遍照寺のカヤ
巨木の写真
撮影日 2010.02.06
【01】凛々しい立姿のカヤ古木.伊達氏の始祖の手植えと伝えられる.
巨木の詳細
巨木の名前 |
遍照寺のカヤ(現地名称は「榧」) |
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樹種 |
カヤ(榧) |
幹周 |
6.22m[4] |
樹高 |
28m[4] |
推定樹齢 |
800年[1] |
特徴 |
直幹で背が高い |
保護指定 |
栃木県指定天然記念物 |
所在地 |
栃木県真岡市中2402 |
所在施設 |
遍照寺 |
撮影日・状態 |
2010.02.06 : 直幹で背が高く端正な立姿.目立つ損傷も無く樹勢は良い様子. |
アクセス |
車 |
■真岡IC(北関東自動車道)
距離:約6.6km
経由:国道408-県道47-国道408-市道-県道320-付近
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電車 |
■寺内駅(真岡鐵道)
距離:約2.7km
経由:道なりに西へ、途中で工業団地を抜けて農道へ
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参考情報 |
[1]現地解説板 :遍照寺や中村城跡の歴史が記されている(カヤも含む)
[2]遍照寺・公式サイト :お寺の縁起、境内、行事など参考
[3]真岡鐵道・公式サイト :稼働SLの詳細や運行情報はこちらから
[4]巨樹巨木林データベース:調査・建設部みどりの課、調査年2000
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巨木と雑記
栃木県の南東部、鬼怒川下流の左岸に位置する真岡市。
市域を南北に縦断する真岡鐵道は、蒸気機関車を現役で運行していることで有名(C1266・C11325の2両)で、
拠点である真岡駅舎は、SLの形を模した面白い形[3]。
真岡駅の隣駅、寺内駅からほど近い古刹が遍照寺。境内には県内最大級のカヤの巨木が立っています。
遍照寺は創建が平安時代の中期とされる古刹。
室町時代の初期、暦応年間(1338~41)に関東官領・足利基氏によって中興され、
三賓院賢俊によって開山されたと云われます。
天文年間(1532年以降)に中村城の城主・中村時長によって現在地へ遷座(元は真岡市茅堤の地)。
その後、永禄元年(1558)に火災で焼失、現在残っている伽藍は後に再建されたものだそうです。[1・2]
遍照寺の境内全域は中村城跡。
藤原朝宗が保元元年(1156)から拠点とした中村荘に築いた居館。
朝宗は源頼朝の奥州征伐では軍功を立て、その恩賞で伊達・信夫の2郡を入手。
後に移住した朝宗は伊達氏(第17代目が政宗)の家祖となります。
中村荘は子の朝定が継ぎ、代々中村氏の所領となりますが、
天文13年(1544)に水谷氏との合戦に敗れて以来、廃城となったそうです。
境内の外縁部には、現在も空掘や土塁などの遺構が残されています。[1・2]
本堂の正面、境内の中央に立つ大カヤ。
直幹で背が高く、端正で凛とした立姿。
深い貫禄を感じさせる古木ですが、その樹高や目立つ損傷がないことから、樹勢は良好な様子です。
推定樹齢の根拠は、初代中村城の城主・藤原朝宗の手植えという伝承によるもの。
文治5年(1189)、武功を立てた奥州征伐の凱旋の記念樹であるそうです。
そのせいか、質実剛健な古強者のような佇まいを感じさせる大カヤでした。[1・2]