第1調節池・谷中村史跡ゾーン 撮影地点・G04
足尾銅山鉱毒事件や渡良瀬遊水地の造成により強制廃村となった谷中村。 その谷中村の中心地であり遺構を残しているのが谷中村史跡ゾーンです。 地点G04は、谷中村の役場跡や個人の屋敷跡の集中している、遺構として代表的な場所です。
(ヨシ焼の後)
大野豊蔵の屋敷跡.奥に見える標柱の左側には稲荷社の祠.
大野豊蔵の屋敷跡に残る稲荷社
大野豊蔵の屋敷跡から村役場跡
村役場跡に残るエノキ (榎) の大木
村役場跡から北側の眺め、ヨシ焼き (2024.03.03) から一週間後
(ヨシ焼の後)
ヨシ焼の後日.事前に草等が刈り払いされた役場や住居の遺構は焼けていない
役場跡と広場の間にある場所がキレイに焼けていて少し驚いた
(雪の日)
役場前.1月末に雪が降った日.午後近くから雨へと変わった
大野豊蔵・屋敷跡.雪は道路、木の下、ヨシ原には殆ど積もらず融けた
大野豊蔵・屋敷跡の中から.正面に村役場跡
大野豊蔵・屋敷跡の中から見た展望台(地点A04)の方向
東屋のある役場跡、その右隣が大野孫衛門・屋敷跡
東屋の奥にある空間が役場跡.奥の大木は往時からのものか?
役場跡の奥から見かえした一帯
役場跡の奥から.右奥は大野豊蔵・屋敷跡
大野豊蔵・屋敷跡から
大野豊蔵・屋敷跡の標.左に駐車場、右奥に地点A04展望台が見える
東屋のある辺りが役場跡、その右隣が大野孫衛門・屋敷跡
右奥に谷中村集落の地図と、谷中村について解説した掲示板がある
左奥が役場跡.正面は大野音次郎・屋敷跡
谷中村の役場周辺の地図.白い枠の場所に村民の屋敷、神社、寺があったのだ
かつての谷中村は戸数387、人口2500の規模であったという
役場跡の左側にある大野豊蔵・屋敷跡