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    弘経寺の来迎杉

    巨木の写真

    撮影日:2021.12.16 【01】常総市で最大の巨木となる大スギ、奥に本堂 弘経寺の来迎杉-01
    【02】 弘経寺の来迎杉-02
    【03】 弘経寺の来迎杉-03
    【04】 弘経寺の来迎杉-04
    【05】 弘経寺の来迎杉-05
    【06】 弘経寺の来迎杉-06
    【07】 弘経寺の来迎杉-07
    【08】 弘経寺の来迎杉-08
    【09】 弘経寺の来迎杉-09
    【10】 弘経寺の来迎杉-10
    【11】 弘経寺の来迎杉-11
    【12】 弘経寺の来迎杉-12
    【13】 弘経寺の来迎杉-13

    巨木の基本情報

    巨木の名前 来迎杉 [2][3]
    樹種 スギ (杉)
    幹周 7.53m [2], 6.75m [5]
    樹高 33.0m [2], 34.0m [5]
    推定樹齢 不明
    特徴 真っ直ぐな単幹、枝下の位置が高い
    保護指定 常総市指定天然記念物
    所在地 茨城県常総市豊岡町甲
    所在施設 弘経寺 (寿亀山天樹院)
    撮影日・状態 2021.12.16 : 根本はしっかりしているが樹冠の密度が少し薄い印象、上部の梢部分は枯損により切除
    アクセス
    圏央道・常総ICから約7㎞、坂東ICから約12㎞
    電車 総線・北水海道駅から約3㎞
    参考情報 ■現地解説板
     [1] 弘経寺の由緒       :内容は下記雑記の写真02を参照
     [2] 弘経寺の文化財      :内容は下記雑記の写真03を参照
    ■外部ウェブサイト
     [3] 弘経寺ホームページ    :来迎杉の伝説の詳しい紹介あり
     [4] 常総市デジタルミュージアム:弘経寺の詳しい情報あり
     [5] 巨樹巨木林データベース  :当巨木の登録あり (2000年度の調査記録)
    ■少遠景の記録
     [6] 安楽寺のカヤ       :付近の巨木スポット、風格あるカヤ古木、境内はロケ地にもなっている

    巨木と雑記.茨城を代表する浄土宗の檀林

     弘経寺は常総市で最大の巨木を有する浄土宗の古刹。 徳川家に所縁のあるお寺で、家康の孫娘である千姫の菩提寺でもあり、 院号の天樹院は千姫の法名と同じです。 さて弘経寺の由緒について [1] [3] 。創建は応永21年 (1414)。 増上寺 (東京都港区) を開山した聖聡上人の高弟、嘆誉良肇上人により開山。 室町時代、浄土宗の学僧を養成する檀林として、関東で中心的な存在となる。 天正5年(1577)、後北条氏と下妻多賀谷氏との戦火により焼失。 当山九世の存把上人は逃れた先の結城にて、結城秀康に招かれ新たな弘経寺を開山 (地図) 。その後、当弘経寺は当山十世の了学上人によって再興。 了学上人は徳川家康・秀忠・家光の三代から厚遇され、 千姫の菩提寺にもなったことから、徳川家から堂塔の造営など多大な寄進を受けた。 江戸時代に最盛期を迎え、関東十八檀林の中でも上位とされる大檀林となる。 明治39年 (1906) 大火に遭うものの、本堂を含め多数の寺宝が伝えられています。

    cm-弘経寺-01 【01】弘経寺の本堂。寛永6年 (1629) の古建築。改修工事が2006年から2008年までに行われた。
    cm-弘経寺-02 【02】弘経寺の由緒の解説板。
    cm-弘経寺-03 【03】弘経寺の文化財の解説板。

    巨木と雑記.来迎杉と伝説

     実際に訪れてみると、想像していた癖の少ないない立姿とは違っていました。 根本が思っていたより肥大していて力強い。 大きな湾曲した下枝があり、見上げる位置によっては踊っているかのような印象を受けました。 主幹上部の梢は、枯損のため約9mほど切断されたそうです (1992年)。 最盛期よりも背が低くなったわけですが、それでも十分に背が高い。 堂々たる立姿の大スギです。

    cm-弘経寺-04 【04】弘経寺の由緒の解説板にある銅板画の画像の拡大。明治19年につくられた境内の銅板画。 来迎杉より下枝が多く高く梢がそびえている。


     さて、大スギの名前の由来となっている伝説について [3] 。来迎とは、浄土宗では念仏行者が臨終の際、阿弥陀仏が迎えに来て浄土へ連れていくこと。 御仏が降臨されという伝説を持つ大スギ。 その話は少し悲しいものでした。以下まとめた内容です。

     当山二世の了暁上人の頃の話。 修行僧の一人に宗運という優れた若僧がいた。 ある年の開山忌のこと。 徹夜の法要の後、宗運は疲れて不意に深く寝入ってしまった。 そこへ上人が通りかかると、宗運から尻尾が出ているのを目にする。 正体が貉 (むじな) だとしても、熱心に修行してきた宗運を尊く思い、 上人は寺に留める心であった。 それでも宗運は深く己を恥じ、寺を去ることを決意。 境内の大スギに登ると御来迎を御仏に祈った。 すると瑞雲がたなびき、阿弥陀仏が降臨された。 これをみた僧たちは神々しさに、思わず南無阿弥陀仏と唱える。 すると、たちまち光が雷へと変わり、これに打たれた宗運は、東の空遠くへ飛ばされた。 数日後、川辺の村に一匹の貉の骸が流れついたという。

     大スギ伝説、なんだか宗運が哀れです。 御仏が降臨するものの、来迎ではなく天罰が下ったかのような結末。 何故、来迎は叶わなかったか。 なお、宗運は来迎を祈る前に他の僧たちへ、 御仏が降臨したとしても「南無阿弥陀仏と唱えないで欲しい」とお願いします。 この約束が破られた故の結末なのか。 来迎は他人は見られてはいけないのか。分からない。

     伝説の真相は宗運の自殺だったのかもしれません。 常総市デジタルミュージアム[4]に参考となる情報がありました ( 水海道市史-上 / 第三編-中世の水海道地方 / 第四節-浄土宗と地方文化 / 飯沼弘経寺 )。 聡明で才学に秀でた宗運は、歌舞の達者でもあった。 開山忌 (5月12日) の前日から続く法要では、その歌舞が披露された。 歓喜する村人たちとともに、踊りあかすこともあったという (住職公認で)。 文明10年 (1478) の開山忌の後、宗運は疲れて前後不覚となり、十二時 (約24H) ほど寝入ってしまった。 これを恥じた宗運は、小貝川へ身を投じた。 場所は現つくばみらい市の狸淵とされます。 (地図) 。記録が残り伝説化するほどだから、皆から宗運の死がとても惜しまれていた。 大スギの傍らにある小堂は宗運の供養堂です。