の森です。
【 神明神社(現地解説板より)】
神明神社の総本社は伊勢神宮(三重県伊勢市)である。社殿では創立は、景行天皇の時と云われる。
祭神は、古くは天照大皇神、豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)、大宮売神(おおみやめのかみ)
の三神であったが、現在は天照大皇神と豊宇気毘売神の二神である。
伊勢神宮の分霊のため、近年まで「神明両社」と呼んでいた。
江戸時代、徳川譜代の家臣・内藤四郎左衛門正成が、この一帯を領して総鎮守として以来、歴代の領主が厚く崇敬した。
本殿は、天保8年(1835)に建てられたもので、昭和38年に改修された。
毎年1月15日に「鎮火祭」と、その火で粥を煮て、その年の作物の豊凶を占う「筒粥」の神事が行われる。
筒粥の神事は、大鍋に米3合水6升を入れ、長さ7寸に切った葦を18本を簀状にし麻で結ぶ。
1本1本の葦に米粒が入る数によって占い、多くの米粒が入ったものほど豊作とされている。
(以降、写真が多くなるので、一覧で表示&ビュワーで拡大表示&閲覧するようにしています)
右側に手水舎や社務所らしき建物がある
立派な手水舎.奥に社務所らしき建物
鳳凰や龍など細やかな彫刻が見事であった
本殿の向って左に神楽殿とクスノキの巨木
本殿の向って右側に立つクスノキの巨木
本殿の周囲は開けた明るい空間となっている
本殿前の若木の生えた切株.若木はヒノキのようだ
継がれる命…、この株に強く惹かれるものがあった
祭神は天照大神、豊宇気毘売神の2柱
背後から.本殿の背後も社叢が広がっている
本殿の西側にある三嶽山神社.鳥居前
三嶽山神社の社
三嶽山神社の近くにある大アカマツ「笠松」のあった場所
三嶽神社の西側にある八幡神社・鳥居前
八幡神社の社.奥の道路が近い
神楽殿の南側の窪地.水は少ないが池だろうか
4.おわりに
以上、埼玉県の平野部で貴重で広大な鎮守の杜、神明神社の社叢でした。 500m以上続く長い参道林と、その奥の社殿を囲む境内林、静謐で神秘的な空気に満ちた場所でした。 参道を往復するだけで、清々しい心持になれる場所です。近くに訪れる際は再び参拝したいと思っています。
■旅日記・祭「天王様」:久喜市の夏祭り.鮮やかな山車が見事.動画あり
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