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神光寺の大カヤ
巨木の写真













巨木の詳細情報
巨木の名前 | 神光寺の大カヤ[1] |
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樹種 | カヤ(榧) | |||
幹周 | 5.6m [1][4] | |||
樹高 | 21m [1][4] | |||
推定樹齢 | 770年[1] | |||
特徴 | 整った直幹と楕円形の樹冠 | |||
保護指定 | 群馬県指定天然記念物 | |||
所在地 | 群馬県邑楽郡邑楽町大字中野3015番地 | |||
所在施設 | 神光寺 | |||
撮影日・状態 | 2017.12.16 : 樹勢良好.健全かつ端正な立姿、根本と周囲の状況、とても大切に管理されている | |||
アクセス | ||||
車 | ■館林IC(東北道) :約13.2km ■太田桐生IC(関越道):約11km | |||
電車 | ■本中野駅(東武小泉線):約950m | |||
参考情報 | ■現地資料 [1]解説板・神光寺の大カヤ:寺の由緒、樹齢・幹周・樹高・枝張など記載 [2]解説板・中野城跡 :中野城と寺の由緒など記載 [3]解説板・志士之碑 :享保の時代、村落の窮状を訴えた農民の功績を讃える石碑の解説 ■Web [4]巨樹巨木林データベース:1988年度の調査記録 |
巨木と雑記.神光寺
群馬県の南東部に位置する邑楽郡・邑楽町。 「おうら」と読む群馬県の地名でも特に印象深いもの。 この町でカヤの名木を持つ古刹が神光寺。 解説板[1]によれば、神光寺の建つ場所は中野城の跡地。 江戸時代の寛永2年(1625)、前原の地にあった中野山善正寺を、 中野城の本丸跡へ移築したのが、現在の神光寺とされます。 中野城の歴史について[2]。 文永2年(1265)、新田義重の子孫である中野景継により築城された、中野氏の居城。 後の延元3年(1338)、主君の新田義貞と共に景継の子、藤内左衛門が足利勢との藤島の合戦で戦死。 このため廃城へ。 戦国時代の永禄年間(1558~70)、富岡氏の配下である宝田和泉守の居城へ。 天正18年(1590)、豊臣秀吉の関東平定により再び廃城となり、江戸期に神光寺が移築。
巨木と雑記.大カヤの感想
約10年ほど前に偶然に通りかかって立ち寄ったことがある大カヤ。 国道122号の交差点・中野向地に標識を発見したのがきっかけ。 整った樹形が印象的だった大カヤに、10年ぶりに再訪問してみました。 再訪時の第一印象も、端正な立姿ということ。 楕円形の樹冠に、目立つ損傷の無い直幹。 人に大切にされてきた巨木に感じる、素直で穏やかな気配。 そして大きな日本庭園に立つ主人のような格調高さも感じる大カヤ。 周囲に大木や建物など遮るものが無く、存分に様々な角度から眺められるのも嬉しいことでした。 東側に隆起した根本が少し控え目な個性か。
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